Eternal Wind
1章:帰って来た皇女 (01-02)



 月夜を司る精霊ニュクス、及び、宵闇を司る精霊シェイド。
 今宵は、宵闇の月。
「―――シェイドの契約により、我等を守りし結界を…」
 長々とした呪文詠唱の後で薄紫色の円形状の結界が周囲に張り巡らされた。
 いつもの二倍程度の結界を張るための呪文詠唱が済み、ほっと安堵の息を付く。
「うーん…。さすがにこれだけの大きさは、疲れるなぁ」
 そう呟いて顔を上げた青年の目の前に、イリューゼがじっと大きな赤い双眸で見つめて立っていた。
「何か用?」
 突き刺すようなその視線に、思わず問う。
「いえ…あの、えーっと…―――あれ、あなた、何ていう名前…?」
 ふと、イリューゼが呟く。
 青年もあれっとして首を傾げた。
「そういえば自己紹介、まだだったな」
 浅葱色の瞳を微笑ませてそう苦笑した。
「オレね、ラフェル。…放浪の旅の真っ最中。で、あそこにいるのが友達のダイ」
 言って、翠の瞳の青年――ダイを指差す。
「ちょっと待って下さい! 誰が放浪の旅で、誰が友達ですかッ!?」
 自分の名を呼ばれた事もあって、いきり立って叫びながら2人へと歩み寄った。
「オレが放浪の旅で、お前が友達」
 あっさりと笑顔で返した青年――ラフェルにきつい視線を返すと、
「ふざけないで下さい!」
 そう、一喝する。
「別にふざけてないが…。本当の事だろう、何か違うって言うのか?」
「全然違いますよ! ―――皇女、ラフェル様はただの家出です!」
 イリューゼへと向き直り、そう断言する。
「そんなはっきり言うなよな…」
 その科白に苦笑して呟いた姿に目を瞬きながら、
「家出って…何故、ですか?」
 そう問い掛けた。
「んー…。―――嫌になったから。嫌いだ…あんな家。だから、家を捨てたんだ」
「ラフェル様!」
 なおも叫ぶダイの姿にイリューゼは不思議そうに2人を交互に見つめる。
「それでは、ダイさん。あなたは…お友達ではないの?」
「違います。オレはラフェル様の家に代々仕えた家系で…、フォローアです」
 きっぱりとした口調で否定し、自らをフォローア――従者であると口にしたダイに、 あからさまに驚いた顔をイリューゼは返した。
「こいつが勝手に付いて来たんだよ…ったく。口煩いのなんのって…」
 ちらりとダイを睨んで仕方なしといった風な声音で呟く。
「では、高い身分の方なのでは…?」
「ユゼの姫様より高い身分の奴なんざ、この世界にゃいねーと思うぜ」
 ラフェルのその科白に、今度はイリューゼが苦笑を浮かべる。
「ところでイリューゼ皇女、あちらにいる剣士の方は?」
 ダイの問い掛け。
「え…あ、はい。彼の名は、カジェイズラント・ウキ。みんなにカジェスと呼ばれていたから、私もそう呼んでいます。 ―――ユゼの日の騎士で、私を育ててくれた方です」
 儚げな笑みを浮かべた。
「それと私の名前ですが、イリューゼじゃないの。16の誕生日を迎えているから、カルデナル…。 私と姉様、二人の名前。16才になったら表裏一体だから、私と姉様は。でも…」
 そこまで言って言葉を止めると、イリューゼは顔を伏せた。
 沈黙。
 瞬間それぞれの胸の内に宿り巡る思い。
「私の事は、リューで構いません。―――おやすみなさい」
 沈黙を破ってそう呟くと、二人にきびすを返してカジェスの元へと走って行った。
 その背を見送ってぽつりと、
「日の姫には日の騎士、ですか」
 そう、ダイが呟いた。
「だからきっと、月の姫には月の騎士が付いてる…だろうな」
 そう付け足してラフェルも自分の寝床へと移動する。
 ダイはその科白を反芻してから眠りへと入る自らの主たる青年の姿を見つめ続けた。
 深く、哀しい瞳で。
「―――幾らあなたが…。いえ、あなたでは…決して、無理な望みなのでは…ないのでしょうか。 ラフェル様、オレは、あの時のような…」
 月のない、静かな闇の中に溶け込んだダイの声がただ哀しく響いた。




「―――眠れませんか…?」
