Eternal Wind
序章:深淵の入り口を開く者 (00-02)



 惨劇の幕は、夜も明けきらぬ闇の中で切って落とされた。


 突然の、侵略攻撃。
 狙いはユゼの“運命の双子”。
 それは予想すらされなかった事。
 確かに、ティマ・ティアスの人々は剣術の訓練をする。が、それは外敵に備えてではなく他国での戦争を平定するためのもの、 自国防衛のためなどでは全くない。
 神の加護を受けた国なのだから、当然のようにユゼに攻撃を仕掛け様などと考える者は長い歴史の中で皆無であった。
 よってこの日、建国より初めて――ユゼは自国が戦場と化した。
 急な襲撃により、戦いはユゼに圧倒的不利な形で流れていった。
 その襲撃はセシリアが“運命の双子”に出会ってから僅か3ヶ月後の事である。
 セシリアは襲撃があってすぐに、2人の皇女の下へと向かった。
「ティアーゼ様! イリューゼ様! ご無事ですかっ!?」
 叫びながら目の色を変えて部屋に走り込んで来る。
「「セシリアさん!」」
 2人は声を合わせてその名を呼んで傍へと駆け寄った。
「お二人とも…、お怪我は?」
 問いかけながら2人の様子を探るセシリアの方が顔色が悪い、真っ青だ。 むしろお前が大丈夫か、と言いたい所だがそれだけ慌てていたという事だろう。
「ここはまだ攻撃を受けてはいないから…、大丈夫よ」
 にっこりと微笑んだイリューゼが答える。
「そうですか…それは何よりです。―――では、すぐに逃げましょう。ここにいては危険です」
「―――ねえ、父様と母様は?」
 きょとんっとした瞳でイリューゼは問い掛けた。
「え…あ、はい。―――ラヴィス皇王は、民と共に戦うとおっしゃられて城を出て行かれました。 メシエ皇妃は避難された、と聞いております」
「じゃあ、セザは? …庭園は?」
「セザ様は逃げられたと思いますが…。おそらく、庭園はもう…」
 答えて、哀しそうに目を伏せる。
 イリューゼがそれを聞いて硬く拳を握り締めたのを目にしたティアーゼは、行動を起こすよりも早くその腕を掴んだ。 走り出そうとしていたイリューゼは右腕を掴まれ、動きを止められる。
 ティアーゼに向き直ると、何も言わずにただ、見つめた。それを受けて、首を小さく左右に振り返す。
「―――離してっ!」
 哀しみを込めた声で渾身の力で叫ぶが、ティアーゼは瞼を伏せて静かに腕の力を強める。
「姉様…お願い」
 一粒の、大きな涙がイリューゼの頬を流れた。
「イリューゼ…」
 それにうろたえ呟いた、幼いながらも複雑に歪んだ表情がティアーゼの心をありありとと映し出していた。 そのせいか、イリューゼを掴んでいた手の力が弱まる。
 その瞬間を、逃さなかった。
「ごめんなさいっ!」
 叫ぶと、ティアーゼの手を振り払い一目散にドアへと向かい走り出す。 払われた己の手に一瞬だけ呆然としてから、弾かれたように視線を走らせた。
 遠ざかっていく、妹。
「イリューゼ! 戻ってっ!」
 一瞬にして血の気の引いた顔でそう叫ぶ。
「すぐ、戻るから…」
 軽く振り返ってそう言うと、ドアの向こうにその姿を消した。
「イ…イリューゼ!」
 半狂乱になって叫び、後を追おうとしたティアーゼをがっしりとその体ごとセシリアが掴んだ。
「は…離してっ。イリュ…イリューゼ! イリューゼが!」
 涙がその瞳から零れ落ちていた。
 普段、感情を表に出さないこの皇女は、今、ただの少女となって妹の名を、叫び続けた。
 何度も、何度も叫び続けて、声が枯れるまで叫び続けた。
 しかしイリューゼが戻って来る事はなかった。
 掠れた声しか出なくなったティアーゼは力なく膝を付き、その場に座り込む。 その隣に同じようにしてセシリアが腰をおろした。きつく、抱きしめたまま。
 ティアーゼは呆然としたまま、イリューゼの出て行った扉を見つめていた。
「ティアーゼ様、しっかりなさって…」
 そう言っているセシリアも涙を流している、その瞳を真っ赤にして。
