時は、ティアス暦3002年―――竜の年、竜の月、竜の日、竜の刻。
運命の日―――――。
神の力を受け継ぐ聖なる国、ユゼ。
その首都、ティマ・ティアス。
その日、長年人々に待ち望まれた神の子―――運命の子が、誕生した。
双子の愛らしい姫。
通常であれば子が生まれるより以前に占いによって神より加護の有る名を授かるのだが、
運命の子――“運命の双子”の場合は違っていた。
運命の双子は、この世に生れ落ちて初めて人と呼べる存在であり、母親の胎内に宿っている間は神の子なのである。
従って神の子に人が名を付ける等、言語道断、というわけだ。
また、生まれる子の性別や人数を知る方法などないこの世界において、神の子だけは例外だった。
陰陽の力それぞれに司って生まれてくるため神の子は必ず対となる双生児であり、
姿形はそっくり同じだがその容姿にそれぞれの司るモノの特徴を併せ持って生まれてくる。
そういった理由から“運命の双子”は、生まれてから占いによってその名を与えられていたのである。
この日生まれた2人の皇女も、そのようにして名が付けられた。
姉をティアーゼ、妹をイリューゼと、占いによって名前を得た彼女達は、
やっと人としての生活を許される事となる。それとともに彼女達の両親もまた、この瞬間から親を名乗る事を許された。
それまではあくまでも、神の子をこの世界に降臨させるためだけの媒体。
こうしてティマ・ティアスに再び、神の子が帰ってきた。
実に、1004年ぶりの事であった。
それから6年後―――――。
ティマ・ティアスにある皇城、レイザント。
運命の双子として生を受けた2人の皇女はすくすくと育っていた。
「イリューゼ様! いったい何処へ行かれるのですかッ? お待ち下さいっ!」
侍女達が一人の少女を懸命に追っていた。
追われる少女の名はイリューゼ、――カルデナル=シャオ=イリューゼ。ユゼの“運命の双子”であり、この城の第二皇女でもある。
肩まで伸びた赤みのかかった金髪を靡かせて、楽しそうな色をルビー色の瞳に浮かべただ只管にある方向へと必死に走っていた。
イリューゼの目指す先には巨大な庭園がある。そこまで逃げ切る事が出来れば、今日の剣術の授業はなしになる。いつもの事だ。
その後に続くのは、大好きな外国教養。
「イリューゼ様、お待ち下さい!」
侍女の中でひときわ大きい女がけたたましい声で叫ぶが、イリューゼには従う気はないらしい。軽く背後を顧みてから、
「嫌です!」
と、短く正直に返事をして庭園の中へと逃げ込んでしまった。
この場所はまさにイリューゼの庭といってもよいくらいで、1度ここへ入られては彼女達に見つけ出す事など不可能。
この場所でイリューゼと張り合う事が出来るのは庭師長のセザぐらいだ。
更にイリューゼは一旦姿を隠すと、決して出ては来なかった。
次の授業の時間になるまでそうしてるのは、剣術の授業のある日の日課とすでに化している。
当然の如くイリューゼは剣術の稽古を付けてくれるはずになっている剣士の顔は勿論の事、名前すら知らなかった。
尤も、名前は以前に聞いていたのだが興味のない事は何一つ覚えないため、知らないのと同じである。
「イリューゼ様、ギョウナは行ってしまいましたよ」
小声で、老人の声がイリューゼの頭上より響いた。ギョウナというのは先ほどの体の大きい侍女の事だ。
「セザ!」
声に反応して嬉しそうに名を呼ぶと、勢いを付けて体を起こす。目の前にはよく日に焼けた、肌が皺くちゃになった老人。
齢80歳にしてこの広い庭園の全てを知り尽くし、庭師達をまとめる長でもあり、尤も働き者でもあるその人。
また、イリューゼのお気に入りの友達の1人でもある。
「イリューゼ様、今日も剣術の稽古には出られないのですか…?」
