Eternal Wind
2章:別れと真実、甦る全ての禍事 (02-01)



 その者は、全くの無言であった。
 長い漆黒の髪と黒衣のマントを靡かせて、一陣の風のように。
「セツ!」
 少女が心配そうな響きを持った声で名を呼んだが、黒衣の少年は反応すらしなかった。
「“光球”」
 静かに呟かれた呪文と共にセツの両手に光が宿り、軽く払う仕草と共に背後へと迫っていた敵を玉砕する。
「“爆風”!」
 そして、遠くで叫ばれた呪文を最後として、全ての敵が倒された。
 1人を除いた全員が少女の元へと駆け寄り、
「リュー様、お怪我は?」
 ごつい、異様に背の高い男が恭しく尋ねる。
「大丈夫よ、カジェス」
 にっこりと微笑み返してイリューゼはそう答え、
「皆さん、お怪我は?」
 カジェスから視線を逸らして周囲を見回すかのようにして問い掛けた。
「ラフェル様が…」
 ダイが、幾分取り乱して答える。
 イリューゼとカジェスは、一瞬顔を見合わせてから腰を降ろしたままのラフェルへと走り寄った。
「これは…」
 その症状を見てすぐにイリューゼが呟きを漏らす。
 ラフェルの左足が、綺麗にぱっくりと縦長に切れていたのだ。
 赤い血がドクドクと流れ出ている。
「これくらいで騒ぐなよなぁ、生きてるんだからさ。それに、回復魔法で治るしな。―――“癒しの風”」
 苦笑しながらラフェルは自らの傷口に両手を翳す。ぽうっと白い光がその手から溢れて傷口を包んだ。
「治りますか?」
 心配そうなイリューゼの問い掛け。
「ああ。…少し、時間がかかるけどな」
 答えてにっこりと微笑んでみせる。
「先に行ってくれ。…次の街までまだ距離があるし、ここで時間を取られるわけにいかないだろう? すぐ追いつくからさ」
「だが、こんな所で…」
 カジェスが不安げな呟きを漏らした。
 彼にとって、仲間とはそういうモノ。1度でも共に戦った者を、友と彼は呼んだ。
「何言ってんだよ。大丈夫だって! 日暮れ前には街へ着いた方が全然いいんだからさ。 オレ、こんなトコで足手まといとかなりたくないよ?」
 明るく笑って告げるラフェルを本人以上に青褪めた顔でダイは見つめている。
 イリューゼはじっとその表情を見つめて、その後で小さく頷いた。
「わかりました。…後から、必ず来て下さいね」
 言って、カジェスの腕を引く。
 ラフェルが心配ではあったが、主とするイリューゼに否を唱える訳にもいかず、しぶしぶそれに従う。
 数メートル離れた所で荷物を纏めなおしているセツの傍まで歩くと、
「セツ、行きましょう」
 そう、声を掛けた。だが、全く無反応の姿にカジェスが怒って何かを言おうと1歩を踏み出した時、 ふいに顔をイリューゼへと向けた。
「此処に残る」
 短く、そう呟いた。
 その答えに驚いた顔をしたイリューゼは、何故かと問い掛ける。その質問にセツは無言でラフェルを指差した。
 それから、じっとイリューゼへと視線を送る。
 その表情は長い前髪に阻まれて読めないまでも自分を見つめる姿に軽く微笑み返して、頷く。
「わかりました。宜しくお願いしますね…。彼は、姉様に会わなければならないのですから」
 笑顔での言葉に、セツはこくりと頷いた。
「では、行きましょう。カジェス」
 その科白を合図として、二人はその場を離れた。
 入れ違いになるようにしてセツはゆっくりとラフェルの傍へと歩み寄る。
 近付くセツを、ダイが警戒心の強い瞳で睨んだ。
 しかしそんなものなど気にしてないかのようにしてラフェルの傍へと腰を降ろすと、傷を治そうとしているその両手を弾いた。
 突然の事に目を瞬いて、驚いた顔をセツへと向ける。
 その視線に、軽く口元を歪めた。
「それでは時間がかかり過ぎる。魔法力、精神力共に無駄だ。治り切る前にお前がバテる」