 ふと、背後から何の前触れもなしに掛けられた声にラフェルは全身をびくりと反応させた。それから恐る恐る振り返る。
「イリュ…、あ、リュー様、かな」
「リューで結構ですよ、ラフェル様」
 にっこりと微笑む。
「オレも、そんなに偉くないからラフェルでいいよ」
 同じようにして微笑んで返したラフェルにイリューゼはじっとその顔を見つめた、何かを懐かしむかのような眼差しで。
「…どうかし…しましたか?」
「いえ…。お隣、宜しいですか?」
「どうぞ」
 再び笑みを浮かべて答えたラフェルに、哀しそうな笑みを返すとその隣へと腰を降ろした。
「追われてるって知ってるだろ…? 何で旅なんかしてるんだ?」
 しん、と静まり返った闇の中にラフェルの声はよく響いた。
「姉様を…、ティアーゼ姉様を捜しているんです」
 弱々しく答えたその言葉に、一瞬ラフェルの胸がドキリと鳴った。
「別々…なのか」
 軽く呟いた残念そうな声音に、イリューゼは小首を傾げる。
「―――で、オレを直視していた事と、何か関係あんの…その事に?」
 ふと昼間の事を思い出して、気になっていたから率直に尋ねる。
「あ…、やっぱり気付いてましたか。いえ、その…髪の色とか、瞳の色とか、凄く姉様に似てるから…」
 小さく答えた声に、「なるほど」とラフェルは頷く。
「雰囲気なんかも、本当によく似てて…。姉様がいるみたいだなぁって…そう思って」
「そんなに似てるか? …もっと色が白いだろ、ティアーゼは」
 しみじみといった風に話すイリューゼの姿に、ふと、ラフェルは脳内に今も変わらぬ姿で思い出される少女の姿を描きながら呟く。
「それにさ、瞳の色だってオレ何かよりずっと…そう、宝石みたいで綺麗だろ。 髪の色だって…確かに銀髪だが、ティアーゼのは何て言うか、 月の光を織り込んであるみたいに淡い感じがするし…―――って、どうかした?」
 頷きながら話に耳を傾けていたイリューゼの表情が困惑を帯びて来ている事に気付き、不思議に思って問い掛ける。
「いえ…その、少し驚いたと言うか…。姉様の事詳しいなって…そう思って」
「ああ、それなら…。ずっと前に、レイザント城で剣を交えた事が…―――ッ!」
 そこまで言って自分は言ってはならない事を口にした事に気付いて、慌てて右手で口を塞ぐと愕然としてイリューゼを見つめた。
「どうぞ、続けて下さい」
 にっこりと微笑んでそう告げる姿に、
「あ…いや、その…」
 僅かに上ずった声で何と答えていいものかと思案する。
「何かまずい事でもあるのですか?」
 慌てふためく姿をじっと見据えた瞳でそう問い掛けるも、声音に変化は見られない。
「…少し」
 溜息と共に力なく正直に答える。
「そうですか…。―――ラフェルは、姉様の笑顔って…見た事ありますか?」
 何の脈略もなしにそんな事を口にして微笑む姿に、動揺していたラフェルの顔が別の意味での動揺を誘い真っ赤に変色する。
 こくん、と首を上下に大きく一度だけ頷き返した。
「どんな?」
 変わらぬ笑顔で重ねて問い掛けてくる。
「どん……って、そんな聞かれてもなぁ。そうだなぁ…」
 色褪せる事のない思い出の中に浮かぶその笑顔を念頭に描き、困り果てたように呟くと、
「…さしずめ、天使って言うよりは、悪魔の微笑みかなぁ…。―――あ、妹の前でさすがにそれはないよな…ごめん」
「いいですよ、別に…怒りませんから。それで…ラフェルさんの見た悪魔の微笑みって、どちらの意味で?」
 そう尋ねるとにこにこと微笑んでいる。
「それは…」
 呟いてから、だらだらと全身から冷や汗が零れ落ちてくる。
 今が昼間だったとしたら、全身真っ赤になったラフェルはさぞかし見物であった事だろう。
「それは、何ですか?」
 なおも、問い掛けてくる。
「それは…、その…」
「ラフェルは、姉様の事…好きですか?」
 きょとん、とした何気ない声。
「×〇▲☆△ッ?」
 イリューゼの科白に、言葉にならない声をラフェルは口の中で叫んだ。 外に現れたのは、明らかに動揺しているその姿と躰の硬直だけ。
 それを横目で見たイリューゼはくすっと笑う。
