「ラフェル様…。何をぼーっとしてるんですか?」
ずいっとその顔を覗き込むようにしてダイが問い掛ける。急に視界に映ったダイのドアップに、
はたとしてラフェルは半身引き気味に顔を遠ざけた。
「あ、いやー…その。悪いんだけどさ、先に進もう…じゃなくてだな。先、行ってくれないか?」
非常に言い難そうに、宙を泳ぐ視線でぶつぶつと呟く。その科白に、
つい先程まで不安げだったダイの表情が見る見る内に青褪めて行った。
「なっ…何を言ってるんですか…?」
「いや、だからさー」
躊躇いがちに言葉を噤むも、その視線を決して合わせようとしない姿にダイの目がきつくなる。
「冗談じゃありません! 一体何を考えてるんですかッ?」
蒼白と呼ぶに相応しい顔なのに釣り上げた目を真っ赤に血走らせて叫んだ。
「何って…。勿論、今お前が思ってる事?」
にかっと複雑そうに笑い、逸らし続けていた視線をやっと合わせた。その科白を受けて一瞬だけダイはふらりと躰をくねらせた。
「大丈夫か?」
暢気な声で問い掛ける。
「全然ッ平気ですッ! …オレは絶対に反対ですからね!」
これでもかというほどのダイの大声に、話込んでいたイリューゼとカジェスは何事かと2人へと視線を走らせる。
ラフェルは平然としたモノだったが、ふいに顔を向けた2人は目を瞬いた。
イリューゼとカジェスにとって、ダイが感情をここまで剥き出しにして叫ぶ事など初めて目にする光景だったのだ。
そのため、ただ、唖然として見守っている事しか2人には出来ない。
「ん〜、そー言われてもなぁ。もう決めた事だし?」
あっけらかんとして呟く。
「き…決めたって! 勝手にそんな事を――」
「よく聞けよ、ダイ。どう考えたってかなり不利だろう? セツとアイツじゃ。
お前はさ…アイツが、どんなに卑劣で、姑息で、意地が悪い上に、勝つためには手段を
選ばないって知ってるだろう?」
「それは、まあ」
ラフェルの科白に、頷く事しか出来なかった。それは身に染みて知っている事だから。
「だったら、構わないだろ?」
宥めるような声に、ダイは眉をしかめたままで顔を伏せた。
ラフェルの言う事は尤もだった。
しかし、だ。
「それとこれとは、話が別です」
意を決したように顔を上げると真っ向からラフェルを睨んでそう口にした。
「どこがだよ…」
不満そうな声。
「どこもです。…大体、行くのはラフェル様でなくともよいでしょう?」
そう問い掛けるダイに笑みを浮かべると、
「オレじゃなきゃ無理だ」
そう、断言する。
「何故ですか?」
「この中で、オレよりも早く昼夜を問わずに飛べる奴がいるのか?」
優越感に満ちた声で問い返した科白はダイにグゥの音も出ないほど明確な理由を突きつけたのだ。
確かに、全員が飛べる。
それでもダイ自身のは浮くためのモノであって飛行用ではない、従ってスピードなど出ない。
イリューゼは昼はともかく夜となれば、ダイと変わらない状態になってしまう。
カジェスはスピードがラフェルより落ちるが、それ以前にイリューゼの傍を離れ様とはしないだろう。
大きな、大きな溜息をダイは吐き出した。
完全にダイの負けである。
「―――確かに、ラフェル様の言う通りですね」
「だろ?」
にこにこと満足げな笑みを浮かべる。
「ですが…。行かせる訳にはいきません」
ダイははっきりと拒絶の意を口にした。
「何だと?」
「例え如何なる理由があろうとも、あなたをむざむざ危険に晒すような真似に同意出来るはずがありません」
真っ直ぐにラフェルを見据えてきっぱりとした口調で言い切った。
誠実すぎる、忠誠心。
「そうか」
じとっとダイの顔を睨みつけて小さく呟いた。
その呟きに、ほっとダイは安堵の笑みを浮かべる。
「わかってくれたんですね」
嬉しそうな声での科白にラフェルは1つ頷き返し、
「ああ。―――言っても無駄だって事がな」
「なっ…!」
それは、一瞬と呼べる間の出来事だった。
ぽつりと呟いたラフェルを弾かれるようにして凝視してから、慌てて引きとめようとその手を伸ばした。
が、時既に遅し。
呟きと共に浮かび上がっていたラフェルは、ダイの手を紙一重で交わしその言葉にも耳を貸さずに飛び去って行った。
後に残された3人は、ただ茫然と、遠ざかって行くラフェルが見えなくなってもその場に立ち尽くしていた。
(―――もう…駄目、かな?)
