「だから?」
前日、“セツ”に言われた事を頼まれた通りに伝えたら、返った科白がそれだった。
「だから、その剣が…」
「もう使えないって?」
左手に問題の剣を持ってじろりとラフェルを睨んで問い返す。
「…ああ」
力ない返事、数時間前の朝の珍事の件がまだ頭に残っていて未だラフェルはセツを直視する事が出来ないでいる。
「何故、そんな事がお前にわかるんだ?」
チャキッという音がして白く輝く刀身が姿を見せた、鞘から抜ききらずに食い入るようにセツはそれを見つめた。
どれだけ眺めてみても、別段変わった所は見受けられない。
「そうだな…。試しに…」
小さく、セツが口を開いた。
「ラフェル…、お前を切ってみるか?」
シュンッ、鞘から抜き切ると剣先をラフェルへと向ける。右手だけで剣を構えてはいたが、
それだけでも十分にラフェルを殺す事が可能な腕をセツは持っている。
「どうする?」
「んな事、言われたって。それが使えないってのは、聞いたんだよ! オレは! そう言えって」
思い切ってセツに顔を向け、
「…え?」
驚きの声がラフェルより漏れた。セツがあからさまに訝しげな顔をして自分を直視しているのが目に入ったからだ。
セツがそんな顔をしたのはラフェルが急に自分へと向き直ったからなのだが当の本人は知る由もなく、
何か怒らせるような事を口にしたのかとあたふたする。それが余計に怪しくセツは思えたわけだが。
じっとラフェルを見据えながら、ぐいっと顔を近づけた。
「なっ…、何を…」
顔が見る見るうちに赤くなっているであろう事がラフェル自身、よくわかった。
近付いたセツの顔――とはいえ、長い前髪に阻まれて見えないのだが――至近距離から送られる視線に
完全に捕らえられて目を逸らす事が出来なかい。
「今の、聞いたって、誰に?」
僅かに驚きの入り混じった震える声でそう問い掛けた。
「誰、って…それは」
「はっきり!」
ずんっともう一歩ラフェルへと歩み寄る。
その近距離ゆえか僅かに髪の隙間を縫うようにしてしっかりと自分を見据える蒼い瞳が見えた。
それにラフェルの頭が鐘が耳元で鳴り響いたかのように痛くなる。
「セ…セツ、あの、顔…頼むから」
「何が? そんな事聞いてない。誰が言った、それを?」
気が動転していた、自身の理性を押さえる事が出来るか不安になってくるのを感じたラフェルは、
そんな事を考えている自分によりいっそう茹蛸のようになって行く。
そんな事を考えている自分が恥ずかしかった。
「ラフェル! 聞いて…」
いるのか、と科白を続けようとしたセツの両肩をしっかりと掴むと、ラフェルは俯くようにして自分から遠ざけた。
何事かとセツは目を瞬く。
「オレに近よるな!」
そう叫んでしまってから、もっと言葉を選べばよかったと後悔した。
だが、もう後の祭りである。
「…そ。ヒトが下でに出てれば…。近付かなければいいんだろ? オレは先に行くからな、お前はさっさとイリューゼの所へ戻れ!」
ぷいっと顔をラフェルから逸らすと、その両肩を掴む腕を無造作に振り払ってベットの上に置いておいた剣に手を伸ばす。
「お…、セツ。オレは別に…」
「世話になったな」
つっけんどうにラフェルの科白を釘って決別の言葉を口にすると、チャキンッと剣を鞘へと仕舞い入れて背負う。
それからいつもの布を躰に巻きつけて荷物を手に取った。
「じゃあな」
短く言うと、ラフェルを見向きもせずにその場を通り抜けて行った。茫然と佇むラフェルの背後で、
ぱたんっとドアの閉じられる音が響く。
「セ…」
弾かれるようにして振り返った。
嘘だと、思っていた。
しかし、そこにセツの姿はなかった。
誰も、いない。
「…ほんとに、行っちまったのか…?」
力なく呟いてがっくりと両膝を付く。どうすればいいのか、頭が混乱した。
自分が悪いという事はラフェル自身よくわかっている、しかし。
「…そんなのって…ありか?」
迷子になった子供のような声音だった。
「セツ…?」
茫然と名を呟くも、返る返事はない。尤もセツが返事を返す事など滅多になかったのだが。
「…えー…と…。そ、そうだ。しょうがねぇもんな、アイツ1人じゃこの先心配だし」
どう行動したらいいかを思案しつつ、そんな事を呟く。
「そう、そうだよ」
自分の科白に自分で頷き返して、
「よし、後を追うか!」
妙なこじつけで意見を纏めた。考え終われば行動に移すのは早い方で、呟きと共にターンしてドアへとすでに足は向かっていた。
ドアノブに手をかけ、勢いよく部屋から飛び出す。
「…ったく、しょうがね…―――えッ!?」
やれやれといった風に独り言ちながら数歩進んだ所で、その足が止まった。
目の錯覚かと思いながらも、ラフェルは恐る恐る振り返る。
「…セツ?」
唖然とした間抜け面でラフェルはそう呟いた。セツは壁に背を持たれ掛けさせるようにして、僅かに俯いている。
