Eternal Wind
3章:セツとラフェルの関連性について (03-01)



 黒く焼け焦げた大地が残った。
 眼下に広がる、広大な黒い大地。
 それが、さきほどの炎の威力の強大さを物語っていた。
 そこに降り立った1つの影、ラフェル。
 炎の進行速度が余り速くなかったため、異常に気付いてから周囲に結界を張るだけの時間があったのだ。
 そのため、あの炎の中でも生き残った。
 地に降り立つと、ラフェルは茫然として辺りを見回した。
 何も、地よりも高いモノがそこにはなかった。
 一体そこで何があったのか、ラフェルには想像すら出来ない。
 無論、先程の炎の正体すらも。
「何だよ…これ」
 茫然としたままの声音で小さく呟く。
 それから、弾かれたように目を見開くと大地を蹴った。
 向かう先は1つだ、祈りを込めながら。
 だが。
 そこには、何もなかった。
 セツと別れたはずであるその場所には、誰もいなかった。
 ラフェルは一番考えたくなかった事を瞬間脳裏に描く。
 それはセツの死。
 信じたくはないが、この状態で生存している確率は少ない。周囲をどれだけ見回そうとも、焼けた大地しかその瞳は映さないのだ。
「くそっ…何で…」
 悔しそうに呻いた。
 せっかく、わかったというのに。
「―――何だか、段々と腹が立って来たぞ…」
 ぽつりとラフェルは呟く。
「せぇっかぁく此処まで来たってのに…。勝手に死んじまうんじゃねぇよ…馬鹿野郎」
 溜息と共に口惜しそうに呟くと両腕を天へと翳す、その表情は今にも泣き出しそうなほど悲痛に満ちていた。
 太陽を掌に透かして、じっと見つめる。
「リューを守護する太陽。…どうして、あいつの願いを…守ってやらなかったんだ…」
 それを耳にした者を切なくさせるような声で問い掛けた。
 刹那、太陽の光が降りてきた。
 一条の、柔らかな光。
 それはラフェルのいる所よりも更に西の方角へと、降り注いでいる。
 誰かに、何かを知らせるかのように。
「―――ま、さか…」
 茫然と呟くと無意識のうちに走り出す。
 その光の場所へと向かって。
 一縷の望みと共に。
 暖かそうな、陽光。
 ラフェルがその場所へと近付くと、光は降りて来た時と同じようにして天へと戻るように消えて行く。
 そして、光の降りていたその場所には。
「…セツ!」
 本当に嬉しそうな声音で名を叫ぶと、横たわる、セツらしき黒い物体へと走り寄った。
 それがセツであるかどうかなど一目見ただけではわからないが、そんな気がしていた。
 近付き、抱き起こす。
 顔を覆い隠すようにして伸ばされた長い前髪と、普段は首の後ろできつく結ばれてはいるが今は解かれ流れている、 長く長く伸ばされた翠髪。
 黒く焼け焦げているマント。
 間違いがなかった。
 これは、セツ。
 ラフェルは抱き上げたセツが生きている事を確認した、微かではあるがまだ息がある。
 付け焼刃ではあろうが慌てて回復魔法をかけると、自分には風魔法を使い宙に舞う。
 目的地は此処より1番近いローランサン近郊の街、この森の入り口にあったイオという名の小さな村。
 ラフェルは進路を取ると、すぐさま出発した。
 なるべくセツに振動を与えないようしっかりと抱きかかえ、慎重に。




 人の良い宿屋の女将は2人を目にすると、弾かれるようにしてラフェルよりセツを剥ぎ取った。
 すぐさま医者が呼ばれ、出番をなくしたラフェルはセツのいる部屋のドアを見つめながら廊下でぼーっと待ちぼうけをくらう。
 数分間でお湯だのタオルだの布だのと、本当に色々なモノがその部屋へと運び込まれた。
 暫くして、人の出入りが少なくなってから一見ただの年老いた老人にしか見えない、医者が姿を見せる。
 慌てて立ち上がると、ラフェルはとりあえずの一礼を医者にする。
 それににっこりと笑みを返した医者はその肩をポンポンと2回軽く叩くとその場を後にして宿の入り口の方へと去って行った。
 一体何なのかと唖然としてその背を見送っていたラフェルに、部屋から出て来た女将のクスクス笑う声が届く。
 はっとして振り返ったラフェルに、優しげに女将は微笑み掛けた。
