ミュートリアの国境内部に潜入してから、3日目の朝。
5人は相も変わらず森の中を進みつづけていた。国境を越えたといっても深い森の中、大体の見当でしか現在地を知る事は出来ない。
あたりにあるのは、青々と生い茂る樹木だけだ。
さすがにここまで来ると、厭きてくるのが心情というもの。
無論、彼等とてそれは例外ではない事で。
「カジェスさん…。この森、まだ抜けないんですか?」
最初に痺れを切らしたのは、ラフェル。
問い掛けながらも、声はもう嫌だと告げている。
「そうだな…。後2日もすれば抜けるだろう、恐らくな」
じっと前方を見据えるカジェスは見向きもせずにそう答えた。
「後…2日ぁ〜」
すっとんきょうな声を上げてラフェルはその場にへたり込んだ。
「ラフェル様、辛抱です。大体、ご自分で選んだ事ではないですか」
座り込んでしまったラフェルの傍で中腰になって声を掛ける。
「それは…そうだが」
「だったら文句言わずに歩いて下さいね」
ぴしゃりといって、ダイはその場にラフェルを残して先を急ぐ。
「…へーへー」
ぼやくようにして返事を返すとしぶしぶ立ち上がり、
はあっと大きく溜息を吐き出してからがっくりと肩を落としてダイの後に付いて歩き始めた。
ラフェルが歩きだしてから、イリューゼがその傍へと小走りに寄ると隣に並ぶ。
「大丈夫ですか?」
自分も疲れているだろに、心配そうな声音で問い掛けた。
「何とか…体力の方はね。まあ…しかし、気力の方が…尽きそうっつーか…」
「そうですか」
クスクス笑って相槌を打って、
「でも、もうすぐですし…。ヘタに公道を歩いていて見つかっては元も子もありませんからね」
そう続ける。
「そうっすね。…無事に国境抜けられたかもわかんないし」
頷くラフェル。
「そういう、事です」
苦笑して頷いたイリューゼに、
「それにしても、セツは何が愉しくて生きてるんだか…」
「―――はい?」
何の前触れもなしに真顔で呟やかれた科白に、イリューゼの間抜けた声が返る。
「あ、いや…。あいつさ、にこりともしないだろ…? 何が愉しいのかなって」
ちらりと背後を軽く振り返る。
「ああ、そういえば…そうですね。でも、表に出さないだけとか」
「…に、しては随分と無視し続けてますが」
「そうですか? だって、この所はずっと野営地はセツが決めていますし、そのための結界もセツですし…。
無視、とは違うと思いますけれど?」
真顔で答える姿からそれがセツをフォローするためではなく、イリューゼの本心である事にラフェルは些か感心した。
あそこまで無視され続けてよくもまあそんな事が言えるものだ、と。
「でも…本当に、寡黙ですよね」
ほのぼのっと微笑んでの科白に、今度は呆れ返る。
「そ、そうですか…」
思わず口から漏れたのはそんな言葉。
「そうです」
にっこりと笑みを浮かべてそう断言した。
その、余りにも自信に満ちた言葉にラフェルは苦笑いを浮かべる。
「じゃあ、もう少しですから…。頑張って下さいね」
満面の笑みでそう告げて、ラフェルの傍を離れて行った。
カジェスの元へと駆け寄って行くイリューゼの背を見送りながら、再び大きな溜息を吐き出す。
「―――に、しても。感心するよ、全く…」
小声で独り言ちる。
「走れッ!」
そんな声が、背後から聞こえた。
ありえない、その人物の大声。
あっけに取られてラフェルが振り返ると同時にセツが目の前を一陣の風の如くに走り過ぎた。
「…なっ」
視線だけが、無意識のうちにセツの異常とも取れる行動を追っていた。
ラフェルの傍を抜けたセツは走ろうとせずに茫然と佇んで自分を眺めている姿を見て、1つ舌打ちする。
「ラフェル様!」
ダイがが大声で叫んだ、自身も何故走っているのかはわからないのだがセツの珍しい叫びに思わず従ってしまったのだ。
しかし、ラフェルが立ち止まったままな事に気付き、慌てて足を止めた。
ラフェルが動じていないという事は大した事はないのかもしれない、そう思っての行動であった。
それに続いて、イリューゼをその背に隠すようにしてカジェスと2人並んで立ち止まり振り返る。
そのため、仕方なしにセツも足を止めた。
何者かが近付いてくる音は勿論の事、その気配すら感じられなかった。
「…カジェス?」
不安そうにイリューゼは声を漏らし、ぎゅっとカジェスのマントをその手に掴んでいる。
子供の頃と何1つ変わらないその仕草に、カジェスは微笑んだ。
「心配ありません、リュー様。大丈夫です」
「そう、ですか…?」
ほっとしたように息を吐くと、両手で掴んだマントを離した。
それから数10メートル離れた形になった所で自分達を茫然と見つめて佇んだままになっているラフェルの元へと向かい、走り出す。
「大丈夫ですか、ラフェ――」
呼びかけながら近付いたイリューゼは、殺気だけを感じだ。
上空から感じたそれに気を取られ足元が疎かになって、躓き転ぶ。
「何…?」
訝しむような声を上げてすぐさま顔を上げたイリューゼの目に映ったものは、樹木の狭間から零れ落ちる陽の光。
そして、その光を受けた輝かしい刀身。
(―――――ッ!)
