Eternal Wind
1章:帰って来た皇女 (01-01)



 聖なる国ユゼが地上より消えて、早十年が経過していた。
 侵略国ミュートリアはかつてユゼのあった国を新たに本国として都を構え、 亡国ユゼの“運命の双子”、双子皇女を捜し続けていた。
 10年経った今も、2人の皇女は見つかっていない。




「あー…退屈だ」
 小さな街外れの食堂で昼食を取り終えて食後の珈琲を飲んでいる、若い青年が呟く。
 首の所で結ばれた見事な銀髪は近年だらだらと伸ばされたモノで身に付けているのは割かし厚手だが動きやすいデザインのものだ。 それに付け加えて周囲の気を引くには十分過ぎる程に整った顔立ちと銀の髪によく合った浅葱色の瞳の色。そして程よく焼けた褐色の肌。
 気ままな旅人である事は一目瞭然。
「なぁんか面白れー事、ねぇかなぁー…」
 大きな伸びと共にそう呟くと、次いで大きな溜息を吐き出した。
「ないです! 絶対に、もうッ!」
 青年と向かい合って座っていた同じ年頃の青年がそう叫び返す。
 先の少年とは違って、野性的なイメージの強い茶褐色の肌に萌黄の髪が揺れ、翠の瞳が釣り上がってその怒りの度合いを表している。
「随分、はっきり言うなぁ」
 感心したように呟くとずいっと詰め寄る。
「その根拠はどこから来てる?」
 真剣な顔で問い掛ける姿に、はぁ、と溜息にも似た息を付くと、
「だって、そうじゃありませんか! この4年間…、毎日毎日、よくもまぁ、あれだけの大騒ぎが起こせたものですよ!」
「そうでもねーよ。あれくらい」
 いきり立って叫ぶ姿にあっさりと返すと、愉しそうにクスクス笑う。
「とにかく、もういい加減に――」
 青年がそう言い掛けた途端、勢いよくテーブルを叩いてその科白を止める。置かれていた珈琲のカップが軽く揺れた。
 突然の音に、周囲の人間の目がそこに集中する。
 だが、2人にはそんな事を気にかけた様子は微塵もなかった。
「その話はしないと言っただろう」
「しかし、もう4年も…」
「くどい! 誰が、あんな――」
 拳を握り締めて一喝する。
 周囲の人間が見守る中、2人の言い合いはそこで途切れた。
 数秒、眼前の翠の瞳の青年を無言で睨見付けてから、荒々しく席を立つと銀の髪を靡かせて店を後にする。
「待って下さい!」
 叫んで、慌ててその後を追った。




 街を出た2人の青年は、南に向かう森の中を歩いていた。
 店を出てから、彼等は一言も口を開いてはいない。
「ラ――」
「帰りたいなら、1人で帰れ!」
 話を切り出そうとした翠の瞳の青年の科白を切って、聞く耳など持たない様子の青年は予想通りの言葉を叫ぶ。
「しかし…」
「オレには関係ない!」
 1つ叫ぶと、歩行スピードを上げる。
「待って下さ――」
「―――“氷の飛槍”!」
 遠くから聞こえた攻撃魔法詠唱の声が、今度は青年の言葉と足を止めた。
「今のは…?」
 呪文が聞こえた方向を向き、訝しむように翠の瞳を歪ませて呟く。
「水の僧侶の呪文だ!」
 叫ぶと同時に、銀の髪を風に乗せて走り出す。
「どうして…そんな事、わかるんですか?」
 慌てて後を追って、問い掛ける。
「水系の魔法だったろうが。高位僧侶なら“槍”だが、さっきのは“飛槍”だったろう?  区別も付かないのか、お前は…」
 呆れ返ったような声。
「…はい」
 がっくりと項垂れて頷く。
「だからいつまで経っても、低位のままなんだよ、お前…」
 ぼそっと呟く。
「悪かったですね! どうせオレは僧侶の才能ないですよッ!」
「お前が拗ねても可愛くない。逆に気持ち悪いから、やめろ」
 つん、として言い切るとさっさと走って行く。
(何でオレ、ここまで言われて一緒にいるんだろう…)
 ふと、そんな事を考える。
「この向こう、だ…―――――あぁああっ?」
 言いながら森を抜けた青年の足が急ブレーキでも掛かったかのようにして妙な声と共に止まる。
「どうかしましたか?」
 後ろから走り寄りつつそう問い掛けて、背後で立ち止まる。
「見てみろ…」
 そう言われてもう1歩足を踏み出した途端、翠の瞳が1点を見つめて動きを止めた。
「ガケ…?」
「森を抜けてすぐに崖とはたいしたものだ。危うく勢い付いたまま落ちる所だったな」
「感心してる場合じゃないでしょう!」
 その科白に、浅葱色の瞳を微笑ませる。