「…セツ?」
もう一度名を呼びながら近付いてみた。幻覚ではない、確かに実体。
「聞いて、なかったからな」
小さく呟いた。一瞬何の事かとラフェルは考えてから、先程の件だと思い出して頷く。
「部屋に戻ってから、話すよ」
どうせ自分を見ない事はわかっていたが、ラフェルは嬉しそうに微笑んだ。
どんな些細な理由であっても、傍にいてくれる事が嬉しかった。
セツは素直にそれに従うと部屋へと戻り、先程まで使っていたベットに荷物を降ろして剣を外す。
「で…誰に聞いた?」
ふいっと顔を上げた。
「…剣に、聞いた」
何も知らない人間が聞いたら頭が可笑しいと思うような科白をラフェルは口にしたのだが、セツが小さな反応を返した。
「他には、何か言っていたか?」
「どこかへ行くってのと…。名前かな?」
思い出すようにして呟く。
「で、その名前ってのが…」
「“セツ”。…違った?」
自分の科白を奪ってその名を口にした事に驚いてから、ぶんぶんと首を振り返した。
そのようすにクスリと小さくセツが笑う。
「なるほど、ね。…それでわかった。言う通りにした方がいいな」
苦笑しながら納得した様子の言葉はまるでセツを知っているかのような口ぶりだ。
「…知ってるのか? そいつの事」
その問い掛けにあからさまな溜息をセツは返して、じっとラフェルを見つめて何かを思案しているような素振りを見せる。
「セツ?」
むっとしたような声に、
「…知ってる、けど」
しぶしぶ、といった風にセツは答えた。
「誰だよ、そいつ?」
「…それは、―――初代の月の騎士。この剣の、持ち主」
躊躇いがちにそう告げると右手に剣を握り、それをじっと見下ろす。
「初代…? それって3000年前の人間?」
「はぁ?」
ぽつりと呟いた科白に、ありえないくらいすっとんきょうな声がセツより返った。
「違うのか?」
真っ直ぐに真剣な眼差しでセツを見つめるその姿は、惚けているようには見えない。
「全然違う」
はっきりと答えてからあからさまな溜息を吐き出した。
「初代の月の騎士は人間とは違う生き物。勿論それは、日の騎士にも言える事だけれど…。
この2人は“造られた”。陰陽の加護と…ユゼの建国者である、カルデナル・ユゼ、その人によって」
すっと顔を上げる。
「セツとは、その者の名。…これは前の月の騎士から聞いた、代々の月の騎士に伝えられている、口伝のうちの1つ」
にこっと笑う。
確かにその表情は隠れていたが、セツは笑った。
「何で…それをお前が知ってるんだ?」
「セツであるオレは、月の騎士だから」
予想していた問い掛けなのか間髪入れずにはっきりとした口調で答えが返った。
「この剣が、継承の証。尤も…―――ああ、まぁ、長い話をしても仕方が無いな」
じっとラフェルを見つめた、その表情は何が何だかわからないと物語っている。
「それで、“セツ”が使い物にならないと言ったんだろう?」
話を最初に戻して問い掛ける科白に、こくんっとラフェルは大きく縦に首を振った。
それを見届けてから、手の内の剣へと視線を移動させる。
じっと、それを見つめた。
「…ふぅん」
小さく呟くと、きつく剣を握り締めた。
「新しい剣が必要、だな」
思う所があるかのような声でそう独り言ちると、立ち上がってラフェルと向かい合う。
「少し、問題があるから。手伝ってくれると有り難いんだが?」
ラフェルを見据えてそう尋ねる、途端、その表情に花が咲いたかのように明るくなった。
「…で、何をやるつもりだ?」
すっかり乗り気とわかる弾んだ声。
「別に大した事じゃない。返してもらうだけだ、私の持ち物をね」
深い意味合いを込めたような声音でそう返した。
だが、天にまで舞い上がっているラフェルはそんな事に気付きもしなかったわけだが。
「お前大丈夫か…?」
異常なほどの舞い上がりようにセツがいささかの不安を覚えた。
その声にも、不安が見え隠れしている。
「まかせとけって!」
にへらっと笑って返すその姿はどうやらセツの科白の意味を勘違いしたらしかった。
その笑い方から最早何を言っても無駄だと判断したセツは、深い溜息を吐き出す。
それから、まあいい、と自身に言い聞かせる。自ら頼んでおきながら文句を付けるというのが幾らか気が引けたし、
何よりもラフェルの余りに嬉しそうな顔に呆れ返った、というのが本当の所ではあるのだが。
「目的地は、“月の神殿”」
荷物を背負ってから呟く。
「“月の神殿”?」
鸚鵡返しで小首を傾げる姿に、
「“セツ”の生まれた所」
視線を窓の彼方へと走らせてそう答えた。
確かにはっきりと、この上ないほどに哀しげな声で。
3章:セツとラフェルの関連性について END
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