「―――ところで。つかぬ事をお尋ねしますが、この人は誰ですか?」
男を指差してそう問い掛ける。念のために話を逸らす事にしたのだ。
それに、尋ねた事は強ち出任せではない。声は確かにセツの覚えにある神官のモノと酷似してはいるが、性格が全く違うし、
見た目も随分若い、もとい、どこをどう見てもその風体はセツより少し年上にしか見えないからだ。
「オレを知らないのか?」
「知ってたら聞かないけどね、普通」
淡々と答えて、睨む。相手に見えるわけはないのだが。
「こいつはここの神官じゃ。こんななりで、性格でもな…」
じとっと男を睨むようにして老人――ジンが予想だにしなかった事を口にした。
「酷い言われようだな」
「当然だろう」
ジンは短く返すと視線をセツへと戻す。
「こいつの前の神官は知っているか?」
軽く驚いた顔をして見せているセツにそう問い掛ける。
「…誰、ですか?」
「サディアウィ=ラ=ルーレ」
「知っています」
返った返事にジンは一つ頷くと、
「こいつはそのサディアウィの息子じゃ」
雑な紹介を済ませた科白にセツの動きが止まり、驚愕の瞳だけが顔ごと男へと向けられた。
「…失礼な女だな」
訝しんでいるとしか思えないセツの姿に眉間に皺を寄せる。
「お主には言えんだろうに…」
ほう、とジンは溜息を吐き出した。
「名をザンギィル=ラ=ルーレという。3年前に父親の跡を継いで神官になった。
…それまでは“月の神殿”で修行していた、事になっておる」
最後に付け加えられた科白にセツは内心頷いた、それならば知らないのも無理はないと。
だが。
「ろくな修行もせずになれるモノなのか、ここの神官は?」
「そう思われても仕方はないな」
即座に頷いたジンに、男――ザンギィルは反論のチャンスを失った。
「…だがまぁ、それなりの素質はあったという事か」
「そうなんじゃな…。世の中、矛盾しておるよな」
「人は見かけによらない、か。まさにその通りだな」
「口の減らねぇ女だな。せっかくの見事な蒼眼を…」
2人が本人を目の前にして頷きあうが如くに話を進めるので、面白くなさそうに眉を顰めたままザンギィルはそう呟いた。
その科白にセツの躰が強張り、その表情にも緊張が走ったのが見て取れる。
「…蒼? 娘さんの瞳は蒼なのか…」
どこか哀しげに呟かれた科白に、思わずセツは頷き返していた。
その後で、
「それが、何か?」
付け加える、気付かれてはいけないと本能が告げていた。
その問い掛けにジンの表情が曇り、遠くを見つめるかのような眼差しへと変わる。
「我等が君主、…1000年の時を経てこの世界に生れ落ちた我等が神もまた、同じく、それは見事な蒼の瞳をしていた。
そして“月”を現したような流れる銀の髪…。まさに“月”そのものと言っても過言ではない姿をしていたのじゃよ」
ジンは自分の中に記憶されているティアーゼの姿を思い出すかのようにして語った。懐かしいものを見る、そんな瞳をして。
「そういえば、どことなく娘さんは雰囲気が似ておるな」
ぽつりと、視線をセツに戻して軽い笑みを浮かべた。
その科白にセツは思わず顔を伏せる。
自分は彼等を騙している、という罪悪感が胸を過ぎりそうさせたのだ。彼等が必要とし、求めているのは、
ユゼの双子であるティアーゼ。
心の中でセツはジンに謝った、すまない、と。
だが同時に、例え今その正体を自ら口にしたとしても何の解決にもならない事を知っていたし、
そんな事をすればこの先の行動がしにくくなるのは必死。
それを考えると言えない、告げるわけにはいかなかった。
「どうかしたかね?」
俯いた姿にジンが問い掛ける。
「あ、いえ…。別に、何も…」
