Eternal Wind
序章:深淵の入り口を開く者 (00-03)



 ギィーッ―――、重く低い音が響き、扉が開かれた事を告げた。
 そこは薄暗い謁見の間。
 玉座の辺りだけが、天からの満月の光を受けてぼうっと浮かび上がっている。
「何か用か?」
 玉座に尊大な態度で鎮座していた1人の男が、機嫌を損ねたかのような声音で闇の中の開かれた扉に向かって問い掛ける。
「あなたが座っている所は、このユゼを治める皇王が座るべき玉座。何故、あなたが其処にいるのか?」
 いやに威圧感のある、女の声が闇から返った。
 一瞬、びくりと男の躰が強張る。
「…その、通りだ。今や私は、この城の主だからな」
 僅かに震える声で、男はそう答えた。
「なるほど…。征服者の特権、か。では、あなた方が真に望むモノは…ユゼの双子ですか?」
 カツン、カツン――、一歩ずつ近付く足音と共になおも女の声が問い掛けてくる。
「そうだ…。我が主、ラディアス王が、その力を欲しておられる」
 男の言葉に、ぴたっと足音が止まった。
「その人は、今、此処に?」
「いいや…。明日にご到着なされる、その前に――」
「一刻も早く、2人の皇女を捕らえなければならない…という事?」
 男の科白を遮って、女が言葉を続けた。
 それに男は答えず目を細めて闇に潜むであろう女を見つめる。
「―――そう」
 男の無反応に呟くと、1歩ずつ足を進め、闇の中からその姿を現した。
「な…に?」
 男は自らの目を疑うかのような声で、唸った。
 そこにいたのは少女だ、5、6才の。
「初めまして」
 短く言って、少女は笑う。
「あなたのような下等な生き物は私を見た事がないのでしょう? 私がお捜しの第一皇女、ティアーゼです。初めまして」
 にっこりとした笑みを浮かべたまま自己紹介をする姿に、男は驚き戦いて茫然とした瞳を返す。
「何故、逃げなかったのか…?」
 男はそのままの顔でそんな事を口走った。
 その科白にクスクスと笑い返してから、軽く睨み付ける。
「だって、あなた方の狙いは私とイリューゼなのでしょう? 何故逃げる必要があるというの? 命の保証は赦されているのに」
 幼い少女とは思えぬ薄笑みを浮かべると男を見据えた。
「…なる、ほどな…。賢い選択だ。それで、此処へは何をしに来た?」
 ティアーゼに完全に気圧され震えた声ながらも、男は必死に威厳を保とうとしながらそう問い掛けた。
「挨拶、だけど」
 短く答え、さらに1歩男へと近付く。その行動に、男は玉座の上で半身後ずさった。
 その姿にティアーゼはクスクス笑う。
「安心しなさい。―――武器になるようなモノなんて、何も持ってないでしょう?」
 言って、両手を広げる。
 確かに、腰に剣は挿してはいないし、背にも背負っている様子はない。
 元より幼い少女の事だ、そんなモノを隠せる所など他には見当たらない。
「その、ようだな」
 やっと安心したかのように、安堵の息と共に呟く。
 その様子ににっこりとした笑みを返すと、玉座へと歩み寄った。
 それに対して、今度は後ずさる事なくゆっくりとした動作で玉座から立ち上がると、 視線を逸らす事なくティアーゼをしっかりと見据える。
「―――では、皇女ティアーゼよ。ラディアス国王に忠誠を誓え」
 言って、右手を差し出す。
 それに答えるようにして微笑んだティアーゼは、もう1歩前へと進み頭を垂れた。
 それを満足そうに見つめた後、男は視線をティアーゼから外した。
 上目遣いで男の様子を探っていたティアーゼは、それを、その一瞬を逃さなかった。
 すっ、と右手を背中へと移す。
 次いで、その背にあるモノの留め金を静かに外した。
 チャキ―――、小さなその音と共にティアーゼが勢いよく頭を上げる。
 次いで、ビュンッ、という風を切る音が響く。
 赤い、赤い、真っ赤な一線が空中に描かれた。
 ボトッ―――――。
 何かが落ちる、鈍い音。
「ぐ、わあぁあああああ―――――ッ!」
 それから、男のけたたましい叫び声。
「下品ね…」
 ティアーゼは薄く笑ってそう呟いた。
 その右手には30センチほどの、血に染まった短剣が握られていた。
「き、貴様ぁー! よくも、オレのぉ…」
 右腕から真っ赤な鮮血を滴らせながら、男はティアーゼを必死ともとれる形相で睨んで言葉を吐き捨てる。
 だが幼いはずの目の前の少女は、それすら平然として見つめ返していた。まるで、当然の報いだとでも言うかのように。
 男は左側に指してある剣の柄を懸命に左手で掴み、抜き取ると、高く振り翳した。
「死ね!」
 叫び、男は剣を振り下ろす。
 しかし、その剣先は宙を切った。
 ティアーゼは男が剣を振り翳した時点で飛び上がって後退していたのだ。 男から数メートル離れた所に着地してから、嘲笑うかのような笑みを浮かべる。
「誰が…そのような輩に忠誠など誓うものか。お前の首級を上げ、無念のままに逝った父と母の仇を討つ!」
 そう叫んで、キッと男を睨み付けた。
 激しい怒りを称えたブルーサファイアの瞳は凍れる深海のそれへと姿を変えていた。
