Eternal Wind
1章:帰って来た皇女 (01-03)



「何なんだ、奴は!」
 必死に森の中を走る3つの影の1つが忌々しげに言葉を吐き捨てた。
「ひいぃっ…来たぁ!」
 最後尾を走っていた影が怯えきった声を上げた。
「ラージェイ!」
 その前を走っていたいた者が、悲鳴を上げた同胞の名を叫ぶ。
「来…助けぇ……」
 ザッ――ラージェイと呼ばれた男の足元の草だけが、その存在を示すかのように音を立てた。
 他には、何の音もない。
「ラージェイ! 気のせいだ、走れッ!」
「嫌だぁ…死にたくない。いる、いるんだぁ…アイツがぁ」
 なおも奇怪な悲鳴を上げながら、ラージェイは叫び続けた。
「助けて…命、だけはぁ、……嫌だぁ」
 ズシャッ―――――。
 いままでとは違う、奇妙な音が走る2人の背後より届く。
 ゆっくりと、速度が半減するのを覚悟して好奇心に駆られて後ろを振り返った。
「「なっ…!」」
 2人は、同じモノを目にした。
 遠ざかって行く光景の中でその瞳に映し出されたのは、1人の人間。
 どこから現れたのか、ラージェイの躰の上半身を真っ2つに切り裂き、ほとばしる赤い液体の向こうで口元を歪めている、 1人の少年。その手にあるのは確かに彼がラージェイを斬ったのだという証拠となる、その刃を赤く染めあげた1本の剣。
 返り血を全身に浴びて、薄笑みを、確かにその少年は浮かべていた。
 漆黒の髪でその顔を隠し、他人に見せるのは白い肌と小さな薄い唇だけ。 長く伸ばされた髪は首の後ろから腰のあたりまでしっかりと紐で結ばれており、 その先には更に30センチ程の長さが続く、長い長い翠髪。
 全身を覆っていた黒いマントをばさっと音を立てて躰から取り除くと、 それをピクピク痙攣しているラージェイの躰に無造作に投げかける。
 それからマントのかけられたソレを冷ややかに一瞥してから静かにきびすを返した。
 剣を一振りしてこびり着いた血を払う。躰のサイズに似合わない、 それでもシンプルな細身のデザインがその剣を少年が手にしている事に違和感をなくさせている、不思議に白く輝く長剣。
 カチャリ―――――。
 静かに、剣が鞘へと収められた。
 それを背負うと、最早ここには用はないといった風に足早にその場を去って行った。




「こんにちは。一晩、宿をお借りしたいのですが」
 イリューゼの声が宿屋の受付で躊躇いがちに響く。
「いらっしゃい。―――何名様?」
 陽気にほがらかな笑顔で女将が返事を返した。
「えっと、4人です」
「部屋割りは? みんな別がいいかい?」
「2人部屋を2つ、お願い出来ますか?」
 心配そうに尋ねた姿に、女将は微笑みかける。
「大丈夫、空いてるよ。…それじゃあ、これが鍵ね」
 そう言って、受け付けの下から2つの鍵を取り出してカウンターに乗せる。
「お幾らになりますか?」
 手元の皮袋の紐を緩めて視線を落とす姿に女将は肩を竦めると、、
「1人に付き金貨1枚だよ」
 金貨はこの世界における、1番大きな額を示すコイン。その後に銀貨、銅貨と続く。
金貨1枚に対して銀貨10枚と銅貨100枚がそれぞれ同等の価値を示す。 金貨はギルツ、 銀貨はシルツ 銅貨はコルツ と一応の呼び名は付けられているのだが、 老若男女を問わずに通じるのは貨幣何枚という具体数だ。特に幼い子供に対しては。
「4人なら、4Gだね。―――だが…まあ、そうだねぇ。お嬢ちゃんが可愛いから3Gにまけとくよ。特別ね」
 にこやかに女将はそう告げる。
「有り難うございます」
 同じように微笑んでお金を渡すと、もう一度お礼を述べて鍵を受け取り宿の外へと出て行った。
 その背を見送ってから、女将はよしっと気合いを入れて立ち上がる。
「今日は可愛いお客さんがいてよかったよ」
 ほっと独り言ちる。
「そりゃあ、誰の事だい?」
 言いながら、ひょいっと宿屋の入り口をくぐっていやにごつい体つきの男が顔を出した。 今や馴染みとなったその男の顔を目にして再び椅子に腰を降ろすと、
「さっき来てたんだよ、可愛い子がね」
「へえー…そりゃあお目に掛かりたかったもんだね」
「ここに泊まれば見られるんじゃないかねぇ。多分に?」
 笑顔でそう告げると無言で右手を差し出す。
「―――相変わらず、商売がうめーなぁ。お前さんは…」