 はっきりとした口調でそう言い放つと、おもむろにマントをその身より剥ぐ。 軍服のコートのようなデザインの黒い服をマントの下に着込んでおり、 何故か黒いネクタイを締めているその服装を2人が目にするのは初めてだ。
 共に行動しているとはいえ、セツは常に身に纏った黒マントを脱ぐ事はなかったのだから。
 その姿もさる事ながら、何が起こるのかと唖然として2人はセツを見つめた。
 脱いだマントを自分の足元へと置くと、その手の、やはり黒い手袋を取った。
 その下から雪のように白い手が露になる。色が白い事は僅かに目にする事の出来る口元よりわかる事だが、 剣を扱う少年のものとは思えない繊細で綺麗な手に2人の胸が一瞬ドキリとした。
 そして、セツはその手をラフェルの左足へと翳す。
「“治癒の光”」
 小さく呟くと、セツは瞼を伏せた。
 その手から放たれた光は、ラフェルのそれよりも明るく暖かなもの。
「魔動士の中級魔法…」
 ラフェルは驚きと感嘆の気持ちで呟き、その科白にダイの両目が見開いた。
「あんた…、僧侶系の魔動士だったのか?」
 思った事をラフェルは口にする。
 が、セツは答える事なく、只黙々と傷の治療を行っている。
「セツ、聞いてるのか?」
 その問いにも、返事は返らなかった。
 只黙って、全神経を自らの左足へと集中している姿に、ラフェルは複雑な心境になる。
 誰も何も口にしようとはせずに沈黙の空気がその場を流れた。
 暫くして、沈黙に耐え切れなくなったのかラフェルが視線をダイへと移し、目で合図を送る。 だが、当のダイの方はというとそれに気付くでもなくセツを凝視していた。
 さらに時が流れ、半ばげんなりしてきたラフェルは、溜息を吐きつつ治療に専念しているセツを見つめた。
 それから訝しげな視線を送り、
「セツ…聞いてるのか?」
 もう1度、そう問い掛けてみた。
 沈黙。
「セツ…?」
「そんな事に答える必要はない」
 返答の期待もせずに名を呼んだラフェルに、淡々とした声が返った。
 驚いて目を見張ったラフェルをそのままに立ち上がると、その手に手袋をはめる。
「もう歩けるだろう…、さっさと歩く事だ」
 そう付け加えると、再びマントを羽織って荷物を背負い返事を待つ事なく歩き始める。
 茫然としたままの顔でラフェルは自分の左足へと視線を移し、 すっかり傷口が塞がり痛みを感じないそれに感謝して膝まで捲り上げていたズボンの裾を下ろすと立ち上がる。
「―――お、平気だな」
 しっかりと左足で地面を踏み付けて、感嘆の声を上げると、足早に遠ざかるセツの背を見つめた。
「ダイ、行くぞ」
 翠の瞳を瞬かせているその背を勢いよく叩くと、そう告げてセツの後を追う。
「セツ、ありがとなー!」
 小走りに駆け寄って隣に並ぶと満面の笑みで礼を述べる。
 が、返ったのは沈黙だけだ。
「セツ、オレの話聞いてる?」
 沈黙。
「あのさ、ちょっとは会話しようとか思わないわけ?」
 沈黙。
「一応、仲間ってやつなんだからさ。ちったぁ話をだな…」
 沈黙。
 それから二言三言口にするも、返るのは沈黙のみ。
「―――ってかさ…」
 足早に進むセツに歩調を合わせて歩いていたラフェルの頬が僅かに引き攣りを見せる。
「聞いてんのかよ! おいっ!」
 我慢出来なくなったのか、そう耳元で大声で叫ぶラフェルに、やっと反応が返った。
 溜息、という形で。
「何なんだよ! その溜息はっ!」
「他人の耳元でわめくな」
 うんざりしたような声音でそう言うと、ふいに足を止めて顔をラフェルへと向ける。身長差が20センチ近くあるため 見上げるような形なのだが、長く伸ばされた前髪のせいでその表情は隠されたままにも関わらず漂う雰囲気は睨んでいるとしか思えない。
 そのまま無言で直視し続ける。
「な、何だよ」
 半身引いて呟いたラフェルに、くるりと顔を逸らすと再び歩き始めた。
「―――って、おい。何なんだよ、お前は!」
 その背に向かってラフェルは再び大声で叫ぶも、今度は反応すら示さずに先へと進んで行く。