「ティアーゼ様…」
 小さく呟いて、母親のように優しく、ただ、ティアーゼを抱きしめた。
 暫くして、何かを知らせて回っているらしい1人の兵士が部屋へと入って来る。 セシリアはその背にティアーゼを隠す様にして、何があったのかと問い掛けた。
 兵士は恭しく礼をしてから、跪く。
 そして、伝えるべき事を伝えるために口を開いた。
「―――ラヴィス皇王、先ほど、敵の一将軍によって戦死なされました。ここにも時期、敵が攻めてくると思われます。 お早い避難を…。それでは、失礼致します」
 言って、最後に敬礼をしてから足早にその場を後にした。
 それを聞いたセシリアは驚きのあまり、何も言えなくなっていた。ただガタガタと小さく震えている。
「セシリアさん…」
 掠れた、やっと聞き取れるくらいの小さな声がセシリアの耳に届く。 その声にはっとして視線を走らせると、ティアーゼと目を合わせる。
「私を、置いて…逃げて下さい。―――あなたは…、あなただけでも…」
 力なく言葉を続けてセシリアを見上げた。その科白に一瞬驚いてから、微笑んで軽く首を振り返す。
「とんでもありません…。逃げる時は、ティアーゼ様も、イリューゼ様も、ご一緒にです。私1人でなど、とんでもない事です」
 抱きしめるその腕に力を込めた。
「セシリアさん、私、これから…」
 そこでティアーゼの言葉が止まり、途端、表情が険しくなる。遠くから少しずつ近づいてくる、荒々しい足音に気付いたのだ。
「ティアーゼ様?」
言葉を止めたティアーゼに、首を傾げて名を呼んだ。
「静かに…」
 そう言って耳を済ましているティアーゼの姿に、セシリアは誰かが此処へ近付いて来ているという事を知った。
「―――4人…5人、か」
 小さく呟いたティアーゼは、セシリアの腕をそっと振り解くと立ち上がる。
「ティアーゼ様?」
 再度問い掛けるセシリアを他所に自分のベットの傍へと歩み寄る。
 カチャ、という音がしてベットに隠されていた自らの剣を取り出す。
 シュンッ――、ティアーゼは剣を鞘から引き抜いた。
 白い刀身が姿を見せる。
 磨き脱がれた、ティアーゼのための軽量の剣。
「ティアーゼ様、一体何を…?」
 立ち上がって問い掛けて来るセシリアを無視して剣を鞘へと収める。
 不安げに歩み寄ったセシリアが触れようとその手を伸ばした途端、初めてティアーゼに会った時に感じた、 謂れのない威圧感を感じる。
 ぞくり、と、その背筋が凍った。
「此処に近付いてくるのは、敵兵…。お父様の仇…」
 呟いた声音は、セシリアが始めて耳にしたティアーゼのそれよりも数段冷たい、凍った声。
「お止め下さい…。ティアーゼ様、いけません」
 何故か、青くなった顔でそう呟いた。
 セシリアのその科白に、きつい瞳で睨み返すと、
「何がいけないの?」
 冷たく言い放つ。
 睨み付けて来るティアーゼの双眸は普段のそれではなかった。激しい怒りに満ちた、人間の瞳。
「それは…」
 セシリアは、真っ直ぐに自分を見詰めるその瞳から視線を逸らした。
 何と答えたらよいのかと心の中で思案しているうちに、セシリアの耳にも此処へと近付いてくる足音が届いた。
 物々しい、重い足音。
「…と、とにかく、いけません!」
 叫んで、ティアーゼを睨み返す。
「ティアーゼ様…、申し訳、ありません!」
 少し躊躇ったように名を呼んで、ティアーゼへと何かをほおり投げながら叫ぶ。
 自分の方へ投げられた小さなモノに、一体何かと不思議に思ってティアーゼは両手を差し伸べてそれを受け取った。
 途端、両手に何か嫌な予感が走る。
 掌に触れる感触が、何かに似ていた。
「―――な、に…?」
 両手を開くのが怖いティアーゼは目で問い掛けるも、セシリアは答えずに視線を逸らしてしまい、そのままだ。
 ゴクリと生唾を飲み込んで、恐る恐る両手を開いた。
「――――――ッ!!」
 それを見た瞬間、ティアーゼが硬直した。
