砂塵が舞い、視界は不良。
確かな手応えを感じたザンギィルは、思わず口元を緩ませた。
それは勝利の喜びだったのか、安堵だったのかは、定かではない。
確かなのは、対峙した者の正体は不明なままだったが、それ以上の情報漏洩を防げたという事実だけだ。
体だけは残るとしても気配は途絶えている事を再度確認し、ザンギィルは小さく息を吐き出す。
「…ったく、上は何やってんだか。まさか情報駄々漏れってんじゃねーよなぁ」
吐き捨てるように言ってから髪を掻き揚げ、その動きを止める。
「馬鹿な…」
思わずそう口にしていた。
左側から喉元に細身の長剣が添えられ、頭に当てた右手を固定させるようにして右腕の隙間を縫うように刃が伸びている。
「余計な事、しゃべるなよ」
小声で背後から声をかけたのは、紛れもなく、先ほどまで対峙していたセツの声だった。
「馬鹿な、お前は…」
「まだ死ぬ訳にいかないんだ、悪いな。ちょっと反則技、使わせてもらった」
「どうやって……アレを逃れるなんて」
「他のヤツには無理だけど。例外ってヤツだよ」
チャキリ―――――、喉元に当てられた剣が音を立てる。
「仮にもイオの神官を名乗ってるんだ。まさか、名前だけなんて事ないよな?」
声にあわせて、喉元に添えられていた剣がその位置を変える。背後から腕を伸ばしているんだろう、
ザンギィルの左の視界の隅に黒い手袋が目に入る。
そのまま刃を走らせれば確実に殺せる状態だったにも関わらず、脅すでも見逃すでもなく、
余裕然とした声と剣を引いた―――実際には引いたとは言い難い状況だが―――その行動に、ザンギィルは唇を噛み締めた。
「人を馬鹿にするのも…―――――何?」
屈辱と怒りを如実に現した唸るようにして吐き出した科白は、その目にしたモノによって驚愕の呟きに変わった。
「わかる、よな?」
「馬鹿な……そんな事が」
「例外だって言っただろ?」
クスクス笑う声に、ザンギィルはそれを凝視した。
喉元に当てられていた剣、今は離れ、視界の隅にその柄を覗かせる細身の長剣。
その柄の細工と、その剣の有様と、それらが示すのは只一つであり、証となる印でもあった。
「月の、騎士…? まさか、そんな、今代の騎士は…」
「レウィは2年前に死んだ」
搾り出すような声音に、ザンギィルの体が強張った。
「月の…」
「皇女は無事だ。彼女も中央へ向かっている。オレは用事があって別行動中だがな」
むしろ皇女本人なのだが、正直に教えるつもりが全くないセツは淡々と嘘とも真とも言い切れない科白を口にし、
それを聞いて言いかけた言葉をザンギィルは全部飲み込んだ。
唇を噛み締め、混乱する頭を整理するように双眸を閉じる。
信じられないが、信じるしかない。
月の騎士の証である剣を手にしているし、先ほどの術を逃れたのも恐らくそれを使ったからだろう。
使いこなしているという事は、担い手が主と剣に認められているからで、それはつまり月の騎士であるという紛れも無い証明だ。
そう自分に納得させるようにザンギィルは思考した。
実際の所、セツが皇女―――“運命の双子”と呼ばれる存在であり、月の加護を受けているから使えるのだが。
「それで、だ。納得した所で、お前が招いたこの面倒な状況を打破したい。勿論、協力するよな?」
「………どうしろと?」
「言い訳は適当にお前が考えろ。自分で蒔いた種だろうが。この場で、というよりも、お前に勝つ人間がいるのはマズイんだ。
わかるだろ?」
「………騎士は本来守りの役目がある筈だ。皇女と別行動など、この状況でありえないだろう?」
「オレが“月の神殿”に用がある。揃って行ったら目立つだろう? だからあえて別行動にしている。
勿論、護衛の方も問題ない。他の候補だからな」