にこにこと笑顔での優しい声。
「だって――」
一瞬眉をしかめてから、拗ねた様にして呟く。
「姉様が、行ってるから…」
言い訳を付け足して上目遣いにセザの反応を見る。それに対してにっこりと微笑を返してから、イリューゼに1つの種を渡した。
それを受け取り、まじまじと眺める。
「これ何…?」
不可解な顔を上げたイリューゼに、セザは2枚の紙を手渡した。1枚目に書いてあったのはどこか他の国の言葉。
2枚目にはセザの字体で1枚目の訳と思われるものが記してあった。
「すご…い」
読み終わらぬうちに感嘆の声を上げる。
「セザ、これ本当なの?」
意気揚揚と大きな瞳を輝かせて問い掛ける。セザは微笑んだままで大きく頷き返し、
それを目にしたイリューゼは感激の余りか立ち上がった。
「ここにまた、新しいお花が増えるのね? 私、早速今日、姉様に言うわ!」
「ちょっと待って下さい…、花が咲くのはまだまだ先ですよ」
「それは……わかってるけど」
しゅんっとして俯く。
「あ…、もしかしなくても、これから種蒔きするの?」
ぴんっと耳を立てるかの様に期待を乗せた瞳がセザを見上げた。
「ええ、そうですよ」
YESの返事にピクリとした反応を見せた姿にセザははっとする。
「いけませんよ、イリューゼ様」
何かを言われるよりも早く、断りの言葉を口にした。それを聞いた途端、イリューゼの表情が残念の文字一色に変わる。
「どうして…?」
「先日、それで授業に遅れて怒られたばかりでしょう? 駄目ですよ」
きっぱりと言い切る。
イリューゼはくすんっとした顔でセザを見つめるも、首を左右に振って返した。
「―――じゃあ…、見ててもいい?」
ふと思いついた事を試しに言ってみる。すると、「まぁ、それなら…」とセザは許可をくれた。
その途端、再び満面の笑みへとその表情を変える。
変わり身の早さにあっけにとられているセザを横目に、にこにこと機嫌のよくなったイリューゼが実に晴れやかに微笑んでいた。
そこはティマ・ティアスに住む人々が剣術を習いに来ている広場。
しかし、この時間だけは皇女のために、人々の姿は他にはなかった。そこに居るのは、1人の幼い皇女だけ。
ポニーテールにまとめられた、微かに青みを帯びた銀の髪がその動きに合わせて肩の辺りで小さく揺れる。
ブルーサファイア色の瞳に白い刀身が映り、僅かに視線を細める。
全身の気を集中していたためか背後に近づいた気配に気付いたからだ。
相手が女でなくて、何か武器になる様な物を手にしていたとしたら、すぐさまに剣先をそこへと走らせる所だ。
はあっとため息を1つ漏らす。
またか、そんな思いが少女の心の内にあった。やりたくないと言うのだから、ほおって置けばよいものを…と、
内心忌々しげに呟くと背後に立つ侍女の言葉を待った。
暫く、沈黙が続いた。
だが、この皇女にとってこんな事は日常茶飯事だ。
そして沈黙に耐え切れなくなった侍女が口を開く、これも日常。
「ティアーゼ様、あの…」
まだ若い声が躊躇いがちに言葉をかける。
この城の第一皇女ティアーゼ、――カルデナル=ネロ=ティアーゼ、その人に向かって。
侍女が言葉を続けようとするよりも早く、ティアーゼが口を開く。
「イリューゼに逃げられたの?」
静かに、それも淡々と問い掛ける。とても6歳とは思えぬ声音。
「は、はい…申し訳ありません」
すでにティアーゼに気圧されているこの侍女は慌てふためいた、声にそれがよく現れている。
小さく息を吐き出しつつ、びゅっ、と剣を振り下ろした。
小さなその身長に似合わぬ長剣をいとも簡単にこの皇女は扱っていた。その行動に、びくっと侍女が体を硬直させる。
「別に怒ってないから、気にしなくていいよ。―――所で、あなた、誰?」
