すっかり体力を取り戻し、ラフェルを下僕に引き入れたセツはすこぶる気分がよかった。
これで面倒事は全てラフェルに押し付けられると、考えていた。
無論、“月の神殿”に無事到着してからの話であるが。
しかし。
「不安だ…」
セツにはそう呟く事しか出来なかった。
気分は非常によろしい、しかし、ラフェルの異常な態度に一抹の不安を拭えなかった。
酷く、ラフェルは機嫌がよかったのだ。にこにこと気味が悪いほどに満面の笑み。
「嫌だな…。こいつと一緒にいるの」
本気で、セツはそう思った。
宿屋の1階にある食堂で向かいに座り、食事中の男に対しての素直な感想。
はあ、と大きな息を吐き出した。
「セツ、何か食わないともたねぇぞ?」
がぶっと大きな肉団子にかぶりついて、向かいで手を動かす事なく溜息を付いている姿にそう呟いた。
「もう…いい」
げんなりとして答える。
見ているだけでお腹は満たされた、この上何かを口にしようものなら気持ち悪くなる事は必須だった。
そうとわかっていてそんな真似をする奴はいない。
「…お前は、よく食うな」
軽く視線を外して、僅かに青褪めた顔でセツが呟いた。
「まぁな…成長期だし」
はむっと今度は大きなサンドウィッチに食らい付いて答えた。
成長期なら仕方ないかと、見たくもないといった風に顔を逸らしながら頷く。
「成長期ねぇ…。―――って、ちょっと待て。お前、いったい何才?」
はたとして問い掛けながら顔をラフェルと合わせる。
はぐっと目玉焼きを口に押し込んでからラフェルはごくりと珈琲をで流し込んだ。
「誰が?」
再び珈琲を口元に持っていき、問い返す。
「…お前だ」
溜息と共に吐き出された科白。
「あれ…言ってなかったか、オレ?」
こくんっと力いっぱいセツは頷く。その姿に「ふぅん」と小さく呟いてから、
「17だよ、オレ」
短く答えて、珈琲を飲み干した。
「そう、17…」
頷く。それからまじまじとしてラフェルの顔を眺め、頭の中でもう1度その科白を繰り返してみた。
17才。
「―――って、嘘!」
思わず、叫んでしまった。
勢いの余り間を挟むテーブルを力いっぱい叩いてしまう。がちゃんっと上に乗っていた食器類が跳ねた。
「何…本当に? それとも嘘?」
ダイがそれを目にしていたとしたらさぞかし驚くどころか気を失いかねないほどにセツの驚きが、その感情の動きが、
手にとるようにわかった。
瞬間びくりと反応したラフェルは自分の食べていた分の食器だけを手に、肉の塊を口にくわえてみせた。
じとっとセツを睨むようにして見据えながら静かに食器をテーブルへと戻し、最後に口にくわえていた肉を手に取る。
「何だよ、急に…」
むすっとした声で呟いた。
「…本当に17才?」
訝しげなセツの問いが再度続く。
「嘘付いてどうすんだよ、そんなもん」
肉にかぶりつきながら拗ねるようにして呟いた。
「…オレの」
「1つ上だな」
科白を続けて美味しそうに肉を頬張るその姿にセツは愕然としてラフェルを見つめた。
これが自分の1つ年上、見目麗しい異常に旺盛な食欲の男が。
(…銀の髪が、碧の瞳が…泣いてる)
内心呟くと力なく項垂れ、
「あまりがっつくなよ、その顔で…」
そんな事を口にする。
「何で?」
「女顔で、その食欲は…。はっきり言って、薄気味悪い」
「オレ、男だけど」
「それは知ってるが。…黙っていれば女に見えない事もないだろう?」
「そうか? …そういや、時々間違えられるな」
「だろうな。せっかく整った顔してるんだ。こう、もう少し、品良くだな…」
「そう思う?」
「…は?」
「本当にそう思う?」
これまで何を言っても止まる事のなかったラフェルの食事の手が、初めて止まった。
「そりゃ……一応は」
気圧されるように返った言葉にラフェルの表情が輝いた。
春が来たかのように明るくなる。
「本当にそう思うか? まさか、嘘じゃないだろうな?」
何をそこまで拘る必要があるのかと疑問に思いつつ、こくんと頷き返した。
「そっかぁ!」
実に満足そうな笑みを浮かべて、再び目の前の料理へと手を伸ばす。
「本当、よく…食うな。お前…」
諦めにも似た口調でそう呟くと、セツはゆっくりとした動作で立ち上がった。
「んー…って、どうかしたのか?」
「買い物に行って来る」
短く答えてテーブルを離れる。本音を言えばそれ以上その旺盛な食欲を目にしていたら、
何も口にしていなくとも気分が悪くなりそうだったからだ。
ガタタッと慌ててその後を追おうとしたラフェルの立てた物音に振り返ると、
「お前はここにいろ。いいか、絶対にウロウロするなよ?」
淡々と言い付けた。
その科白に半立ちの状態で硬直したラフェルを冷ややかに見つめ返してから、きびすを返した。
「セツ…」
「いいから食ってろよ」
捨て犬のような声で名を呟かれ肩越しに振り返ると、軽く笑みを浮かべた口元でさきほどとは打って変わった優しげな声で告げる。
ラフェルは暫く「うーん」と唸ってからしぶしぶといった風に頷いて、腰を降ろした。
それを横目にしてセツはその宿を出て行った。
「さてと。確か…」
セツは記憶を弄った、幼い頃の記憶を。