「褒めてもまけないよ。きっかり1G」
 しれっと言う姿にぽりぽり頭をかくと、
「しゃーねぇな」
 男はぼやいてごそごそとポケットをまさぐって金貨を1枚取り出すと女将の手に乗せる。
「1泊、ね」
 宿代を受け取ると、小さく呟いて宿帳へと記入する。
「ほら、鍵だよ」
「あんがとさん」
 軽いお礼を口にして男は部屋へと向かい、奥へと進んだ。
 男がいなくなって立ち上がろうとした女将は、受け付けの前にいつの間にか1人の少年がいた事に気付く。
「あんた…、いつからいたんだい?」
 全く存在感を感じさせなかった少年に茫然として女将は問い掛けた。
「今の大男が、お金を払った時から」
 おそらく声変わりがまだなのだろう、澄んだ綺麗な声が返る。
「で、お泊りは?」
「1泊でお願いします」
 はっきりとした口調で答える。
「部屋は?」
「1人部屋で」
「―――あんた、一人で旅をしてるのかい?」
 その風体から旅をしている事はわかったが、女将は露骨に驚いて見せた。
「はい」
 短く、笑って少年は答える。
 前髪が顔を隠しているため完全にその表情を読み取る事は出来ないが、確かに微笑んだ。
「そうかい…。それなら、銀貨5枚でいいよ。特別に半額だ」
「有り難うございます」
 答え、背に背負っている荷物を降ろす。
「―――それと、少しお聞きしたい事があるのですが…」
 長旅でもないのだろう小ぶりな荷物袋に手を入れて躊躇いがちに話を切り出した少年に、女将は頷き返す。 それに嬉しそうな笑みを口元に浮かべた。
「で、何だい?」
「この辺りで、あなたのお薦めの…武器防具のお店を教えて下さい」
 その科白に一瞬驚きの表情を浮かべてから、次いで感心したような顔をする。
「何であたしに聞くんだい?」
「オレの剣の師が、その街の事は宿屋の女将が1番詳しく…ひいきなく物事を判断している。そう、教わりましたから」
「なるほどねぇ…。大したお師匠さんだね、その人は。―――よし、いいだろ。武器防具なら、街外れのボロ屋に行ってみな。 あそこは見かけによらず、結構な穴場でね。それとあたしの紹介だって言えばまけてくれる。 あたしの名前はカゼヤリだよ、店に入ったらすぐにあたしの名を言いな。わかったね?」
「はい、有り難うございます」
 荷物袋から小さな皮の袋を取り出して礼を述べた。
「じゃ、鍵だ」
「どうも…」
 少年は鍵を受け取りお金をカウンターに置くと受付を離れる。
「―――ちょっと待ちな!」
 数歩離れた少年を、慌てて女将が呼び止める。
「何ですか?」
「お金が多いよ、半額でいいって言ったろ」
「いいえ」
 苦笑した女将にはっきりと否を口にし、
「いい話を聞かせて貰いましたから、お金はきちんと支払います」
 余りにもはっきりとした少年の言い方に女将は少々気圧された。
「そうかい…。ま、そういう事なら仕方ないさな」
 小さく呟くと、宿帳に記入をした。




 そこは確かに穴場になるであろう、店。
 少年はゆっくりと建て付けの悪い引き戸をやっとのことで開く。
「いらっしゃい、何を探している?」
「カゼヤリさんの紹介で来ました」
 少年は感情を見せずに淡々とそう答える。店の店主らしき老人の眉がぴくりと僅かに反応を返した。
「―――で、何をご所望か?」
「2メートル四方の厚手の黒地2枚と、地兎の毛皮3枚、それに皮靴を1足と革紐を2本下さい」
 少年は周囲を見回してからそう言って、ふと視界に入った奇妙な20センチほどの棒を見つめる。
「しめて、金貨2枚の銀貨7枚、銅貨4枚じゃな…。だが、カゼヤリの顔を立てて、金貨2枚で構わん」
「有り難う」
 軽く返して少年はその興味を不思議な棒へと戻した。
「それが気に入ったのか?」
 珍しい者を見たかのような声音で老人が問い掛ける。
「これ、何に使うものですか?」
 浮かんでいる疑問をそのまま口にした少年に、老人は愉しげに笑い出した。
「勿論、武器じゃよ」
 あっさりとそんな答えが返る。
「こんな物が…?」
 訝しげな声で呟いた少年に、相変わらずの大笑いを返し、
「基本タイプが鞭」
 呟く。その科白に少年が弾かれたようにして老人へと視線を走らせた。
「その他、剣にもなるし…ナイフにもなる。弓にもなるし…まあ、使い手次第だが。武器全般への変化が可能じゃ」