剣を鞘へとしまいながらくるりと侍女へと向き直り問い掛けてくるその姿は子供のそれだ。
先ほど感じた不思議な圧迫感はもうない。
「―――あ、はい、失礼しました。私は、セシリアと申します…。えっと…今日から、その…」
確かに、この侍女――セシリアを押さえつけるものはなくなったが、子供とは言え相手は皇女である。
皇家の者と初めて言葉を交わす事になったセシリアにとって緊張するのは至極当然の事だ。
「そう、セシリアさん…ね。今日から宜しくお願いします。―――私達の世話はすごく大変だから、頑張って下さい。
1人でも大変なのに、2人ですから」
言って、ティアーゼが微笑んだ。ふわっとした、優しい明るさのある笑顔。
「は、はい! 頑張りますっ!」
思わず見とれたセシリアは言葉を失い、マニュアル通りの答えを返してしまう。
口にしてから自己嫌悪に陥ったが、そんな姿を見てクスクスと笑っているティアーゼに「まっいいか…」とセシリアは内心呟く。
セシリアはここへ来る前に、先輩となる侍女達から色々な事を言われていたため、内心で実はとても怯えていた。
特にティアーゼに関しては、気難しいだの無表情だのとこれでもかというほど恐怖感をあおるのにふさわしい言葉を並べられていたのだ。
それでも決まって最後には、全員がうっとりとして口を揃えてこう言った、
「それでもティアーゼ様は笑顔が可愛い」
と。
しかも中々笑わないらしく、侍女達の間ではかなりの人気を集めていたのだ。
その笑顔を自分がこうも早く見る事が出来るとは、セシリアは予想すらしていなかった事。
「それと…。イリューゼが庭園に居る時はそっとしておいてあげてね」
どことなく淋しそうに告げてからティアーゼは視線を逸らした。
何の事かわからずにとりあえずの返事をしたセシリアに、小さく息を吐いて言葉を続ける。
「あそこはね――」
呟くティアーゼの表情にその年に似合わぬ陰りが見える。
「ルヴィーが、…1番最初の、生まれた時からずっと一緒にいてくれた乳母が、死んだ場所なの。
犯人は何処の誰か知らないけれど、私達を狙っていたみたいだった。3歳の時だけど、今でもはっきりと覚えてる」
言ってからセシリアと視線を交わした。
「それからイリューゼは剣を持たなくなった。今では触ろうともしない」
瞼を伏せる。あの光景は幼心に根強く残った。忘れる事の出来ない、一瞬。
「だから――」
そう、明るい感じの声で気を取り直すかのように顔を上げたティアーゼは、眼前のセシリアを見て言葉を失った。
ぽろぽろと大粒の涙がその頬を伝っている。
「あの…」
唖然としてティアーゼは呟いた。
知っていても誰も知らないふりで通していた。例え話が出ても慰めるべき立場にある者が泣き出した事など、初めてだった。
「セシリアさん?」
呼びかける声に、セシリアは目を合わせた。
「―――ティアーゼ様、どうしてっ…そんな…」
それだけ言うと、再び泣き始める。
「どうし…剣を…」
それだけ言うと零れ落ちてくる涙を必死に止め様と努力する、ティアーゼはその呟きに1つ頷いた。
「私が、剣術の稽古を受けているのは、後悔したくないから。
大切なもの…全部は無理だろうけど、でも、私の手が届く所は、守りたいから」
そう言って微笑む姿に、涙でぐしゃぐしゃになった顔のままでセシリアは同じように微笑みを返す。
これではどちらが世話役なのか、解らない。
「変なヒト…」
ティアーゼは子供心にそう思った。今まで周囲にいた者とは全くといっていいほど――約1名を除いて――違ったタイプの新しい人。
ゆえにティアーゼは、セシリアを気に入ってしまった。無論それは侍女としてではなく、1人の人間として、である。
■MENU
■NEXT