「怒ってるのか?」
いつもの事ながら、黙って荷物を整理しているセツに向かってラフェルが問い掛けた。
無論、返事などない。
それもいつもの事、別に気にするほどのものでもないのだが、このときばかりはセツが怒っているような気がしてならなかったのだ。
何しろ、小休憩のつもりだったにも関わらず小川の傍で居合わせた逆方向へ向かう旅人と親しくなったばかりか話し込み
長い休憩を余儀なくし、更には出発してすぐにミュートリアの兵と遭遇し尋問にも似た問いかけを受けてセツとダイの2人は軽く流して
いたのだがラフェルがキレて戦闘になった。
そのせいで、目的地であったはずのローランサンへ辿り着けなかったのである。
相変わらず無言で無表情――口元しか見えないけど――ではあったのだが。
「なあ…悪かったと思ってるよ。だからさ、機嫌直せよ、な?」
額に冷や汗を掻きながら、懸命に話し掛け続けた。
しかし、一向に返事が返る気配はない。
「なあ…セツ?」
名を呼んだラフェルを完全に無視して急に立ち上がる。
余計に機嫌を損ねてしまったかと慌てたが、すぐさまそのために立ち上がったのではないという事が判明し、
ラフェルは軽く安堵の息を吐き出した。
「セツ、風呂か?」
右手に持たれた荷物を見て、ぼそりと問い掛ける。
それでもセツは答えなかった。
(やばいよなぁ…。完全に怒ってる、これは。間違いなく)
心の中で溜息とともに呟く。
そんなラフェルを完全に無視して部屋を出ようと目の前を通り過ぎた姿に、はっとして顔を上げる。
「待てよ。オレ、背中流してやるよ。あ、いや…流させてくれ。お詫びに」
そう言ってラフェルは慌てて夜着を用意するために自分のベットの傍へと走った。
しかし。
「そんなものは必要ない」
淡々とした、相変わらずの冷たい声がベットを飛び越え様としていたラフェルの耳に届いた。
ズダダッ――――――。
見事に顔面から、床に崩れ落ちる。
暫くそのまま停止してから、勢いよく立ち上がった。
「何でだよ!」
顔に真っ赤な木目を付けて叫び声を上げたラフェルに、
「いらないから、いらないと言ったまでだ。それから…お前は他人の耳元で少し煩い。静かにしてくれないか?」
鋭く突き刺さる科白をいつもの調子で言い放った。
言葉を詰まらせて黙り込んだ姿に小さな笑みを浮かべると、
「ずっとそうしてろ」
じとっと見つめてそう告げて、部屋を出て行った。
ぱたん、とドアの閉じられる音が無情にも部屋に響く。
「なっ…何だよぉー、あいつはぁ」
半泣きになったラフェルが、誰もいなくなった12畳程の部屋で同情を誘うかのような声で呟いた。
「ねぇ、一緒に入ろ…」
脱衣所へと向かったセツの背後から、幼い少女の声が掛かった。
何事かと振り返った先で自分の服の裾をしっかりとその手に掴んだ4、5才の幼女と目が合う。
この日、この宿を借りたのは、自分達だけであるはずだとセツは首を傾げた。
「ねぇってばぁ…」
くいくいと裾を引っ張る。
「お前、一体どこの…?」
そう言い掛けたセツの耳に遠くからばたばたと酷く慌てた様子で走ってくる足音が聞こえた。
今度は何かと視線を巡らしたセツの目に映ったのはこの宿の女主人の姿だ。
すぐ傍まで走り寄ると、きつい瞳をその足元へと向けた。
「駄目だろう、お客さんに迷惑かけちゃ…」
そう声を掛けて、今度はセツに向き直るとペコリと頭を下げる。
「ごめんなさいね。今までこんな事はなかったのだけれど…。何故か、あなたが気に入ったらしくて。本当に、ごめんなさいね」
苦笑してそう告げてから幼女へとその手を伸ばし、
「ルイシャ、こっちへいらっしゃい」
幼女の名を呼んで手招いた。
その名前にセツがぴくっと反応して足元を見下ろすと、それに気付いてか、
幼女――ルイシャはその年には不釣合いなほど優しげに大人びた笑みをその顔に浮かべる。
その微笑み方は、間違いなくその人のモノであった。
「さっ、ルイシャ…」