 短剣を力強く握り締め、男に向かって飛び上がった。
 男は、懸命に左手でティアーゼの剣を受け返す。
 ティアーゼは剣を向かわせながら、その、瞬時に生まれる隙を狙っていた。 大人と子供、手にする武器の大きさの違い、男が片腕を無くしたとはいえ普通に戦っていては勝てる相手ではない。 ユゼを永きに渡り統べていた皇家、その直系である父を倒したほどの者なのだから。
「たかが…小娘1人」
 男は呟いた。
 しかし、その予想を遥かに越えてティアーゼは手ごわい相手だった。
 見かけはただの子供だが、大人に引けを取らぬ剣の使い手。
 少しずつ、男に焦りの色が見え始める。
 そして、ティアーゼはその僅かなチャンスを逃さなかった。
「くらえッ!」
 叫び、男の頭上から左肩を狙って短剣を振り下ろした。
 ズッ―――――。
 鈍い音が響いた。
 男は、叫び声を上げるかに思えた。
 しかし。
「所詮は子供よ!」
 叫んで、肩に短剣を突き刺した事で体勢を崩しているティアーゼに向かって剣を振り下ろした。
 突き刺さったままの短剣を手に強く握ったままのティアーゼにそれを避ける暇などなかった。
 ズブゥッ―――――。
 ティアーゼの躰、右肩から右腕にかけて深々と剣が突き立てられる。
「くっ…」
 苦しそうに声を漏らした後、男の足元に崩れ落ちる。
 床にうつ伏せになって流れ出る血液の中の傷口を睨むようにして小さな左手できつく掴む。
 ドクドクと容赦なく赤い道が作られていった。
「止めだ!」
 男は叫んでティアーゼを一睨みした後、高々と剣を振り上げる。
 僅かに顔を上げてそれを悔しそうに睨み返す姿に、薄笑みを浮かべ剣を振り下ろした。
 ガキインッ―――――。
 剣と剣のぶつかり合う音。
「貴様は…!」
 男は自らの剣を止めた相手――若い剣士に向かって忌々しげに呟く。
「愚者に語る名などない!」
 剣士はそう答えると、剣を男ごと跳ね退けた。
「セシリアさん! ティアーゼ様はッ?」
 背後に回ったセシリアに問い掛ける。足元に血に塗れて横たわるティアーゼの様子を自分で確認したいが、 目の前の男をそのままにはしておけない。
 セシリアは恐る恐るティアーゼを抱き上げると、血の流れている傷口を確認する。
「何とか…無事です」
 言って、数歩後退して剣士と男の傍から離れる。
「そうですか…。―――では」
「逃げない…」
 剣士の言葉に付け加えるようにティアーゼが呻いた。
「ティアーゼ様!」
 何を言っているのかと、セシリアが声を荒げた。それを青褪めた顔で睨むと、
「このまま、逃げるなど…」
 呟き、ティアーゼは男を睨んだ。
「いけません!」
 負け時とセシリアが叫ぶ。
 しかし、ティアーゼはそれに従おうとはしない。セシリアの腕より逃れようと自由の利く左手に力を込める。
「セシリアさん! そのまま、窓から跳び降りて下さい!」
 ちらりと窓の外に浮かぶ満月を眼にし、剣士が叫ぶ。
「嫌よ! 私は――」
「イリューゼ様の事をお忘れですか!」
 ティアーゼの科白を区切るように剣士が叫び、男の剣を再び跳ね退ける。
 その科白に、はっとしたように目を見開くとティアーゼは悲痛な表情で男と睨み合う剣士の背中を見つめた。
「―――セシリアさん、降ろして頂戴…」
 俯いて、掠れんばかりの小さな声でそう呟いた。それにセシリアは素直に従う。
 しっかりと自分の足で立ち上がり伏せていた顔を上げると男を軽く睨んだ、そして窓に向かって走り出す。
「覚えてなさい! 必ず、お前は、私が殺してやる!」
 そう叫ぶと、窓に向かって飛び込んだ。
 パリンッという音が響き、ティアーゼはその向こうの闇へと消える。
「セシリアさん、走って!」
 茫然としているセシリアに向かって剣士は叫び、ティアーゼの後を追って窓から飛び降りた。我に返ったセシリアもそれに続く。
 男は、突然のその出来事に只茫然と立ち尽くした。
 暫くして、水音が3つ、その耳に届く。
 この部屋の西側の窓の下数十メートルの所は湖になっていた。ナラクーシャという名のユゼ皇家の水葬の墓場。
 その湖は底なしと言われており、1度沈んだモノは2度と浮かんでは来なかった。
 男は弾かれたようにして慌てて窓辺へと走り寄る。
 水面に人影は見られなかった。
 優しい満月の光に照らされた湖は、ただ静かに小波が漂っている。
 よく、目を凝らしてみると、一部分だけ赤くに染まっていた。
 ティアーゼの流した血。
 静かに、それは水面を流れた。
 男は茫然としたまま、それを見つめていた。赤く染まった、湖を。
 やがて赤く染まっていた水面は元の正常な色を取り戻した。
 男は血がすっかり消えてから、大きく安堵の息を漏らした。
 ティアーゼが死んだという証拠は、もうない。
 ふいっと男がやっとの思いで窓辺を離れた頃、遥か東の地にあった太陽が、空高く輝いていた。
 この日―――――、ユゼは地上からその姿を消した。  


序章:深淵の入り口を開く者 END

■BACK   ■MENU   ■NEXT