 両手に立っていた鳥肌が全身へと周り、ガチャンッ、と音を立てて脇に挟んでいた剣が落とされた。
 次に、へたりと力なく腰を落とす。
 両手は開かれたまま、視線はソレに釘付けになっていた。
「ティアーゼ様…」
 心配そうにセシリアがその顔を覗き込むが、すでに遅かった。
 すっかり血の気が引いて真っ青になった顔のまま、気を失っていたのだ。両手にはぽつぽつと赤い斑点が出来始めている。
 やりすぎたと一瞬反省してから、ティアーゼの掌からひょいっとソレを掴み取った。
 それは、1匹の蜘蛛。
 ティアーゼは蜘蛛アレルギーで全身が真っ赤な点描になるため、蜘蛛が大の苦手だった。 今はそれに輪がかかり、恐怖の対象となっている。
 自分が自分でなくなるから、というのが最初の理由らしいのだが。
「―――ティアーゼ様、申し訳ありません。後で、怒っても…いいですから」
 そう言うとティアーゼの剣を元の位置に戻し、硬直し気絶したままのティアーゼを抱き上げるとベットの下へと移動させる。
 ありきたりな手だが、今はこれしか方法がない。
 どの位置からもティアーゼが見えない事を確認し終えるのとほぼ同時に、ドアが荒々しく開かれた。
 びくんっとしてセシリアはその方向を振り返る。
 そこにいたのは、ティアーゼの言った通り5人の兵。着用しているのは自国のモノではない。
 毅然とした態度で見据えるようにしてその5人と向かい合ったセシリアは立ち上がる。
「ここは、皇女様のお部屋のはずだが…?」
 そう、一際大きい男がセシリアを品定めするかのような視線で問い掛けた。
「そうです。…確かにここは、ティアーゼ様とイリューゼ様のお部屋です。アナタ方は一体何の御用で此処へ来られたのですか?」
 なるべく平静を装って、毅然とセシリアは頷き、更に問い返す。
「して、皇女様はどちらへ?」
 返した男ににっこりとした笑みを返すと、
「皇女様方は不遜が輩が侵入したとの報告を受けましたので、お逃げになられました。すでに城下を脱した事でしょう」
 いけしゃあしゃあとそう答える。
 それを耳にした男達は口々に馬事雑言を吐き続けたが、セシリアはそれを笑顔で受け流した。
「―――で、あんたは? 世話役か何かだろう。何でこんな所にいるんだ?」
 ふと、思い出したかのような男の問いに他の男達が頷く。
「世話役でしたら、古い者がおります。私はまだ半年にも満たない新米ですから」
 そう、笑顔のままで答えた。
「捨てられたのか?」
 嫌な笑みを浮かべそう口にした男に、
「いいえ――」
 笑みを浮かべたまま短く否定すると、すっとその双眸を細めた。
「皇女様を狙うという、不遜で高慢な輩を見てみようと思いまして。―――それに、こうして私と話をしている間にも、 皇女様方は遠くへと逃げていらっしゃるのですから」
 言って、クスリと笑う。
「時間稼ぎという訳か…。女、舐めた真似を!」
「引っかかる方が愚かなのでは?」
 平然と言い放つ。
「おのれ!」
「貴様、自分の立場が理解出来ていないようだな!」
「わかっているつもりですが…? 殺されるかもしれないのでしょう?」
 微笑んでそう告げる姿は、口から出た科白とはかみ合わない。
 全く説得力などなかった。
 だが、逆に男達はそれが気に入らなかった。5人の中で、殺してしまえ、という思いが通じあう。
 その内の1人が、1歩、前に進み出たのを目にしてセシリアはクスクスと笑い始める。
「何が可笑しい!」
 男は叫び、セシリアへと飛び掛ってきた。
 それを平然と見続け、振り下ろされた剣をひょいと避けると、ころころと笑う。
「―――こういう時って、必ず誰かが助けに来てくれるのよね。物語だと」
 言って、地面に転げた男を見下ろす。
「これは、現実だ」
 別の男が呟いた。
「そうかしら?」
 意味ありげな笑みを浮かべたセシリアは問い掛ける。
「そうだ」
 男は、はっきりとした口調で言い切った。
 その声と共に、今度は2人の男が飛び掛かる。