 笑いながらそう言うと、驚きを隠そうともせずに自分を見つめる少年に真顔を返すと、
「しかしお前さん…大した才能だ。今までそれに見向きした奴はおらなんだ…。気に入ったのか?」
 再度問い掛けられた声に、無言での頷きが返る。
「よかろう…餞別代わりにくれてやる。持って行くがよい」
「有り難う…。だが、餞別というのは?」
「お前さん、ティマ・ティアスに向かっているんだろう? だとしたら強力な武器が必要だ。 その背に背負ってるのも大した代物のようだが…いざという時の小回り用に役立つだろう」
「―――なるほど。お見通しですか」
 小さな笑みを口元に浮かべた姿に老人は不適な笑みを返した。
「では、有り難く頂きます…。―――それでは」
 そう言って一礼すると、荷物を受け取り店を出る。
「お前さん、名は?」
 建て付けの悪い戸を閉めようとしていた少年に向かい、老人が声を掛けた。
「―――セツです」
 少し躊躇ってから、少年――セツはそう答えた。
「そうか…。死地へ向かう子に、祝福があらん事を…」
 老人がそう呟き、セツはもう1度深々と頭を下げた。
 これは、今の彼に出来る最大の感謝の気持ちであった。




 翌日、ノームの刻―――――。
 再び深い森の中を1つの影が走っていた。
 それは、残酷なる死刑執行人から逃れるため、ただ、只管に走っていた。
 どこへ向かっているのかも最早わからず、すでに彼の仲間は全て殺されているという事実だけが思考を支配している。
 彼に、逃げ場などなかった。
 しかし、彼にもたった1つのチャンスが生まれる可能性はあったのだ。
 それは、この森を抜ける事が出来れば。
 ズバァ―――――ッ。
「ぐわあああっ!」
 どさっと左腕が落とされた。
 彼は、それでも叫び声を上げながらも必死に走り続けた。
 左腕から流出していく赤い水を恨めしく思いながら。
 それでも。
 ガササッ―――――。
 ついに、彼は森を抜け、
「なっ…」
 そして幸運にも、旅の途中と思われる1つのパーティーに出くわした。
 突然森から姿を見せた、左腕を失って血だらけで必死の形相を浮かべる男の姿にパーティーの面々は茫然とする。
「動くなぁ!」
 男は驚いて茫然と自分を見つめたそのパーティー内で唯一の女性、1人の少女を捕らえ人質とする事に成功し、 そこへ、タイミングよく彼の死刑執行人が現れた。
 昨日の少年。
 黒いマントで全身を覆い、闇夜の死者であるかのような少年。
 ラージェイを殺し、薄く笑っていた魔性の子。
「―――――――ッ!?」
 後を追って森を抜けて広がった光景に、少年は言葉を失った。
「動くなよ…、動いたら、この女を殺すからな」
 弾かれるようにして森より姿を見せた状態で動きを止めた少年に、男は狂気の瞳で睨み付けながらそう告げた。
「とりあえず…その、手の剣だ。その武器をこっちへ投げろ!」
 少年の手に収まっている血液のこびりついた細身の長剣を一瞥し、男は叫んだ。
 しかし少年は黙殺したまま、反応すら示さない。
「どうした、この女が死んでもいいのか?」
 懸命に男は脅しを掛けるが、少年は何の変化も見せず身じろぎ1つせずに男と対峙したままだ。
 少女のパーティーの面々も突然の事にわけがわからないといった表情で、男に捕らえられた少女を案じて動けずにいる。
 暫くの間を置いて、少年が口元に小さな笑みを浮かべた。
「勝手にしろ」
 短く、それでいて威圧感のある高い声が少年から漏れる。
 少年にしては、いやに澄んだ綺麗な声。
「そんな事をすれば、その直後にお前がどうなるか想像は付くだろう…?」
 言ってニヤリと口元を歪めた。
 男の表情から、その全身から、血の気が引いたのが誰の目にも見て取れる。
「どうする?」
 静かに、少年が問う。
 男は、少女を人質としているにも関わらず僅かに震えていた。
 このままではこの少女と共に斬られかねない、そんな思いが生まれ始める。 男の脳裏に自身の味方を何の感情もないかのように、斬り捨てて行った少年の姿がいやに思い出された。
 少年は無言のまま、他人からは見る事の出来ないその双眸で男を睨んだ。
 それは瞳を確認しなくとも、確かに感じる事の出来る重圧感。
 すっ――――、少年は剣先を男へと向けた。
 それにあわせて男の躰がビクッと震え、それを目にした少年はとうとうあの笑みを浮かべた。