「何だか、大当たりみたいですね」
 サァ―――――ッと全身の血の気が引いて行くのをラフェルは感じていた。
「い、いや…決して、そんな…事は、ないって、言うか…」
 しどろもどろな科白もそうだが、固まったままの躰が肯定以外の何ものにも変わらぬ返事だ。
「いいのよ、別に。無理しなくても…。まあ、アレを見たら仕方ないから…」
 くすくす笑いながら、視線を遠くへと流すと、
「姉様は普段全然笑わないでしょう? 少し、人見知りしてるだけなのだけど…。だから、 姉様の笑顔は凄く貴重で…―――ラフェルも、姉様に会いたい?」
「ああ。―――あ、いや! そうじゃなくて…」
「別にいいから、気にしないで。…ラフェルは信用出来るから」
 言って視線を合わせるとにっこりと微笑むその無邪気な笑顔に、一瞬、ずきりとラフェルの胸が痛んだ。
「その根拠はさ、どこから来るんだ? つい数時間前に会ったばかりの相手にさ」
「姉様」
 視線を逸らしての問い掛けに、イリューゼは短くそれでいてきっぱりとした声で答えた。
「姉様の、あの笑顔を見た人なら信用出来る。だって姉様、自分が信用出来ない人の前だとにこりともしないから…」
 姉の姿を脳裏に思い描くと思い出したかのような笑みを零す。
 純粋に、姉を慕う妹。
「そんなに信用していいんか、オレの事?」
 複雑な表情で呟くラフェルに返ったのはクスクス笑う声だけだ、姉とは違うころころと表情を変えて笑う少女。
「だってそうでしょう? 姉様が名前で呼ぶの赦したんでしょう。ティアーゼって?」
「え…」
 笑いながら告げられた言葉に、再度ラフェルの躰が硬直した。
「何で、そんな事知って…?」
 茫然として呟く声にイリューゼは小さく噴出した。
「さっきから何度かそう呼んでたから…。気付いてなかったの?」
 あっさりと返されて、ラフェルの視線が宙を泳いだ。
「―――それじゃ、明日から宜しくね」
 主語の抜けた言葉を口にして、イリューゼは立ち上がった。
「え…? 明日からって、どういう――」
「姉様に会いたいんでしょう? だから、理由はそれで十分かなと思ったのだけど…恋する人には、ね」
 くすくす笑いながらラフェルの科白を区切ると、
「おやすみなさい」
 そう付け加えて、真っ赤な茹でタコ状態になったラフェルを一人残してその場を後にする。
 硬直したまま自己嫌悪と興奮が冷めず、ラフェルは寝ずの一夜をその場で過ごした。




「一体何をお考えなんですか? ラフェル様」
 ダイが隠そうともせずにむすっとした顔と声で問い掛ける。
 朝一番から。
「何がだ?」
「何故、皇女の、護衛を、引き受けたのか、と、聞いているのですよ」
 一々区切りを付けて、憮然と睨み付けながらそう口にする。
「聞こえるぞ…そんなでかい声出してると」
 ぼそりと呟く。
「はぐらかさないで下さい」
「報酬、もう貰ったんだから。いーだろ、別に」
「そんな事をして、もしバレたりしたら…」
「あのね、ダイ。オレは勝手に家を出たんだ。お前がいる必要もなければ、そんな心配無用なんだよ」
 そう言うと、前を歩く二人へと視線を移し、
「別に、文句があるなら帰ればいいだろ」
 付け加えられた言葉は、この四年間で何度もダイが耳にした科白だ。
「それでもし、オレが現状を話したらどうしますか?」
「お前の人生だろ、勝手にすればいい」
 言い切って、拳を握る。
「それにオレは…―――アイツが大嫌いだからな」
 怒りの込められた声音での一言に、仕方ないといった風な息を吐く。
「ラフェル様、しかしですね」
「何度も言ってるだろう、帰りたければ、一人で帰れ!」
 聞き飽きたと言っても過言ではないその叫びに、ダイは溜息を吐き出した。
「…本当、仕方のない人ですね。―――ですが、もし…ラフェル様の命に関わるような事があれば、オレは皇女を売りますから。 覚えておいて下さい」
「勝手にしろ」
「そうします」  



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