突然のセツの申し出に場が沈黙し、最初に動いたのは、イリューゼだった。
困惑した顔のまま、セツの眼前へと回り込む。
「どうして、ですか?」
「お前には関係ない。それに、元々」
「元々、何だよ?」
ぐっと歯を食いしばり平静を装ってラフェルが問い掛けた。
「言う、必要はない。関係ないと言っただろう?」
淡々と気にも止めてない様子で言った。
「何で…」
ビュッ―――――。
「チッ…」
急に剣を振り上げたセツの剣先が、再び、先程の男の攻撃を止める。
しかし今度は、男は逃げ様とはせずに地に降り立つと、忌々しげにセツを睨んだ。
「貴様、何故オレの位置がわかる?」
他の誰よりも、この男自身が1番の疑問を呈していた。
だが、セツが答えるわけがない。
ただ何かを確認するかのようにして、じっとその男を見据えているだけだ。
「答えぬか。まあ、それも良かろう。オレの狙いは貴様ではないからな」
鼻で笑うと男は剣先をイリューゼへと向けた。
剣というよりは大剣といった感じのそれは、軽く力を込めれば人の1人や2人軽く切断出来る代物だ。
尤も、イリューゼの様に小柄な者が相手であれば指して力を必要としないかも知れないが。
「ユゼの双子、皇女様々だ」
嘲笑うかのような口調。
「無事に捕まって貰っては、このオレの腹の虫がおさまらんからなぁ…。逃げられんようにしてから、
ティマ・ティアスに連行してやる」
ぎりりとイリューゼを睨みつけながら、男はそう口にする。
「お黙りなさい。お前のような不遜な輩に、さような事を言われる覚えはありません」
姿勢を但し、威厳を持って男を睨み返す。
その科白を聞いた男の口元が歪んだ。
「ふん。やはりイリューゼ皇女か。色を変えている可能性も示唆したが、さて…―――姉君はどうなされたか?」
クッと笑い、そう問い掛けた。
返る返事はなく、悔しそうな表情を浮かべてただただ睨み返すだけだ。
「答えないのか…。いや、答えられるはずはないな、知るわけがないものなぁ」
愉しそうにして男は一人肯定した、それから溜息を一つ付くとその双眸を細める。
「生きていればいいそうだからな…」
そう言うが早いか否かのうちに、男は地を蹴った。
剣を素早く回転させて、確実にイリューゼを狙って来ている。
「リュー様!」
カジェスが背後に庇うかのようにして男と向かい合った。
「無駄だ、日の騎士!」
男は叫ぶとカジェスに向かってその剣を振り下ろし、それを受け様と剣を構える。
が、しかし。
剣が合わさる間もなく、カジェスは横に跳ね飛ばされた。
「―――ぐうっ…」
小さく呻き声を上げて、カジェスは2メートル程先の木に激突しその根元に崩れ落ちる。
「まずは、腕だ…」
男の目的は初めからイリューゼであった。
その剣先は確かにイリューゼを捕らえていたのであるから。優越に満ちた双眸と共に。
間に邪魔が入ろうと、関係なかった。
ガキィンッ―――――。
「チッ、また貴様か!」
そう吐き捨てると、男は後ろへと飛んだ。
「セツ…」
驚きと安堵の思いを混ぜた声音で、弱々しくイリューゼは名を呼んだ。
「貴様、オレの魔動機が効かないのか…?」
確信に満ちた声で呟く。
「そう…。だから、位置もわかる。魔動機士、…お前の相手は、オレだ」
セツが口元に笑みを浮かべながらゆっくりとした口調で語った。
みるみるうちに、男の顔から血の気が引いて行く。
「貴様…何故、オレの…」
あからさまな動揺を隠そうともせずにそう呻いた。
「さあ…?」
不適に笑って返すと、背後にいるイリューゼへと視線を移す。
「先に行け!」
その科白に目を見開いたイリューゼをそのままに、
「あそこでぶっ倒れてる、ラフェルを起こせ! アイツの魔法で…早く、この場を離れろッ!」
そう叫んだ、初めて感情を露にした声と口調で。
「そんなの、駄目です! どうして、あなたを置いて…」
「馬鹿ッ! ここで死んでどうするんだ、片割れに会うんだろッ?」
その言葉にビクンッとイリューゼの躰が震えた。
「オレの事はいいから、さっさと行け…。邪魔になるから、な」
声のトーンを落としてそう口にすると、視線を男へと戻す。
「でも…」
納得しきれないイリューゼの声。
「いいから行け!」
「でも、あなたは関係ないのに…」
「大有りだ! こいつにはな…。だから、行けと行ってるんだ」
大きく見開かれていたイリューゼの目が、さらに驚愕を持って開かれる。
