翌朝。
一晩ぐっすり寝て、ようやく冷静になったラフェルはある事に気が付いた。セツと2人だけでの宿泊は初めてだと。
今になってようやく、事の重大さに気付いたのだ。
尤もそれに気付いたのが、目を覚ましてから隣のベットで規則正しく寝息を立てているセツを見て、だった。
ラフェルらしいといえばそうなのだがそんな事を気にも止めずに様子で熟睡しているセツの姿に、思わず溜息が漏れる。
これでも一応男なのだが、内心ラフェルは呟いた。
無用心にもほどがある―――、ラフェルは心底そう思った。
幾ら何でもまだ年若い男が傍にいるというのに、しかも少なからずどころかかなりの恋愛感情を抱いていたりするわけで、
それなのにこうも平気で眠られていると、ラフェルの男のとしての自信を十分過ぎるほどに失わせた。
「そんなにオレって情けないかな…?」
思わず、口から漏れた一言。
もう1度大きな溜息を吐き出してベットから這い出ると、立ち上がって大きな伸びをしてくしゃっと髪をかき上げた。
頭に手をおいたままで、ラフェルはその場にしゃがみ込む。
「本当の事言ったら、怒るかな」
今まで寝ていたベットを挟んだ向こうを横目にそんな事を呟いた。
不安になったからだ。
その呟きの相手――セツの素性が明らかになった今、ラフェルが家を出た目的の半分は果たせたといっても過言ではないのだが、
その全ての事となると絶対と言っていいほどに希望は見えなかった。
何と思われていようと構わない、一言、それを告げる事が出来るのなら。
そう、思っていた。ほんの昨日までは。
だが、今では。
言えなかった、それを口にする自信がなかった。
理由は非常に簡単で、怖かったからだ。
嫌われる、という事が。
もう2度とラフェルには微笑みかけてはくれないだろう事は容易に想像が付いた。
いつも、冷たかった。
冷ややかに相手を見つめていた、幼き日のティアーゼ。
でもそれは本当の事、それでも半分は嘘。
ただ、感情を表に出すのがヘタなだけだった。
だからこそ、恐れた。
真実を知った時の、その反応を。
いつもと同じには――あの冷たい視線でもいいから――自分を見てはくれないだろう事はわかり切っていたから。
ラフェルが脳裏に思うのは1人の男だ。
きっと、アイツに対するモノと同じ瞳で自分を睨むであろう。その権利をラフェルは十分過ぎる程に持っていた。
セツがそれを知れば、自分がその対象となる事もわかっていた。
それなのに。
人間とは、我儘に出来ている。
1つ望みが叶うと、更にその上を求めた。
以前は、会う事。
それだけでラフェルは十分であったはずなのに。
今は―――――、嫌われたくなかった。
幼い頃、あの日のように、自分にも微笑みかけて欲しい、そうラフェルは望むようになっていた。
「欲張りだなぁ…。血の、せいかな…」
声を殺して自分を嘲笑う。
それでも不安は消えなかった、絶望という名の人間の感情は留まる所を知らない。
どんどん、想いだけが募った。
不安と期待、絶望と希望。
交互に入れ替わるそれは、入れ替わるたびにより強大なモノへと姿を変えて行った。
「―――やっぱ、血のせいだな」
苦笑する。
「なっさけねぇ…、本気で嫌だよ、オレ。何か、欲張りだ。…しかも」
独占欲が強い、異常な程に。
痛いほどにわかってはいた事だが、口にしたくはなかった。
それを認めるという事を、ラフェルは絶対にしたくなかった。
別れ際、その最後に聞いた、一言は「お前は、結局はオレと同じ人種だ」だった。
何の事かラフェルにはわからなかった、誰が同じものかとそんなわけはないと否定した。少なくとも、その時はそう思っていた。
だが、今となっては。
はっきりとラフェルは自覚していた、確かに同じだ。
あれ程嫌って止まないその男と、同じだった。
「―――っくしょう…」
嗚咽が漏れる。
何度、そう思ったかわらかない。
幼くて何も出来なかった自分に、それを実行した父に。
そして、のうのうとそれでよかったのだと言い切った―――――アイツが。
憎かった、悔しかった。
そして、全てが恨めしかった。
「…ちくしょう…。オレ、どうすれば…」
嫌われない?