 30代前半といった感じで茶色の髪を後ろ手で1つに纏めている。
「大丈夫って事だよ。あれね、あの医者の癖なんだ…。ま、気にしないでやってくれ。腕は確かだから」
 けらけら笑いながらそう言う女将の姿に、
「はぁ…?」
 と頷き返す。
「元は皇家のお抱え医師だからね、先々代の皇王直属の…」
 女将の科白に目を瞬くと、老人医師の歩いていった方向を振り返る。
「皇王…直属…?」
「そうだよ、だから安心おし。もう大丈夫」
 茫然とした呟きを肯定した女将の科白に、はっとして女将へと躰ごと向き直ると、
「それで、セツは?」
 不安げに問う声に、女将はにまっとした笑みを浮かべるとラフェルの肩を思い切り叩いた。
「大丈夫だって言っただろ?」
「あ…そうでしたね」
 すっかり女将に気圧されてラフェルは腰が低くなる。
「それにしても驚いたよ。随分綺麗な子だねぇ」
 笑顔で、溜息にも似た声音でそう言うと、
「まさか、煤の中からあんな子が出て来るとは思いもよらなかったよ…」
「…はあ…」
 独り言のような科白に、ラフェルは他に返す言葉がない。
「あの状態から察するに…。さっきの呪文は、あの子が唱えたんだね?」
 そう、急に真顔になって問い掛ける。
 は? と、間抜けな声に顔も伴ってで問い返すラフェルに女将は驚きを返した。
「さっきの…ほら、炎の…」
「あ、ああ…、あれ!」
「そう。あれは合体魔法なんだよ。…炎魔法と風魔法、そして光魔法のね」
 女将の話を半ば感心したような表情でラフェルは聞いていた、一介の村の女将にしてはいやに詳しい。
「高位僧侶の資格がないと使えないモノだし…大したもんだよ。今の時代に使い手がいるとは思いもよらなかった。 ―――それに、生きている事さえ信じられない」
 女将の最後の科白に、ラフェルは心の其処から驚いた。
 次いでその表情が曇り、思案するような顔を見せてから僅かに青褪める。
「まさか…あれが、“爆烈・焔魂”ッ!? あの、伝説の、自己犠牲自爆呪文!?!?」
 その叫びに、女将は深く頷き返した。
「ま…余計な詮索はしないけどね、もう使わせない方がいい。アレは、自分の身だけでなく他人をも巻き込むからね…。必要以上に」
 重い声で呟く科白にラフェルは頷く事しか出来なかった。
 何故なら、その惨劇をついさっきまで目の当たりにしていたのだから。
 あの、一面焼け野原の大地となった森。
「よく言っといておくれ。あんたもあの子が死んだら困るんだろう?」
「そりゃ…まぁ」
「だろうねぇ。じゃなきゃ、あんなに血相変えて来ないだろうからね」
 カラカラと陽気に笑う。
「ま…何にしても、彼女は 大切にしなくちゃいけないからね?」
 意味ありげな笑みを浮かべ、女将はそう口にした。
「は…?」
 惚けた顔をしているラフェルににこにことした笑みを返すだけだ。
「もう、部屋に入っても大丈夫だよ。そのうち意識も戻るだろうさ」
「え…あ、はい。どうも有り難うございました」
 丁寧なお辞儀を返したラフェルに、
「いいって、気にしないでおくれ。…そうそう、彼女が起きたら言ってくれれば何か食べ物を運ぶからね」
「…どうも、有り難うございます」
 もう1度ラフェルは深々と頭を下げた。
 女将は軽く手を振ってその場を後にする。忙しいだろうに迅速に動いてくれた上、 寛大な対応のその姿に感謝の意味を込めてその背に向かい再度、頭を下げた。
 それから、やや緊張しながらその部屋のドアを開くとゆっくりとした足取りで室内へと入る。
 部屋はきちんと整理されていてベットが2つ、セツは奥のベットへと寝かされていた。
 その傍へと不安げな面持ちと足取りで近付いて行く。
 相変わらず前髪が顔にかかってはいたが、所々から微かにその下に隠されていた顔を見る事が出来た。
 以前目にしたその手と同じように、異様なほどに白い雪肌。
 じっとセツを見つめた。
 ふと、ラフェルはある事に気付く。同じ部屋に宿泊した事は何度かあるにも関わらず、その寝顔を見るのは初めてだった。
 と、いうよりも眠っている姿を見るのが初めてといった方が正しいのだが。