「ラフェル様…」
 溜息にも似た呼び声が背後から掛かった。
「そのくらいにして、先を急ぎましょう。こんなにのんびりしていては、到底日が沈むまでに行き着けませんよ?  ローランサンまでは、後25キロ程度はあるんですから…」
 そう言いながら、ラフェルの隣へと並ぶ。
「そんなに?」
「はい」
 返った疑問に即答して、ダイは前を行くセツの背を見つめた。
「ちょっと急ぐか…」
「そうして下さい」
 溜息交じりにダイは頷いた。
 その答えに苦笑してから、同じようにして目でセツを追うと、2人揃って歩き始める。
 自分の前を足早に歩いて行く姿にラフェルは、ふうん、と呟く。
「セツ! このままで、日が沈むまでに着けるのか? ローランサンまで」
 そう、問い掛けた。
 別にラフェルは答えを期待していたわけではなかった。
 只何となく。
 今ならば、答えが返るような気がしたのだ。そんなわけのわからない勘を頼りにした。
 そして、ラフェルはじっとセツの言葉を待ったのだが。
 やはり、何の返答もなかった。
 全くの無視。
(やっぱりな…)
 そう、ラフェルは内心呟く。
 いつもの事である。
 別に、今更気にする必要はない事だ。
 だが。
 最近、妙にその行動がラフェルは気になっていた。
 確かにセツは何にも反応がなければ動じもしない、当然のように必要最低限以外の事では滅多に口を開く事もない。
 それなのに、だ。
 イリューゼが傍にいる時だけは、周囲の空気が和んでいるのがわかった。
 思い返してみれば、初めて会ったあの時もそうであった。
 あの時のイリューゼの行動に対しては、あれ以降共に行動して目にしている状態からすれば酷く慌てていたように見える。
 尤も、今ではそんな事はないのだが。
 あの時は、確かに。
 とにかくラフェルは面白くなかった。
 セツの反応が自分には全くないのに対し、イリューゼだけにある、という事が。
「ちッ…」
 口惜しそうにラフェルは小さく舌打ちしてから、じとーっとセツの背を睨み付ける。
 恨めしさがそこには込められていた。
 果たしてそれが、セツに対してなのかどうかは謎であったのだが。
 ただ、煮え切れない思いをその背中へとぶつけていたのである。
 そうして数分が過ぎた頃、ふいにセツの足がぴたりと止まった。
 そしてギンギンに睨みつけていたラフェルを何の前触れもなしに振り返る。
「先に行ってもいいかな?」
 予想もしなかった行動に体全体でびくんと反応して飛び跳ねたラフェルをよそに、淡々とした口調でセツは問い掛けた。
 何の事だかわからず、驚いた状態のままでラフェルは茫然としている。
 それを横目で見たダイが、大きな息を吐き出した。
「何故ですか?」
 なるべく平静を装ってダイが問い返す。
「オレに不満があるんだろう? だから、何も一緒にいる事はないだろう」
 言って軽く口元を歪めた。
「とくに、あなたがね…」
 付け加えて2人を見据えた。
 どうやら、返答を待っているらしい。
「何故、そのように?」
 僅かに震えた声でダイが尋ねたのに対して、小さな笑みを浮かべると、
「別に…」
 短く答えてきびすを返すと、再び歩き出した。
(変なヤツ…。類は共を呼ぶというのは、どうやら本当の事らしい…)
 足早に歩いて行くセツの背を見送りながら、ダイは本気でそう思う。
「ダイ、何やってんだよ。行くぞ」
「えっ、あ、はい」
 セツの後を追っていったラフェルの科白に、我を取り戻したダイは慌てて足を進める。
(それにしても、話し掛けてくるなんて珍しい…)
 前を歩くセツの背中に疑問符を投げかけたが、ふと横目で自分の主たる青年を見つめ、何となく合点がいった。
 なおも、何かを言いたそうな顔でその背を睨みつけていたからである。



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