 満面の微笑は男であっても見とれさせる整った顔立ちだ。それに翠の瞳を僅かに伏せると、 これで性格がよければ…などと心の中で大きな溜息を吐き出す。
「それならあそこで戦ってる」
 言うと、崖のすぐ下、北の方角で砂塵の舞っている地点を指差した。
「ああ、なるほど…―――って、助けに行ったりしないんですか?」
 頷いてから、はっとして叫ぶ。
 その声に浅葱色の瞳が悪戯っぽく輝いた。
「面倒事は嫌なんだろ?」
 にっと笑う。
「それは…」
 言葉に詰まった姿に、不適な笑みを続けた。
「―――わかりました。見捨てて行くんですね?」
 むっとした声音で、僅かに翠の瞳を釣り上げてそう問い返した。
「そうする? オレは別に、構わないが」
「じゃあ、行きましょう」
 視線を合わせる事なくそう言うときびすを返して森の中へと戻ろうと歩き出す。
「―――待て!」
「今度は何ですか?」
 制止の声を上げた青年に対し、振り返りもせずにそう口にする。まだ声音には怒りが込められていた。
 だが銀髪の青年はそんな事など気にも止めずに崖下で繰り広げられている戦いに見入っている。
「どうかしたんですか?」
 問い掛けるも返らない返事に振り返ると、自分を気に止めた様子のないその姿に溜息がちに問い掛けた。
「あれは…ミュートリアの兵じゃないか?」
 怪訝そうな声を出して問い返す。
「こんな辺境の地に?」
 まさかと思いながらも確認のため、よく観察する。
 南へと逃げながら攻防している者を追っている者達は、確かにミュートリアの戦闘服を着ている。
 が、しかし。
「そうですか? そこまで見えませんよ、あんな遠くにいる人間の服装なんか…」
 とりあえず見ては見たものの、どんなに目を凝らしてみても人が数名いて戦闘中という事しか確認出来なかった。
 それを聞いて、あからさまな溜息を漏らす。
「何ですかっ、その溜息は!」
「いや、別に…」
 短く呟くと、青年は追われている者を確認しようとじっと目を凝らす。
「女が1人…それと、爺が1人」
 言ってから、視線を隣にいる翠の瞳に合わせる。
「どうするんだ? 弱きを助け強…何とかってのは?」
 じっと一見真剣ともとれる眼差しで自分を見つめる浅葱色の瞳に、
「仕方ありませんね」
 溜息と共にそう吐き出した。
 しかし、その科白を言い終える前に青年は銀の髪をはためかせて崖を飛び降りる。
「―――って、まだ!」
「んな悠長な事言ってる間に死んじまうかもしんねーぜ!」
 そんな科白を残して、青年はすでに点と化していた。
「なんっ…」
 翠の瞳に疲れきった色を浮かべて、しぶしぶといった風にその後を追った。
 崖の高さは、数100メートル。
「―――そろそろかな? “風の翼”」
 頃合を見計らって、呟く。
 刹那、背に半透明な翼が広がった。
 それと共に、勢いに乗ってかなりのスピードで落下していたはずの青年が空中でぴたりと止まる。
「うーん…。やっぱり魔動術も、飛ぶのを覚えときゃよかったな…」
 ぽつりと呟く。
 この年になって背中に翼というのはさすがに少々恥ずかしいらしい。
 そのまま目的地に向かおうとするも、何かが頭の隅に引っかかった。
「―――はて?」
 宙に漂いながら懸命に考える。
 しかし、思い出せない。
「ま、いいか…」
 にぱっと笑う、思い出せないのなら大した事はないのだろうとふんだのだ。
「よくありません!」
 そんな声が頭上より轟いた。
 おやっとして視線を送った青年は、途端何を忘れていたのかを思い出した。
「ああ」
 ポン、と手を叩いて笑う。
「ああ、じゃないですよ…。オレは――」
「悪かった。じゃ、オレ先に行くからな」
 目の前まで漂って来た姿に軽い笑みを返すと、相手の言い分など言う間も聞く間も与えずにそう口にしてさっさと行ってしまう。
「ちょっ――」
 もう、見えない。
「―――オレの事を馬鹿にしてる割に、忘れっぽいんだよね…あの人は」
 はああ、と大きな溜息を吐き出してからゆっくりと平衡移動を開始した。
「―――全く、このような所で見つかるとは」
 40才前後といった風体の男が忌々しげに呟く。
「仕方、ないでしょう…」
 澄んだ花のような声音がすまなそうに返した。
「とにかく、お逃げ下さい。ここは何とか、私が…」
「そういう訳には、参りません…」