目を覚ました時は予想もしなかったし、気付きもしなかったのだが、現在地の確認を行った時に知りえた村の名―――――イオ。
イオと呼ばれるこの村はその規模は小さいまでもユゼにとって重要な街の一つと言えた。
そのため、セツは幼い頃にここへ何度かレウィと共に訪れた事があった。
此処は“月の神殿”の膝元の村であり“月”の守護を受けている。
村の位置もティマ・ティアスから丁度真西にある“月の神殿”の更に延長上に位置していた。
「礼拝堂のすぐ傍だったはず…」
そう呟くと村の中心へと移動を開始した。
“月”を祀った簡単なモノだが“月の神殿”へ行く事の叶わぬ者達にとっては、
それはとても有り難いモノなのだと聞いた記憶があった。
只の飾りに祈りを捧げて何になるのかと、幼い時分疑問に思ったものだ。それは今でも変わりはしないのだが、
あの頃よりは素直に受け止める事が出来た。人間という生き物は、目に見えるモノでなければ信用出来ない。
逆も然り、目に見えぬモノには恐怖する。
だから神殿や礼拝堂などで、ただの物質の塊を拝むのだ。
拝まれているであろう本人にくだらないと言われても仕方がないのかもしれない。
セツはゆっくりと礼拝堂の前を通り過ぎながら横目にそこを眺める。
人は変わらずそこにいた、10年前と何ら変わりのない様子に思わず笑みを浮かべた。
イオにはレウィとの愉しい思い出がある、愉しかったあの頃。
「―――あ…」
ふと、思い出に浸っている自分に気付いて、何を悲観的になっているのかと自嘲した。
今はそんな事を考えている場合ではないはずだ、次いで自らを叱咤する。
頭を振るようにして再び歩き始めた。
礼拝堂の傍に武器防具店があるのもなんとも物騒な話だが、
武器防具店というのは名ばかりで事実上店に陳列してある品は反物や鋏といった金具などだ。
セツはゆっくりと店内へと足を踏み入れる。相変わらずの何でも屋ぶりを、その店は示していた。
「すみません。2メートル四方の黒地の…」
「今、あんたが見に付けているような物でいいのかい?」
「あ…はい。お願いします」
言葉を切られた事よりも、聞き覚えのある声に気付かれはしないかと内心焦った。
それが口調にも現れてしまう。
まだまだ未熟だな、と自分を笑いそうになったが他人の視線を気にして心の中に止めた。
「何を笑ってるんだ?」
ふいに背後から尋ねられた声にドキリと胸が鳴った。
その声にも覚えがあったからだ。確か、その声の主はこの村を治めてた“月の神殿”の神官であった筈。
恐る恐るといった風にゆっくりとセツは振り返った。
「あれ…? 女か」
自分を省みた小さな身長に驚きの声を漏らしてから軽く口元を歪めて、
「男みたいな格好してるから、男かと思ったよ」
そう笑いながら告げると、すっとセツに手を伸ばす。
振り返ってから見覚えの全くない若い男の姿に唖然としてしまったセツは、伸ばされる手に慌てて身を引いた。
「逃げる事ねーじゃん」
へらっと笑って言うと瞬間止まった手を再度伸ばした。明らかにセツの前髪を上げようとしているのがわかる。
「触るなッ!」
渾身の力を込めて睨み付けながら叫んだ。
それにぴたりと男は動きを止めたが、すぐさま次の動作に入る。手はセツの前髪ではなく、その腕を捕らえた。
がっしりと力強く握られた腕のせいでセツは逃げ場を失った、腕を動かす事すら出来ない。
(…馬鹿力ッ!)
内心叫んだ。当然、口には出さずに前髪を挟んで睨み付ける。
離せ、と視線で命令した。
ぴくりと男の体がそれに反応を返し、僅かにその表情が青褪める。
「随分と…殺気の漂う娘だな…」
溜息と共に呟く。
「当たり前だ。そんな事をすれば誰でもお主に怒りを覚えるだろうよ…。離してやれ」
店の奥から、しゃがれた男の声が響いた。
「そうか…。ま、いいが…」
悔しそうに言うとセツの腕を離す。それと同時に、セツはゆっくりと振り返った。
そこには見覚えのある男。確かに、10年前より皺の数は増えてはいるが確かにその人物だ。
「ジン。まだ生きてたのか、お前?」
男が嬉しそうな笑みを浮かべて皮肉を口にする。
「馬鹿を言うな。ミュートリアを野放しにしたままで死ねるものか。…ティアーゼ様とて未だお戻りにならぬというのに」
「…ま、そりゃそうだな」
男が苦笑を返した。
「そちらの娘さんは…大丈夫かね?」
「は?」
「この男に近付くと危険じゃからな」
「はぁ…?」
ほっほっほっと笑う。
「おい、そりゃどーいう意味だ?」
明らかにむっとした声音。
「本人に自覚がないからのう。お主の半径一メートル以内の女子は皆…。まぁ、その話は置いておくとして…、
娘さん、どこかで会った事があるかな?」
「じーさん、じーさん。年考えろ」
「黙れ、お主と一緒にするでない。…して、どうかね?」
「あっ、はい…。一度だけ」
「そうか…」
小さな頷き、恐らくその記憶を呼び起こして思い出そうとしているのだろう。
だが、わかるはずがない。
わからないで欲しいと、セツは悲痛な願いを込めて瞼を伏せた。
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