 その場にいた全員が心臓を掴まれたかのような嫌な恐怖感を覚える。しかし、只1人、いや、2人だけは、 その笑みに何故か懐かしさを感じていた。
 軽く首をつっと上げた事に、それを合図と取ったのか、突然、男は少女を放り捨てて逃げ出した。
「“炎球”」
 少年は素早く呪文を唱えると自らの左手に宿った炎を確認する事なく、 逃げ出した男を睨みつけたままその背へ向かってそれを投げ付ける。
 男は、躰にそれが当たるのとほぼ同時に絶叫も上げる事なく息絶えその場に崩れ落ちた。
 一瞬とも取れたその出来事に、自由の身となった少女は安堵の息を漏らして立ち上がると少年の傍へと走り寄る。
「有り難うございます」
 微笑む。
 が、少年は何を返すでもなくじっと少女を見つめた後でくるりときびすを返してその場を離れ様と1歩を踏み出した。
 しかし。
「待って下さい!」
 少女が叫んだ。
 がしっとその黒マントを両手でしっかりと掴んだ。それを気に止めるでもなくそのまま歩き続けようとしたが、 目の前に自分よりも身の丈が数10センチも高い男が立ちはだかったので、仕方ないと諦め立ち止まる。
「名を名乗ってもらおう」
 巨大な男は、低い声で少年へと命令する。
「自ら名乗るのが礼儀と思うが?」
 相手にするでもなくさらりとそう返すも、しっかりと相手にかけるプレッシャーだけは忘れずに目の前の男を見据えた。
「カジェス」
 男はそう名乗った。
「―――セツ、だ」
 仕方ないといった風な声音で、少年は静かに答えた。
 それに対してカジェスはマントを掴んだままで自分を見つめる主と視線を合わせると、
「リュー様。この者をどうなさるおつもりですか?」
 そう、問い掛けた。
「敵ではないもの。一目でわかったから…。さっきのは、敵兵だもの。目的は一緒でしょう?」
 言って、背丈のあまり変わらない背後からセツの顔を覗き込んだ。
「だからと言って、味方でもない」
 冷たくそう返すとイリューゼの腕を振り解くかのようにマントを弾いた。
「だったら協力しましょう?」
「しない」
 短く返った科白に、再びマントを掴んだ。
「でしたら、決して離しません!」
 声を上げると力強く両手でマントを握り締める。
「―――“爆風”」
 溜息がちに呟かれた呪文と共に、セツを中心として円形に風が舞う。
 突然のことに、全員が度肝を抜かれた。
 それでも、イリューゼはマントを離さなかったのだが。
 風の直撃を受けて気絶してまでもその手を離さなかった姿に、大きな溜息を吐き出してカジェスへと顔を巡らす。
「あなた方の望みは?」
 諦めにも似た、静かな声で問い掛けた。
「リュー様の望みを叶える事」
 カジェスはそう答えた。
 それから、茫然と立ち尽くしている残った2人にも同じ質問をする。
「雇われている身ですから…、その方の望んだ通りに」
 半ば放心状態とも取れる翠の瞳で1人はそう答える。
「仲間は多いに越した事ないからな。リューの意見に右に同じ」
 にっと浅葱色の瞳を輝かせて、もう1人はそう答えた。
 それから再びカジェスへと向き直ると、仕方ないといった風に1つ頷いた。
「共に、行動はしよう。…だが、オレは部下ではない事を忘れるな。ユゼの日の騎士」
 淡々として少年の口から漏れた科白に、カジェスはその表情を強張らせた。
 何かを言いかけた姿に両手を翳すと、
「“覚醒の光”」
 セツの声がそう唱え、翳した両手から眩しい朝日のような光が溢れ出した。
 その光を浴びて、うっすらとイリューゼはその瞼を上げる。
「―――ラフェル様、今のって確か…」
 動揺を隠せずにダイが耳打ちする。
「ああ、僧侶では尤もハイレベルな光魔法だ。高位僧侶の資格がないと使えない」
 答えるようにして言ったラフェルは、口に出しながらも目の前で行われたその事実をまだ信じられずにいた。
 それでも、確かに先程のは光魔法に違いはないし、その前に使って見せたのは風魔法。 しかも風にしろ光にしろ、どちらも高位とされる呪文を唱えたのである。
 顔を見る事は出来ないまでも声からまだ年若いはずの少年である事を思えば、全く信じがたい事実であった。 


1章:帰って来た皇女 END

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