 はあっと大きく肩で息をしながら答え、
「“氷の飛槍”!」
 少女が呪文を唱える。
 しかし、同じ手が2度通じるような相手ではなかった。
 今度は軽くかわされる。
「―――はぁ、はぁ…」
 少女の方はすっかり体力が限界に達していた。一目見ればわかる、その披露困憊度。
「行って下さい!」
 男が叫ぶ。
 少女は男の自分を見る眼に頷き返し走り出そうとしたが、足を引っ掛けてその場に倒れ込んだ。
 男は、一瞬、少女の方に気を取られる。
 その隙に1人の兵士が少女に向かい手にした剣を振り上げた。
 慌てて男は少女の元へと走り寄ろうとするも、他の兵士達がそれを赦さなかった。
「覚悟っ!」
 兵士は叫び、剣を振り下ろした。
「“爆風”」
 風の呪文が響き、剣を振り下ろした兵士はそれによって10メートルほど吹き飛ばされる。
 突然割って入った声と、宙を飛んだ兵士とに、全員が茫然と見守る中、1人の青年が銀髪を靡かせてふわりと地に降り立った。
 それから、一同を見回してにっこりと微笑む。
 その笑顔に、瞬間誰もが時を止めた。
 しかし数秒で我に返る、おそらく肌が褐色でなければもう少し長く止められたのであろうが。
「お、お前は誰だ…」
 男なんかに見とれていた自分に動揺しながら問い掛ける。
 周囲の時間が止まった事にクスクス笑っていた青年がその問いにぴたりと笑うのを止め、変わって真剣な表情を浮かべた。
 それから眉間に皺を寄せて何かを考え込んでいる。
 当然、兵士達は無視されたのかと思い、口々に叫び声を上げながら当初の標的を忘れて青年へと飛び掛った。
 しかし、それらの攻撃は1つも当てる事は出来なかった。
 青年はぼうっと何かを考え込んだ仕草のままで軽く兵士達の攻撃を避けている。
「―――よし!」
 何の前触れもなく青年は叫んだ。
 一瞬兵士達はたじろぐも、再び切りにかかる。
「“爆風”!」
 叫んで、邪魔な兵士達を遠ざける。
「そうなんだよな。名乗ってこない奴等に対してさ、礼儀正しく答える必要なんかねーよなぁ…」
 言って、青年は薄く笑った。
 顔がなまじ整っているだけにその笑顔は異様なほど背筋に悪寒を走らせる。
 ごくり、と兵士達は生唾を飲み込んだ。
「オレは、通りすがりのイイ人だ。で、お前等は悪い人な」
 あっけらかんとして妙な事を口にするとクスクス愉しそうに笑う姿に、兵士達はぴくっとだけ反応を見せて僅かに震えている。
 無論、怒っているのだが。
「ふざけるなぁ!」
 1人の兵士が叫んだ。
「我々を誰だと思っている! ミュートリアの兵、この服が――」
「だから?」
 兵士の科白に青年の目付きががらりと変化する。声も、トーンが数段低いものへと変わっていた。
「言っとくけど、オレさ…。その名前聞いただけで虫唾が走るんだよね。で、てめぇら何だって?」
 すっかり、周りの空気さえも変化させていた。
 とても先程の人物とは同一の者とは思えない雰囲気。
 その変化に兵士達は「殺される」と本能で感じ取った。
 そして、尤も良い方法を取ったのである。
 撤退。
 情けない話だが彼等に出来る最高の抵抗であった。
 しかし。
「逃さん!」
 男の声が響いた。
 兵士達は突然現れた青年にすっかり気を取られて、当初の敵である者の存在を忘れていたのだ。
「“紅炎斬”!」
 男が叫びながら剣を振り下ろした。
 すると、剣が炎を纏い大地に落とされる。
 一瞬にして大地が赤く燃え上がり、兵士達は水のように音を立てて蒸発した。
 だが燃え盛った炎は兵士達だけを焼き尽くし、落ちたはずの大地に萌える植物には何の影響も与えてはいなかった。
 その剣筋を青年は細い眼差しで見つめる。
「あんた、ユゼの日の騎士だろ?」
 その瞳のまま、唐突にそう問い掛けた。
 日の騎士――その言葉を耳にした途端に男は青年へと剣先を向け戦闘の構えを取る。
「貴様…何者だ?」
 静かに問う。
 しかし、青年は答えなかった。ただ静かに男をその双眸で見つめた。
 2人の間に重い空気が流れる。
「答えぬのなら…」
「やめて、カジェス!」
 悲痛な制止の叫び声が青年の後ろからかけられた。
「しかし…」
「いいから。この人は、助けてくれたでしょう?」
 煮えきらぬ様子の男をたしなめるようにして言うと、少女は小走りにその傍へと走り寄った。
「失礼しました」