信じられないセツの言葉、今まで見せた事のないもう1人のセツ。
怒りに満ちた、普通の人間。
「大丈夫だ…。必ず、追いつくから」
そう、限りなく優しい声が続き、
「だから、行くんだ。リュー…」
肩越しに振り返ったセツの、優しさに満ちた微笑み。
その瞳が見えなくてもイリューゼには確かにわかるそれ。何故ならそれは、
その視線の送り方は姉ティアーゼと同じモノだったから。
「約束、ですよ。絶対に…?」
小さく頷き返った声にセツは1つ頷いた。
それを合図としてイリューゼは脱兎の如くラフェルの元へと走り出す。
「させるか!」
男はここでイリューゼを逃して溜まるかと手にした剣を走らせた。
「相手は、オレだ」
低い呟きと共にすぐ目の前にセツが移動し、その剣を弾く。
「お前に邪魔はさせない」
男とイリューゼとの間に立ちふさがったセツは、前髪を挟んで睨むようにして静かにそう口にした。
「ならば、貴様を殺すまでだ!」
「出来るものならな」
嘲笑うかのようなセツの科白を合図として、そこから2人の姿が掻き消えた。
ただ、打ち合う甲高い剣の音だけが周囲にこだまするだけ。
「セツ、頑張って…。―――ラフェル、ラフェル…目を覚まして頂戴! 気を失っている場合ではないわ…。ラフェル!」
懸命に呼びかけながらぐったりしているラフェルの躰を軽く揺する、暫くして小さな呻き声を漏らしてラフェルの躰が動いた。
「ラフェル?」
不安げにもう1度名を呟いたイリューゼの声に反応するようにして、ゆっくりと瞼をあげたラフェルは次いで勢いよく飛び起きた。
「あ…れ…?」
ぼうっとして呟く。
「ラフェル。急いで、移動の風魔法を…」
慌てるイリューゼに状況もよく理解しないまま促されるようにして呪文の詠唱に入る。
ぽうっとした光と共に、イリューゼの背に翼が現れた。
続いて、ラフェルの背にもそれが構成される。
「それに、カジェスとダイさんにもお願いします」
視線を移動させながら口にした名に従うようにして魔法を掛けると、その中にセツが含まれていない事に気付く。
「ちょい待ち…。セツはいいのか?」
疑問をそのまま口にしたラフェルに、にっこりとした笑みが返った。
「はい、大丈夫です」
はっきりとした口調でそう答える姿に、ラフェルは辺りを見回した。
「―――今、どこにいるんだ? まさか、本当にどっか行っちまったのか…?」
その姿がない事に更に疑問を抱いたラフェルは素直にそれを尋ねる、僅かな焦りと驚きの表情を加えて。
だがイリューゼはその笑みを消す事なく、
「音が…、聞こえませんか?」
そう呟く。
「音?」
何の事かと訝しげに問い返したラフェルは、とりあえず耳を澄ませてみる。
すると、微かに剣のぶつかり合う甲高い音がその耳に届いた。
「―――まさか」
「はい。その、まさかです」
即答。
「そんな無謀な事…」
「それでも、私達には何も出来ません」
呻くようにして呟いたラフェルにぴしゃりとした声が返った。
「だが…」
煮え切れない様子でラフェルは首を左右に振った。
「セツに、言われたんです。出来るだけ早く…ここから離れるように、と」
「しかし…」
「選択の余地はありません。―――それに、大丈夫です」
ラフェルをきっぱりと否定してから間を置くと嬉しそうな笑みを浮かべてその先を口にする。
「何が?」
「約束、してくれましたから。必ず追いつくと…ですから、信じます。その言葉を」
本当に嬉しそうな姿でゆっくりと口にする科白をラフェルは静かに聞いていた。
「行きましょう」
再度促されて、暫くラフェルは考え込むような仕草を見せる。
現状、尤も取るに相応しい行動を。
どうすればよいのか。
何が、自分に出来るのか、を。
「―――仕方、ないな」
ほどなくして諦めにも似た呟きを漏らして苦笑した。
「足手まといは嫌だからな」
続いた声に、イリューゼの表情がぱあっと明るくなった。
「そうと決まればすぐに行く、“風の翼、二組”」
その命令に、気を失ったままのカジェスとダイの2人の背に翼が現れた。
2人の服を軽く引いたラフェルに合わせるかのようにして、気絶したままでふわりとその躰が浮かび上がる。
そのまま誘導するようにして、両手で2人の服をしっかりと掴み、
「このまま、森を抜ける」
ラフェルのその声に音もなく舞うようにして宙に浮いたイリューゼは頷いた。
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