答えて、セツは自分を見つめる老人の姿を見つめ返した。
変わらない人々、変わってしまったセツ。
やるせないな、そう思って、
「早く、この国が平和になるといいですね」
そう言った。他に言葉が見つからなかった。
「そうじゃな…。そういえば娘さんの名を、まだ聞いていなかったのぅ」
「…セツ、です。お昼には此処を立つので、本当に短い間しかいませんが」
苦笑する。
「ほう…。で、どこへ行きなさる?」
「“月の神殿”へ」
セツの口から漏れた名に黙り込んでいたザンギィルが小さな反応を見せる。
「あんた神官だったのか?」
間抜けな質問だ。
ジンががっくりと肩を落とし、セツはぽかんとしてザンギィルを見つめた。
「女は神官には成れんよ、ザンギィル」
ジンの溜息。
「そうだったのか、知らなかった」
その地位にあるまじき科白をあっさりと口にする。
「して、セツさんとやら。何をしに“月の神殿”へ行くのじゃ? 今はこんな時勢じゃ、余り賢い行動とは思えんのじゃがな」
ジンの問いは尤もだ。ミュートリアの侵攻、そして侵略によりこの国は本来あるべき姿を失っている。
その中で国の象徴とも呼べる陰陽の対神殿、そこへ近付こうとする者は――関係者を除いて――例外なくミュートリアから
睨まれるといっても過言ではない。下手をすればその命すら危うい、それが今のこの国の実情だ。
セツは静かな視線を前髪を通してジンへと返した。
「幼い頃、1度だけ礼拝した事があって。その時に預かって貰った物を返してもらおうと、そう思いまして」
セツが口にしたのは事実だ。ただ、その預けている物というのが少々問題なのだが。
「なるほどね。それで、か。此処へよったのは。中継地点としては最適だ」
感心したようなザンギィルの声に、
(…さすがに、自爆呪文を使って運良く生き残った上に、そのダメージで意識がない間に連れてこられた…とは言えないな)
そう内心苦笑した。
そんな事は口が裂けても言えないセツである。尤も口が裂けては何も言えないが。
「荷が出来たようじゃな。道中、気を付けて行きなされ」
セツの頼んだ荷物を手渡しながら告げる。
「どういう意味ですか?」
「最近、ミュートリアの兵の動きがどうも可笑しくての。…恐らく、中央の方で何かあったんじゃろうて」
「そうそう。大変なんだぜ、ティマ・ティアスの方は」
相槌を打った姿にジンは眉を顰めると、
「何じゃ、ザンギィル。どういう事じゃ?」
「オレが“月の神殿”からこっち戻って来たのもそれに関係してる。何でも…―――っと、お客の前で言う事じゃないな」
ちらりとセツを一瞥して口を告ぐんだ姿に相手にわからないようにして溜息を付くと、
「ユゼの双子の事だろう?」
そう、口にした。
その科白にザンギィルの顔が強張り、躰が硬直する。どうやら当たっていたらしい。
「第二皇女イリューゼ、彼女が戻って来たからね。このユゼに。…今頃はその進路を真っ直ぐに首都を目指してるだろうね」
淡々として口にする科白に、ジンの顔も軽く強張り訝しむような視線へと変わる。
「どういう事じゃ…? 何故、セツさんがそんな事を知っている?」
「そうだ。ごく最近の情報だし、第一神官の間でしか知らない最高機密事項だぞ。それは」
口々にする科白に小さな笑みを口元に浮かべて返すと、
「つい先日まで、共に旅をしてましたから。日の騎士のカジェスさん共々ね。目的地が同じだったし、護衛のようなものです。
お金は頂かずに別れましたけどね」
その科白に感心したようにジンは頷いたが、ザンギィルが明らかに納得のいかないような表情を浮かべて返した。
「どうやら、あなたはオレを疑っているようだ」