 ラフェル自身ですら時折間違われるのだから確かにセツが少女と間違えられても仕方ないだろうが、 傷の手当てをしたはずのあの女将ははっきりと彼女と口にしたのだ。
 では、本当にセツは女なのだろうか。
 瞬間そう考えてからラフェルの胸がドキリと鳴った。
 何故だか途端に恥ずかしさが込み上げて来て顔が真っ赤になる。 一体何を考えているのかと自分を叱咤しつつ頭を左右に勢いよくブンブン振った。
「―――はぁ…」
 それから大きく息を吐く。
 自分が女である事を隠して、セツは一体何をしようとしていたのか。
 自爆してまでラージェイを倒す必要がどこにあったというのか。
 わからない事だらけだった。
 そして尤も気になるのが、女将の言葉。
 綺麗な子。
 その科白が、ラフェルの頭から離れなかった。
(綺麗…か。オレが見た事のない、セツの素顔。でも、全くセツの事を知らない赤の他人がそれを知っている…)
 無性に、腹立たしかった。
 一体何に腹を立てているのかすらわからなかったが、ただ、悔しくもあった。
 ふいにラフェルの中で誰かが囁く。
「今ならば、わからない。今のうちに、見てしまえばいい」と。
 そんな声が耳に届いたような気がした。
 ラフェルは、自分の耳を疑う事もなくその声に従う。声の通り黙っていればわからない、そう思ったからだ。
 僅かに震える両手をセツの前髪へと伸ばす。
 右手が、セツの髪に触れた時、その手は自然と停止した。
 そのままで動けなくなる。
 迷いが、まだあったからだ。
 セツに知られるのを恐れていた。
 もし、知られたら――――――?
 それを思うとそこから先へ動く事が出来なかった。
 頭を振るようにして視線を自分の指先とセツの前髪から外した。
 解かれているセツの長い髪、自然とベットの上を視線がそれを負う。
 頭から、ずっと。
 ふと、セツの肩の所でラフェルの視線は釘付けになった。
 その信じられない物体に。
 肩の辺りに微かに、銀に光るモノがあった。
 一体何かと訝しく思いながらそれに向かって手を伸ばす。
 触れた途端、それが何であるかを理解した。
 髪。
 一房の、自分と同じ、いやそれ以上に見事な銀色の髪。
 僅かに青みを帯びているようにも見える、月の光にも似た色。
 それと同じ髪を、かつて目にした事があった。
 暖かい午後の日差しの中で美しく輝く銀髪の少女、ティアーゼ。
 ユゼの双子にしてイリューゼの姉姫。
 その人の髪と、同じ。
「ここが…銀って事は、全部? …髪を染めてるのか? わざわざ黒く?」
 そう唖然と呟いた時、ぴくっとセツの肩が動いた。
 全身で驚いて慌てたラフェルはすぐに髪を離し、ほぼ同時にセツはゆっくりとその瞼を開いた。
 ぼうっと定まらない視点のままでセツは視線を右へと動かすと、すぐ傍に自分を心配そうに覗く人影が見える。
(レウィ…?)
 影の名を心に思ってから、そんな事があるわけがないと誰かが否定した。
 途端、意識が完全に浮上する。
 そして、それが誰かを理解した。
「ラフェル…」
 呟いた。
 それが聞こえたのか、曇っていた顔が急に晴れる。
(さっきのは、自分で否定したのか? 今の、自分が…。けど、何故こんな奴とレウィを間違えたのか。惚けてるにもほどがある…)
 そう内心で毒付いてから、自分を見下ろしているラフェルをじっと見つめ返した。 何故こんな所にいるのかと尋ねようと思ったのだ。
 しかし、自分のいる所が森ではなく室内である事に気付き、飛び起きた。
 唖然として、辺りを見回す。
 そこは室内だ、しかも自分はベットに寝かせられておりその両腕には傷の治療の跡が見られた。
「生きてる…?」
 小さく、呟いた。
 嬉しいような哀しいような、複雑な声で。
 足を曲げてそこに自らの顔を埋めた。
 まだ、生きている。
 また、死ねなかった。
 複雑に感情が絡み合って、熱いものが込み上げてくる。
 自然と、涙が溢れた。
 涙を流すのは本当に久しぶりで、止める事が出来ない。後から跡から、止め処なく涙は流れて。
 セツは声も出さずに、ただ静かに泣いた。



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