 そう、改めて青年へと向き直った少女は丁寧な一礼をする。
「別にいいよ。気にしてないか…ら」
 青年はぶっきらぼうにそう返すも、顔を上げた少女に目を見開いた。
 その顔には覚えがあったのだ。
 唖然としている青年に、少女は小首を傾げる。
「―――あんた、イリューゼ皇女、か…?」
 途切れ途切れに尋ねた青年に少女は一瞬驚いてから、しっかりと頷き返した。
 確かに服装からして旅をしている一般人のそれにしては質の良いモノだ。そして、決定的とも言える見事な金髪と紅い瞳。
「私を、ご存知ですか?」
「あ…いや。その、有名だから…色々と」
 たどたどな返答。
 しばらく、緊張した空気が続いた。
「―――って、あれ? もう終わってしまったんですか?」
 その場の緊張の糸をぶちびちっと断ち切って、上空から暢気な声を翠の瞳の青年が尋ねた。
「阿呆! 遅すぎるッ!」
 返った叫びに口を尖らせると、
「そんな事言ったって、オレは上手く飛べないんですからね!」
「根性で何とかしろぃ、それくらい!」
「無茶言わないで下さいよ!」
 ふわりと地に降り立つと青年の隣で負けじと叫び返した。
 叫んでから、ふと、自分達を見つめる視線に気付き、その方向へとゆっくりと首を巡らす。
「あ……ぇ…」
 自分達を見つめながら魚のように口をぱくぱくと動かして硬直した青年に、少女――イリューゼは微笑みかける。
「なっ…何で…」
 小さく口裏で呟いて視線を元に戻すと、声にならない声で問い掛けた。 それを面白そうな瞳で見つめていた青年は浅葱色の瞳をいっそう輝かせて微笑む。
「ま、そういう事なんだ」
 それだけ言うと、にまっと笑う。
 これは、翠の瞳の青年への嫌がらせである事に違いなかった。
「落ち着けよ?」
 苦笑しながら軽く硬直気味のその肩をぽんぽんと叩く。
「こ…これが、落ち着いて、いられますか!」
 そう叫ぶと、喉を詰まらせる。
 激しく咽込んでいる姿を横目にして視線をイリューゼへと移した青年は浅葱色の瞳で微笑むと、
「もうすぐ日暮れだろ? この近くに街なんかないけど…あんたらどうするつもりだ?」
「私達は急ぎ次の街へと行かなければ…」
 そう返してから、顔を少し上げる。
「いけません。少しお休みにならなくては。もし、明日また同じように襲われた時、どうなさるおつもりですか?」
 自分を見つめる問い掛けるような眼差しに厳しい視線を返してそう口にする。
「でも…」
「貴公等はどうするつもりだ?」
 イリューゼの呟きを黙殺して、青年へと問い掛ける。
「オレ達は精霊魔法使っていつも通り野宿だが…。まぁ、その辺よりは安全かもな」
 答えて、にっと笑う。
「な、何を言ってるんですか!」
 付け加えられた科白にその意図を察した青年が慌てて口を挟むが、浅葱色の瞳はそちらへ向く事もなく全くの無視で話は進められた。
「…では、どの辺りで今夜は休むのか?」
「とりあえず、この平地じゃ無理だな」
 苦笑する。
「この上で本当は休むはずだったんだ。だから、上まで移動して貰いたい」
 青年のその科白に、全員が上を見上げた。
 遥か天まで届きそうな程に高く続く、断崖絶壁。
「この、上…?」
 密かな呟きをイリューゼが漏らす。
「無理ですか?」
 青年の問い掛けに、イリューゼは西の空へと視線を巡らした。
 すでに太陽は地平線に沈んだ後、辺りを赤く名残りの光が染め上げているだけ。
「―――はい」
 力なく頷く。
 彼女の力が有効なのは、太陽の加護のある間だけ。
 夜は姉であるティアーゼがその力を十二分に発揮出来る時間帯。
「少しの高さなら何とかなるのですが、さすがにこの高さは…」
 申し訳なさそうに、それでも正直に言う。
「別にいいですよ。…少しだけ我慢して頂ければね、オレが上まで送りますから」
「…お願いします」
 そう言って微笑む。
「それじゃ…っと。“風の翼、三組”」
 ちらりと視線を流しつつ声と共に指し示すと、3人の背に風による翼が生える。
「ちょっと待って下さい!」
 制止の声がかかった。
「あ…悪い、忘れてた。“風の翼”」
 平謝りを返して、翼を与える。
 4人全員の背に翼が生えた所で、崖の上への移動を開始した。  



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