やはり平然と嘘を並べ立て、
「煙が晴れるな、時間切れだ」
そう言いながら剣を引くと鞘に仕舞って背負い直す。
振り返ったザンギィルの目に、セツと、その左手が気絶してるラフェルの腕を掴んでいる姿が目に入った。
「後は任せる。それとコイツは同行者だから」
ぱちくりと目を瞬くザンギィルをそのままに一方的に告げると、セツはその場に腰を降ろし、地に寝そべった。
「………気絶したフリか」
眉間に手を当ててボソリと呟く。
それから、どうしたものかと私案し―――――セツを左肩に担いで、ラフェルを右手に抱えた。
「あー………面倒くせぇ」
「自業自得だ」
心底そう思うであろう科白に、零度の声が背中から返る。
「………大人しく抱えられてろよ」
そう嘯いてから、諦めの境地のような心境でザンギィルは足を踏み出す。
ほどなくして煙が晴れて行く中、2人を抱えて憮然とした顔で歩くザンギィルの姿に、集まった人々の歓声が上がった。
やっぱ神官は強いね、とか。
カッコよかった、とか。
サディみたいだな。やればできるじゃん、とか。
色々褒め言葉がかけられるが、どれもこれも空しい響きにしか聞こえなかった。
左手を軽く振って、祭は終わりだと案に告げる。
ぞろぞろと集まってきた時と同じようにそれぞれが口々に何かを言いながら踵を返す姿を眺め、その中で、
逆走、もとい、こちらへ向かって来る男の姿に思わずザンギィルは溜息した。
「ギィ。ソイツ………ってか、増えてない?」
「ああ、横槍な。知り合いらしいから。ってか何でお前までいるんだよ」
「見学だ見学」
「………仕事しろよ。それともお前んトコの店は暇なのか?」
「仕事に関してはお互い様だろ。つーかお陰さんでお客がみんなこっち来ちゃってな〜」
「そりゃ悪かったなぁ」
「別に平気だろ。気にすんなって」
「リタに、迷惑かけたなぁ」
「そっちかよ! オレに謝れオレに!! 店主はオレだっつーの」
「売上が下がったりしたらオレのせいだなぁ。ああ、本当悪いな、リタ」
「………人の嫁に手ぇ出すなよな」
「バル。安心しろ、リタはお前の手綱を握るので忙しくって他の男に構ってる余裕ないから」
肩を竦めたザンギィルに、男―――バルウガは不服そうに眉を寄せた。
「オレはお前に手を出すなって言ってんだけど?」
「親友の嫁にちょっかい出すほど飢えてない」
「なぁ、いい加減に結婚しろよ。もういい年なんだからさ」
「オレの運命が、まだ結婚しろと言ってない」
「………全く。お前は昔っからソレ言ってるよな。何人泣かせば気が済むんだ?」
「付き合う前に結婚する気は無いと話してるんだが?」
「あー言えば、こー言うし。いいさ、そのうち本気で惚れた相手にフラれろよ。そしたらざまぁみろだ。
自棄酒くらいは付き合ってやるからな」
「そんな日は永遠に来ないだろうなぁ」
あっさりと本気で興味がないといった声で返った科白にバルウガは肩を竦め、イオを囲む塀に立つ門を潜ったところで、
「それで2人とも大丈夫なのか? 結構なの使ってた気がするが」
随分遠回りした今更な科白を口にする。
「あー………多分、気絶してるだけ」
「そっか。休ませるならウチ使うか?」
「商売根性出すな」
にやりと笑うバルウガを軽く睨み返し、
「神殿で念のために治療。あー、親父にどやされそーだ」
「今更」
げんなりしたザンギィルの科白を豪快に笑い飛ばした。
「んじゃ、この後は説教だな」
「だろーな」
「………酒は日が沈んだ後じゃねーと出さねぇよ?」
「ああ、知ってる。リタの怒りをこれ以上買わないよう、さっさと戻れ」
「だな。いつもの席、開けといてやるよ」
「そりゃどーも」
軽い頷きが返ったのを確認し、バルウガはヒラヒラと左手を振ると早足で去って行く。