イリューゼは、瞼を強く伏せてぎゅっと唇を噛んだ。
刹那、風が頬を伝った。
ガキィインッ――――――。
剣と剣のぶつかり合う、甲高い音。
キリッ――――、キィンッ。
「チッ…」
口惜しそうな男のしゃがれた声が上空へと移動しながら漏れる。
風はそれを追わずにその場に留まった。
「セツ…?」
茫然とした声で、イリューゼは風の名を呼んだ。
「他人の忠告は聞くものだ…」
淡々と呟き、イリューゼを見下ろす。
「あ…。ごめんなさい」
小さく、俯き加減に謝罪する。
「命が惜しければ、だがな」
イリューゼの言葉など聞いていないかのように冷たく付け足すと、視線を空へと向けた。
「また、移動したか」
「―――え?」
(また…?)
セツの科白に驚きを返してからそれを内心で反芻すると、ゆっくりと立ち上がる。
「セ――」
「リュー様! ご無事ですかッ?」
呼びかけて呟きの意味を確認しようとしたイリューゼの言葉を遮って、真っ青になったカジェスが走り寄って来る。
「どこかお怪我は?」
心配そうに慌てふためく姿に、イリューゼは笑みを返した。
「大丈夫です。…セツのお陰で」
すぐ傍でじっと天を仰ぎ見るようにしたまま動かないセツに不安を覚える。
「セツ…?」
妙な胸騒ぎがイリューゼの心を過ぎり、小首を傾げるようにしてその名を呼ぶ。
だが、反応は返らなかった。
「セツ、どうかしたのか?」
カジェスが、イリューゼを無視している事に少々腹を立てながらも先程のことから幾分遠慮がちに尋ねた。
「セツ?」
カジェスの問いにすら答えようとしないその姿に、イリューゼはいっそう不安を募らせる。
「どうかしたのか?」
ふいに、ラフェルの声が掛けられた。
その傍にはぐったりと疲れた様子のダイ、ラフェルは放心したままでいたのだ。
余りの事にショックを受けて遠い世界へと旅立ってしまっていたようで、ダイが耳元で必死に叫び続けなければ、
未だ、あのまま立ち尽くしていた事だろう。
「それに、さっきのは一体何だよ? 全然気配を感じなかったぞ」
訝しげな瞳をカジェスへと向けて問い掛ける姿に、どうやら通り過ぎた男の存在は視界に入っていたようだった。
同じように疑問の瞳を返すカジェスに、
「ミュートリアの
魔動機士」
そんな声がセツから返る。
「まど…何だって?」
顔全体に疑問符を浮かべた表情で問い返したラフェルに顔を向けると、
「魔動機士」
もう1度、静かにその名を口にした。
全員が反芻するような仕草を見せる中、その場を離れ、投げ捨てられたままになっていた自分の荷物を拾い上げる。
「―――セツ、どうかしたのか?」
何となく、今までとは違う雰囲気を感じとったラフェルの口から思わずそんな言葉が漏れた。
「別に」
短く答えると、セツはすたすたと歩き始める。
「ちょっ…待てよ、おい!」
慌てて呼び止めたラフェルを、睨むようにして振り返る。
その瞳を見る事は出来なかったが、確かに睨んでいると感じる事の出来るその視線。
ラフェルはセツの気を感じたのだ、重く、闇のように沈んだ黒い気を。
それにすっかりと飲まれたラフェルは、それ以上を言葉にする事が出来なくなった。
小さく声を漏らしながらも、冷たいものが走る背がセツに対して恐怖の二文字を描いている。
「お前等と共に行動するのは、ここまでだ」
やっと、視線をラフェルより外したセツが静かにそう告げた。
共に行動を、と願ったイリューゼの、そのすぐ傍で。
その場が、酷く気まずい――重い空気に包まれたのは、仕方のない事だった。
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