「そうだな。信じられねぇな。お前みたいにこまいのにどうやって守れるんだ? ミュートリア側の人間とかじゃねぇだろうな?」
最後の科白に、セツがあからさまにその表情をきついものへと変貌させる。
「冗談にも程がある。2度とそんな事を口にしないで貰おうか、我を忘れて斬り付けそうだ」
憮然として冷淡な声で告げるセツに瞬間飲まれるも気を取り直すようにして、
「そうかい。…だがな、お前のような奴に皇女の護衛が勤まるとは到底思えないがな」
そう、呟いた。
「オレは…強いですよ、見かけよりもずっとね。それに、あなたよりも。失礼とは思いますが」
余りにもはっきりとした口ぶりと態度に癇に障ったのかザンギィルはぎりりとセツを睨み返してから一言、
「表へ出ろ。どの程度のものか、オレが試してやる」
吐き捨てるようにそう言うと、先に立って足早に店の外へと出て行った。
「…店に入って来た時といい、今といい…偉そうだな。それに受けるとは一言も口にしていないのだが…」
出口を見つめ溜息がちに呟いたセツに、笑い声が背後から返った。
「相手をしてやりなされ、セツさん。お主の強さは、老いぼれとはいえわしにもわかる。
まぁ、まず…ザンギィルに勝ち目はあるまいて。―――上には上がいる、という事を教えてやってはくれんかの?」
そう言ってから、髪がかなり薄くなっている頭を深々と下げた。
目を瞬いてそれを見つめてから、さすがにそこまでされては嫌というわけにもいかず、
仕方なさそうな溜息を吐き出してから呆れ返ったような足取りで店を後にした。
「セツ、遅いなぁ」
すっかりと食事を終えたラフェルは帰らぬセツを今か今かと待っていた。
すでに退屈に退屈を通り越して、それでもなお大人しく腰を降ろしてぼけっとしていただけなのだが。
そんな時である。
「おい…神官のザンギィルと、旅人が決闘するってよ」
そんな声がラフェルの耳に届いたのは。
その声に誘われるようにして視線を宿の入り口の方へと巡らすと、
「決闘? オレは力比べだって聞いたぞ」
そう、男の声が返った。
「馬鹿な事言うなよ。魔法力比べだろ? 神官のさ」
別の男がそう口を挟む。
「だって相手って子供だろ?」
「ああ、それに女だって…」
「此処じゃ神官には成れないよな、女って?」
「そうだよな」
「あれ…おっかしいなぁ?」
「やっぱオレが正しい?」
「ばーか、オレだろ!」
「ま、いいじゃんよ。とにかくさ、それ、見に行こうぜ?」
「「そうだな」」
全員が一様に頷き合い席を立つと宿から出て行った。
一通りの会話を盗み聞いたラフェルの耳がぴんっと立っていた、野次馬根性がしっかりと芽生えている。
だが。
「―――セツに怒られそうだ」
脳裏に思い描くのは、その冷淡なる怒りに満ちた姿だ。
「…でも、見たいよなー」
ダイが「目に付いた問題ごとに端から首を突っ込む野次馬」とまで評価したその行動ぶりは容易く我慢出来るものではない。
「怒られるだろうなぁ、ここにいないと。どうしようかなぁ…」
1人、思案してはそれを打ち消すを繰り返した。こんな事をしている間にセツが戻って来てくれたら1番いいのにと思いながらも、
どう考えても此処から動くなと言われている以上出歩けば部が悪いのはラフェルだ。
「でもなー…」
呟きと共にテーブルに突っ伏した。
行きたい、どうしても。
1度芽生えてしまったそれは、中々引いてくれようとはしない。
「セツも、まだ帰って来ないだろうしなー…多分」
だったら、とも思うのだが、入れ違いになるという事態も想像出来る。
「あー! 気になるなぁ」
口惜しそうに呟いて、がばっと頭を抱え込んだ。
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