その言葉は声にはならなかった。
そんな事は天の神にも不可能で、それを可能に出来る者などいない、いる筈がない。
それでも。
「何で、こんな…」
涙が、零れ落ちた。
溢れ出す涙を止める事が出来なかった。
ただ、ほんの僅かでもいいから、希望を、与えて欲しかった。
他人にどう思われようと構わない、ただ、その人だけには嫌われたくなかった。
「嫌だ…。それだけは、絶対…」
唇を噛みしめた。
それまで只の1人にも必要とされなかったラフェルを必要だと言ってくれた、少女。
自分と同じような立場にいた、大切な者。
この世界よりも、大切に思う者。
1番、愛しい人。
「……なのに…」
嫌われる、嫌われてしまう。
ラフェルを「敵だ」とはっきりと言い切るであろうその姿は簡単に思い描ける。
聞きたくない言葉。
尤も恐れている言葉。
「嫌だ…よ、なぁ…。オレ…頼って、欲し…くて、剣だって…頑張って…。
それなのに…、それなのに! アイツは…、奪った。オレの、全てを…」
見つけた光を奪った者は、やっと生きる目的を見つけた幼いラフェルから、一瞬にしてそれを奪い去って行った。
「信じて、欲しい…。オレ、頼りないけど…でも、本気で…」
ぐしぐしと涙を拭った。
それから、真っ赤になった顔を洗おうと立ち上がる。
「…オレは」
限りなく小さな声で呟いた。
また、別の感情が込み上げてくる。
押さえきれなくなって再び涙が零れ落ちた。
両手で頭を抱え、腕で顔を隠す。他人に見せられるような顔ではなかった。
特に、今、ラフェルのすぐ傍で眠っている者にだけは。
そんな弱味を見せるわけには、いかなかった。
「しっかり、しろよぉ…。オレ…ってば」
泣きじゃくる幼い子供そのものだった、自分を励ませば励ます程惨めになった。
押さえきれない想いが余計に広がった。
成長していない自分が泣いていた、幼い頃の自分、屍同然だったあの頃のラフェル。
それを、光ある所へと導いてくれたのはティアーゼ。
だのに。
再び落ちようとしていた。
「アイツのせいだ…」
怒りとも憎しみとも哀しみとも取れる、複雑な声音で呟く。
ラフェルの脳裏には、再び、深い深淵の闇へと落ちて行く自分の姿しか思い浮かばなかった。
「―――オレ、好きだったんだ…。誰よりも、誰よりも…好きなのに」
還り来る幼い自分に、言い聞かせた。
その想いは、変わらないから。
今も、確かにラフェルの中に息づいているのだから。
「だから…決めたんだよな? 強くなるって。それなのに否定されるんだ…。オレは、弾かれる。
変わらないのに…、オレは。ずっと好きなのに」
なのに。
そればかりが浮かんだ。
幼いラフェルは、ただ泣いているだけ。
今のラフェルと同じように。
「もっと強くなってたら…、頼れるようになってからだったら、違ったかな…? それならオレを否定しなかった?
―――そう、思うか?」
過去の幻影である自身へと問い掛ける。
影は、泣きじゃくる顔を横に振った。
否―――――。
強さは、関係なかった。
関係するのは思い、ティアーゼのユゼに対する執着。そして、ミュートリアへの嫌悪と憎悪。
「勝てない、か。そう、だな。勝てるわけない。オレじゃあ無理だろうな…。それでも、いい。
そうだよ、もういいんだよ。頼りなくたって、…盾ぐらいには、なれるだろうし。もう、あんなのはさ…嫌だからさ」
苦虫を噛み潰したかのような笑みを浮かべる、涙はとうに止まってはいたのだが自らのケジメとして。
「また、そっちに行くはめになっても、怒んなよ…」
肩を竦める。
幼いラフェルは涙を零しながらも微笑んだような気がした。
自然と、気が治まった。
気持ちに迷いはやはり残ったのだが何かが吹っ切れたような、そんな気がしていた。
只単に、開き直っただけなのだが。
「やるだけ、やってやる。…守れれば、それでいいや」
くしゃっと髪をかき上げた。
「―――誰を?」
「誰ってそりゃぁ…セツに決まって…る?」
気分が乗っていたのか突然の問いに何の疑いもなく答える。
満面の笑みで答えてから一瞬の間を置いて見る見るうちに顔から血の気が音を立てて引いて行くと、
すっかり青褪めた顔でセツを省みた。
顔までシーツを被っている上に前髪も手伝って、その表情は全く読めない。
「―――いつから、起きてた…?」
茫然と震える声で尤も恐るべき事を口が勝手に尋ねていた。
「耳元で…さめざめと泣かれたら誰だって目を覚ます、と思うけど?」
つんけんとそう答えると、ごろっとラフェルに背を向けた。
ラフェルの顔が蒼白になる、今にも卒倒してしまうかも知れないと思うほど。
何故ならば。