声を掛けながら両手を差し出す女主人に首をぶんぶん振り返して、ぎゅっとセツの服を掴んだ。
「ルイシャ? いい加減にしないと、本当に怒るわよ」
呆れ返ったような声音でそう告げる。
「いえ、怒らないで下さい。オレは別に構いませんから」
苦笑しながらそう口にした。
「でもねぇ…」
躊躇いがちな呟き。
「オレは気にしませんから、平気です」
「…迷惑じゃ、ないかい?」
そう問い掛ける女主人に、セツは本当に複雑そうな表情を浮かべて、
「この子に似た…―――妹がいますから。懐かしさを感じます、迷惑だなどと」
見下ろすようにしてそう呟くその口調は、本当に過去を懐かしむような声音を含んでいる。その姿に、女主人はやっと顔を綻ばせた。
「じゃあ、頼んでもいいかね? ルイシャ、いい子にしてるんだよ」
苦笑とも取れないような笑みを浮かべ、ルイシャの頭を撫でながらそう言った。
「うん」
大きく頷き返して、心底嬉しそうな満面の笑みをルイシャは返す。
「迷惑だったら言って頂戴ね」
バツが悪そうな科白に軽くセツが頷き返したのを見てから、いそいそと小走りに女主人はその場を後にした。
「お風呂…行こ」
女主人の背を見送っていたセツの服を促すようにして引くと、にっこりと微笑んで愛らしく呟く。
セツは小さな溜息を付くと、1つ、しっかりと頷いた。
返ったそれに、ルイシャは本当に嬉しそうな笑みを零したのだった。
「―――おや? ラフェル様、セツはどうしたんですか?」
風呂上りらしく火照った顔で部屋に戻ってきたダイが、開口一番にそう尋ねた。
その問いに、ベットの上で転がっていた躰をぐるりと回転させてダイへと顔を向ける。
「今、風呂に入りに行ったんだが…。会わなかったのか?」
言って、眉を顰める顔を見つめる。
「はい、会いませんでしたけど…」
「そうか…。おかしいな」
首を傾げるようにして呟き返す姿に、
「ラフェル様は入って来ないんですか?」
そう問い掛けた。
「オレかぁ? オレなぁ…セツが戻って来たらだな」
力なく答える。
「何故ですか?」
眉を寄せたままで問い掛ける姿にラフェルは苦笑を返すと、
「オレと一緒じゃ、嫌なんだそーだ。煩いから」
諦めきったような声音に、
「なるほど」
納得しきった即答が返る。
「―――って、おい! 何でお前はそこで納得するんだよ!」
はっとしたように叫んだラフェルに慌てて笑顔を繕うと、
「全く、自分勝手なんですから。困りますよね」
溜息交じりにそう呟いた。
その科白に怪訝そうに眉を顰め返すラフェルに苦笑すると、
「ろくに会話もしようとしないし。これまでどうやって生活して来たのか、もとい、
他人との関係を成立させて来たのか凄く不思議ですよ」
そう続けた。
「しょうがねぇだろ、それは。まだ信用してもらってねぇんだからな、オレ達は」
そう言って、ラフェルは苦笑した。
その笑いに「仕方がないでしょう」と同じように苦笑を返す。
それは、お互い様であるから。
無論それはダイにとっては、であるのだが。
「まあ、そのうち戻ってくるでしょう」
軽く笑ってそう告げるとダイは自分のベットの傍へと移動した。
この部屋は3人部屋である。
ベットの配置は、様々な理由からラフェルを真ん中に左右にダイとセツとに振り分けられた。
ばふっ。
再びうつ伏せになったラフェルは、枕を手元によせてそこに顔をうずめた。
「――――――あっ!」
思い出したかのような声がダイから漏れる。
「ラフェル様! まだお風呂に入っていないのに、どうして布団の上にいるんですか…」
ばさばさと荷物を整理しながら静かに問い掛ける声は、僅かに震えている。
「眠くて…」
あっさり答えたラフェルに、
「んなっ…!」
小さくそう声を漏らすと、ダイは勢いよく立ち上がって振り返った。
この後、ラフェルがどうなったかは語るに及ばず。
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