「―――だが、我等もいずれは物語の一部となる」
 ドアの向こう、部屋の外から若い男の淡々とした声が響いた。
 慌てた男が振り返る、その行動からのそれはまさに一瞬の出来事だった。
 まず、振り向きざまに1人目の男が一線で地に伏した。
 男を切ったまま、セシリアへと飛び掛って行った2人の男を立て続けに斬り倒し、床から起き上がってきた男を斬り捨てた。
 あっという間に、4つの骸が並ぶ。
「なるほど…。黒髪に蒼の目、あんたがユゼの月の騎士か…?」
 感嘆の声を込めて男が呟いた。
 だが、若い剣士は眉1つ動かす事なく凍れる瞳と剣先を兵へと向けている。
「それとも日の騎士か…」
 呟いた言葉に答えもせず、ただ沈黙して見据えるその瞳は間違いなく兵を敵と見なしているそれだ。
「無視、か…」
 諦めたかのような呟きを漏らすと、同じようにして剣を構える。
 一瞬、激しく睨み合った2人は、次いで恐ろしいほどのスピードで動いた。
 チャキィンッ、という音がしんっと静まり返った空間に響く。
 やがて倒れたのは、男。
 若い剣士は地に伏した骸を何の思いも入れずに見つめた後、セシリアへと向き直る。
「―――セシリアさん。ティアーゼ様はどちらですか?」
 そう、先程の顔からは想像も付かないほどの優しい声と瞳で問い掛ける。
 セシリアは一つ頷き返すと、べットの下にと隠してあったティアーゼを剣士の前へと連れて行く。
 その腕からティアーゼを受け取った剣士はじっとその様子を観察する。
 気を失ってはいるものの、外傷は見られない事からあからさまな安堵の息を剣士は漏らした。
「それにしても、この赤みは…? ―――まさか、セシリアさん?」
 ティアーゼの躰に浮き出た赤い斑点を見て訝しげに呟いてから、弾かれるようにして顔を上げると唖然としてセシリアを見つめた。
 その視線に、力ない頷きが返る。
「それで、気を失ったりしてるんですねぇ…、この方は」
 呆れ返ったような笑みを浮かべて呟くと、ティアーゼをベットへと寝かせる。
「今動くのは危険です。もう少し時が経ってからがいいでしょう」
 セシリアに視線を戻してそう告げると、剣士は優しくティアーゼの頭を撫でた。
「あの…それと、イリューゼ様が…」
 躊躇いがちに口を開いたセシリアに、剣士は優しい笑みを浮かべると、
「心配ありません。イリューゼ様はカジェス様と共に。…おそらく、すでにこの城下を抜けた事でしょう」
 その科白に、今度はセシリアが安堵の息を漏らした。
「我々も、何としてでもティアーゼ様を無事にお連れしなければ…。―――両陛下に顔向けが出来ません」
 哀しげな瞳でティアーゼを見つめ呟いたその科白に、浮かべていた表情を驚愕のものへと変えてセシリアはわななく振るえた。
「そ、それでは…。皇王様だけでなく、皇妃様までもが…?」
 愕然と呟かれた科白に剣士は静かに頷き返し、それを目にしたせシリアはその場に崩れ落ちた。




 ユゼは侵略された。
 そして、父と母の死。
 妹、イリューゼの無事。
 それらが目を覚ましたティアーゼの知った出来事。
 そして今、この城の中に父を殺した者がいるという事。
「ティアーゼ様、何をお考えですか…?」
 全てを知って、愕然としたティアーゼの只ならぬ様子に不安げにセシリアが問い掛ける。
「今は、何も」
 短く答えると、儚げに微笑んで見せる。
「ティアーゼ様、セシリアさんも…。明朝に脱出しますから、今は寝ておいて下さい」
 会話をしている二人を遮るようにして言うと、
「他の事は考えず、今は眠るように」
 そう付け加える。その科白に二人は顔を見合わせて肩を竦めた後、ティアーゼはベットに、 セシリアはその隣のソファへと横になった。
 しばらく経って二人が規則正しく寝息を立て始めた頃、剣士もゆっくりとその瞼を閉じた。  



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