ラフェルが座り込んで泣いていた時から目を覚ましていて、しかも、
誰も聞いていないと思っていた長い長い独白を聞いていたのだ。全部とは言わないが、最後の方は確実に。
と、いう事はつまり、アレも聞かれていた事になる。
「好きなのに」。
蒼くなっていた顔が湯気が立つほどに真っ赤に変わり、ただ、
口をぱくぱくと金魚のように動かす事しか今のラフェルには出来なくなっていた。
「顔、洗って来たら?」
背を向けたままのセツがそう話し掛けた、幾分躊躇いがちの小さな呟き。
「…あ、ああ。そっ、そうだな…」
耳まで真っ赤にしたままぎこちなく頷く。
セツはその後、何の反応も見せなかった。ただ背を向けて布団の中にいるだけ。
ラフェルは1つ、溜息を付いた。
こうなってしまったからには仕方がない、と腹をくくる。もう後戻りは出来なかった。
「―――セツ、その、さ…。オレ…お前が女でよかったって、ティアーゼでよかったって、本気で思ってるから…。
その…だから…、さっきの独り言は、その…本気だからな!」
もう知られているとは言え、さすがに本人にそれを告げるのは恥ずかしかった。
この上ないほどに恥ずかしかったが、それでも何故かほっとした。
セツは何も言わなかったし、その背に動揺すら見せなかった。
その反応は想像通りだったからラフェルは気にならなかった、むしろ喜んだ。嫌われてはいない、という事がわかったから。
セツの背に軽く微笑みかけると、きびすを返して静かに部屋を出て行った。
ぱたんっとドアの閉じる音がしてから、セツはゆっくりと躰を起こした。それからラフェルの出て行ったドアをじっと見つめる。
「本当、よく似てる…」
素直に思った事を口にしてから、くすりと笑った。今では敵になってしまっているだろうその者へと向かって。
ここにも、馬鹿者が1人いた、と。
あんな風な事を言ったのは家族と呼べる者達以外では2人目になる。
あの少年とラフェル、2人はとてもよく似ていた。
それでも彼等は知らないからそんな事が言えたのだと、ティアーゼという人間の真実を知らないからこそ、
口に出来た言葉なのだろうとセツは瞼を伏せた。
もし全てを知ればそんな事は言えないだろう、過去、セツ自身がそうであったように。
必ず恐れ、恐怖する。
異端の者を見る瞳でティアーゼを見つめるだろう、他の者と同じように。
それは、月の騎士と日の騎士に代々口伝にて伝えられてきた伝え語り。
陰の者であるティアーゼに関する内容のモノ、逃れられない宿命。
神の血を引くとされた皇家に属す両親ですら知らなかった事、神話の時代より受け継がれてきたユゼの血に導かれて起きた事。
ティアーゼは生まれてきてはいけなかった。その存在は、この世界に、未だ出現してはいけない者だったのだ。
それを現実のモノとしないために、“私”を捨てて“オレ”になった。
それなのにいとも簡単に崩してくれた、今までのセツを否定してくれたラフェル。
感謝するべきなのかどうか、実際の所セツにはよくわからなかった。それでも、敵意は覚えていない。
イリューゼを真剣に守ってくれていたその姿に、どう考えても嘘など付けそうにない馬鹿正直ぶり、そこそこに腕も立つ。
文句を付けたい所は多々合った訳だが、それを飲み込む事にしたとしても対して嫌ってはいなかった。
というよりも、気に入っていたのかもしれない。自覚のないままに。
だが、あんな風に思われているとセツは露ほどにも想像しなかった。しかもつい昨日まで男だと思っていた相手に対して、だ。
一言で言えばセツにとってのラフェルの評価は変な奴なのだが、悪い気は別にしなかった。
そして今のセツならばはっきりと言える事がある、ラフェルは自分と同じ人種だ、と。
自らの想いを優先させる、すっぽんよりも性質の悪い人間。
セツ自身がそうだから手にとるようによくわかる。
ふぅ、と大きな溜息を付いた。
予想だにしなかった、全く困った事態を迎えようとしている事を再確認したためだ。
更にラージェイより得た情報ではミュートリアで何かが起こっているという事、
辺境に飛ばされたかの男では詳細を知りえなかったがいつまでもこんな所でのんびりとしているつもりはセツには毛頭なかった。
元々、ミュートリアの勢力圏内へと入ったらイリューゼとは別行動を取るつもりだったのだ。
今がその絶好の機会と思うのだが、ラフェルのあの様子では1人では行かせてくれそうもない。
色々と頭を悩ませる事の量の多さに、セツは再び大きく息を吐き出した。
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