その背を見送りながらザンギィルは改めて、大きく息を吐き出したのだった。
神殿内、治療室。
怪我人などが出た時、簡単なものであればそのまま診察室で対応してしまう場合もあるが、
基本的に治療行為を行う際に使用する部屋である。
「もういい。降ろせ」
背負われたままだったセツが、そこに入り、扉が閉じられたのを確認してから呟く。
命令口調かよ、いや、でも月の騎士だから我慢我慢。
とか何とか、ザンギィルが内心激しい葛藤をしつつ、セツを降ろしたのは言うまでもなく。
「お前と、サディアウィと、他にも専属の医師がいるのか。このご時世に意外だな」
そこに並べられた木製のベット3台を横目に皮肉たっぷり口にした姿に、ラフェルを1番手前のベットに寝かせつつ溜息を1つ。
「仮にもイオだぞ、ここは」
「だからこそ意外だと言ったんだ。睨まれて仕方ないだろう? “月の神殿”のとばっちりを喰うのはここだろうから」
「………まぁな。ここ10年、ゴタゴタし過ぎてな。この近辺の村に医師っつー医師が1人もいなくなっちまってな。
で、オレが“月の神殿”から呼び戻されるわ、隠居したじーさんばーさん引っ張り出すわで、何とか持たせてる状態なんだよ。
それでも他の村で何かあったら出張る必要があるから、正直手が足んねーし」
「…そうか」
愚痴る勢いでぶちぶち告げた科白にやたら重い声が返り、予想以外の反応にザンギィルの視線が宙を泳ぐ。
「―――ああ、まぁ…何だ。そこまで怪我人やら病人続出なんざ、滅多にないが」
「それでも、足りないのは事実なんだろう?」
「いや、うん、まぁ、そういう時もあったが」
「その時はどう対処したんだ?」
「ああ、ヴェル爺………と。ヴェルギストっつー元皇王直属の医師が住んでるから、その人にメイン業務任せて、オレらが外へ」
「………先々代の? まだ生きてたのか…」
「知ってるのか?」
「ああ、いや…。名前だけな。凄腕の医師で、先々代の皇王が亡くなって皆に随分と惜しまれながら引退したと」
「だろうな。オレの知る限り、1番腕のいい医師って言えば、ヴェル爺だよ。未だにな。もう80近いんだがなぁ。
こっち入って治療したりすると、怪我の具合によっては報告義務が出るからな。普段はそーいうのがマズイ人間を診てたりする」
「なるほど」
「………所で、コイツなんだが?」
「ああ。反動で気絶してるだけだから」
「余波じゃなく? アレを全く受けてないのか? あのタイミングで、どうしたらそんな真似できるんだよ」
「そうだな。お前が月の騎士の後継なら話せるが、イオの神官である以上は成れないから無理だな。
尤も、どこをどう見てもオレより随分と年上のヤツを後継者指名する訳にもいかないか」
クスリと笑うセツに、ザンギィルは大きく息を吐き出した。
どう聞いても教えてはくれなさそうである。
「んじゃいーや。とりあえず誰もこないよーに言ってくるから、ここで待っててくれ。
で、もしコイツが目を覚まさないようなら、一泊できるよう話付けとくし」
「ああ、それは助かる。宿代も馬鹿にならないからな、節約可能ならするべきだろう」
あっさり頷くセツは、すでに泊まる気満々のようだ。
月の騎士としての威厳もへったくれもないような気がして、ザンギィルは少しだけ哀しくなった。
その正体が皇女なのだと知ったら、きっと涙に暮れる。―――――かもしれない。
「じゃあ、また後でな」
そう言って部屋を後にするザンギィルを見送ってから真ん中のベットに腰を降ろして、
いい感じに寝入っているラフェルを見下ろし、
「本当に危なかった」
ぽつり、と、至極今更な本音を口にした。
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