そう、思い始めていた。
すでに飛び上がる事も出来ない。
全ての行動が後手に回り防戦一方となってからどれくらい経つのか、時の経過すらわからなかった。
それでも、太陽が天高い所にある事だけはわかる。
大切な妹を守護する、至上の光。
きっと、これからもその力でもって守ってくれるだろう。
日の騎士も共にいる事だ、きっと心配などない。
そう思った瞬間、何もかもが吹っ切れた。
全てのカタを付けよう。
恐らく被害が及ばない程の距離に到達しているであろうその者を思い、微かに笑みを浮かべる。
(もう、大丈夫…。だから、次の、攻撃の時に…)
キッと睨んだ、どこともなしに。
そして。
ラージェイはやって来た。
剣を振り翳して。
静かに。
セツ=ティアーゼにはそれがわかっていた。
だから、微笑んだ。
その方向へと顔を向けて。
そして、避けなかった。
あえてそれを受けた、この、自らの命と引き換えにして。
ズブゥ―――――。
剣は、見事に左肩深くに沈み込んだ。
心臓をその刃は通り過ぎていたようにも見える。
「あっ、ああ…―――がふっ」
大量に口から血を吐き出した。
ラージェイの手に握られた剣の刀身が真っ赤に染まる。
飛び散った血が辺りをも紅く染め上げた。
「終わったな…。はぁ…はぁ、ったく…」
ラージェイは満足げに吐き捨てる。それから微かに痙攣しているのか、
金魚のように口をパクパク動かしているその骸から剣を抜き取った。
すると、骸はゆっくりと地に倒れこむ。
ビュッと剣を一振りしてからくるりときびすを返すとセツ=ティアーゼに背を向け、1歩を踏み出した。
勝利への歩み。
ドシュッ―――――。
鈍い音がラージェイの耳に届いた。
腹部のあたりが、いやに熱い。
「何…? がっ…」
疑問の声を上げた口から、勢いよく赤い赤い水が吐き出された。
血だ。
ぐいっと剣が更に奥深くへと差し込まれたための吐血、無防備な背後からのそれ。
「き…貴様、生きて…」
目に映るのは自らの躰を突き抜けている細身の刀身。
「この、ために…、け…ん、を…、う…けた…。じゅ…え……は、おわ……だか、ら」
途切れ途切れに、呟いた。
言いたい科白を、血液と共に吐き出した。正確な言語とする事は叶わなかったが。
「何を、貴様ぁ、何をする気だ! この、死に損ないがぁ!」
「きま…て、……まえ、を…たお、す」
言ってから、ゆっくりと呼吸を整えようとする息遣いが背後より届く。
「今のお前に、何が出来る…」
嘲笑った。
ラージェイの負った傷は深いモノではあるが、治療をほどこせばその命に別状があるほどの威力はない。
それを知っての科白。
だが、それを聞いたセツ=ティアーゼは、ラージェイを見上げるようにして儚く、満足そうに微笑んだ。
「―――この、身を…紅蓮の、炎と…化…し、我が身を…持っ…て…」
静かに、一言一句、ゆっくりと口にするその科白にラージェイの顔が徐々に青褪めて行く。
「―――全て、の…邪悪を…、聖なる…汝等が、焔で…焼き、尽くせ…」
「まさか…、貴様、それは…」
自己犠牲自爆呪文―――――ッ!
ラージェイの声にならぬ声が叫びが聞こえたのか、セツ=ティアーゼはニッと薄く笑った。
それは、この上ないほど満足そうな至上の笑みにも見えた。
「馬鹿な…辞めろッ!」
慌てて、ラージェイは自らの躰を拘束する細身の刀身をその体から抜き去ろうともがいた。だが、
剣の柄をしっかりとその背に届くまで深々と突き刺されたそれは、どれだけもがこうとも傷を深くするだけで何の効果もなかった。
その剣に身を任せるようにして全体重を乗せ寄りかかるようにして突き刺されたのだ、そう簡単に抜けるわけもない。
あまつさえその刀身は一般的な剣よりも長いモノ。
「…我が…真魂…を、汝等…に、捧げる…。魂…の、契約を」
「やめ…やめろおぉぉぉ――――――ッ!」
「“爆烈・焔魂”」
(―――約束なんて、しなければ良かった…。ごめん、イリューゼ…)
眩しく輝く炎の光の中で、セツ=ティアーゼは限りなく優しく微笑んだ。
全てが、光と共に蒸発する。
2人の人物だけでなく、それは周囲の森さえも飲み込んで行った。
徐々に広がりを見せる炎の光は、ついにその森全てを飲み込んでしまったのである。
仕方なしに歩を進めていた3人は、遥か後方となった遠いその地で光る眩しい輝きの理由など知る由もなかった。
そして、セツのために引き返して行ったラフェルの運命も。
全ては森と共に炎の中へと消えてしまったのだから。
多くの命と共に。
2章:別れと真実、甦る全ての禍事 END
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