光が消え去った後そこにあったのはレシャが知る、セレスだった。酒場で別れた頃の気配、翠の右眼と灰銀の左眼。
そして、ゆっくりと宙を舞うレイトの姿もまた、元の白き鳩。先ほどの優美な白き鳥がレイトであったなどと、
言われなければわからなかったであろう、その姿。
「―――姿を変え、旅を続けていらっしゃったのですね…?」
セレスを苦笑するように見つめていたイチノがぽつりと呟く。
「目立つからね」
肩を竦めて困ったような笑みを浮かべた。
「さて、とっとと退散! 何度も言ってるけど、此処は人のいていい場所なんかじゃないんだから」
「眠いっしね〜」
ずっと黙り続けていたレイトが暢気な声でセレスに同意し、
「しっかし、レシャも無茶するが、リュデロも無茶苦茶するな〜」
レシャの腕の中で静かなる眠りに落ちた姿を確認するようにして苦笑した。
その科白に小さく唇を噛み締めたレシャが、ゆっくりと立ち上がる。その手にリュデロをしっかりと抱きかかえて。
「連れてくの?」
「ああ。母さんと同じ所に、埋葬してやった方がいいと思って。―――少し納得いかないけどな、
その方が母さんも喜ぶ気がするから」
「さっすが、レシャ! 親孝行な息子を持ってリュデロってば幸せ者だな〜…」
暢気な声で呟き、その上空を旋回するように飛び回るレイトを、眉を顰めたレシャが無言で睨みつける。
「でも、哀しいかな〜。やっぱり〜血のせいだよなっ、マザコン!!」
最後に付け加えられた科白に、レシャが薄っすらとした笑みを浮かべ、
「レイト、入り口に終日吊るされるのと、終日食事抜き、どちらが好みだ?」
そんな事を問い掛けた。
「―――っ! どっちもお断りーっ!!」
半泣きになってバッサバッサと羽根を鳴らして全身で抗議する。その様を冷ややかに見つめてから、
「逃げられそうだから食事抜きが妥当か」
ぽつりとレシャが呟いた。
「ぎゃーっ!! 何か酷い〜酷いよーっ!! イーヴェヴァセレスっ、ちょっと言ってやってよ! 動物虐待だよっ!?」
「自業自得でしょ」
厭きれ返ったような声音で、セレスが斬り捨てた。
「うぁ…、イーヴェヴァセレスの裏切り者ーっ!!」
「漫才してないで、帰るよ?」
溜息交じりに吐き出すと、イチノを見やる。
「アナタも一緒に、後の事は後で考えるとして、とりあえずアナタも此処から出てね。夜明けはもうすぐだしね」
「え…、あ、はい。有り難うございます…」
半ば驚きの表情のイチノに肩を竦めて返すと、
「お礼なら、リュデロに言って」
年相応の笑みを浮かべた。
「所でセレス、帰るってどうやってだ? 歩いて戻るにしても、神兵がわんさかいたが…? アレ、“神”が滅び、その…何だ、
一の珠とやらが壊れても関係ないんだろ?」
「うん、関係ないね。此処で生まれて此処の力の影響を受けてる以上、建物ではなく、この場に影響受けてるから。まだいると思うよ」
「邪魔だな」
「大丈夫、真っ直ぐ酒場に戻れるから」
断言したセレスの言葉に、レシャとイチノがぱちくりと目を瞬いた。
「いっちいっち付き合ってたらキリがねーもんな〜。颯爽とやってきて、ちゃっちゃと帰る! これがお約束ってやつだよー。
一応、お忍びなんだからっ!!」
レイトの愉しそうな声が、内容の薄い科白を紡いだ。当然、残る二人には意味がわかるはずがない。
「下準備、こっちに来る時にしてきたから」
そう言いながら、セレスはスカートの左腰の辺りに手を入れる。
「後は、“門”を開いて、あっちとこっちを繋げるだけ。そうしたらすぐだよ」
言葉の意味が理解出来ない二人を見やるようにして、セレスは大きな赤い石の付いたネックレスを取り出してそれを首にかけた。
「えーと…、つまりね、空間を無理やり繋げるというか…。出口の用意は酒場の借りてる部屋にしてあるの、
だから入り口を此処に造るだけ。そうすると、そこを潜ればあっちに出られるって感じかな」
「そんな事、出来るのか?」
「館の守り手たる一の珠のやってる事と似たようなモノだよ。流石に、何の媒介もなしには出来ないけど、コレ、
そのためのアイテムだから」
そう言って、首に下げた赤い石を指差す。
「一の珠に出来て、純血たる銀の一族が使えない訳ないっしー」
暢気な声で、三人の頭上を円を描くようにして飛び回るレイトが当然といった風な声を上げる。
「オレ、出来ないが?」
「あ〜うん、まぁねぇー。得手不得手があるからね〜。鳥のオレにはま〜無理だなっ!! ―――んでも、レシャはな〜。
コレ、最初に造ったのセレニティだし、多分、道具使えば出来ると思うよ〜?」
「セレニティ?」
「レシャのご先祖様だよ〜。それまでは普通の人間の血脈だったんだろ〜けど、
銀の力を受け継いだ本人にしてヴァイジュザーの初代国王その人」
その科白に、茫然とした顔でレイトを見上げる。
「セレニティは死にかけてた赤ん坊だったんだよ〜。それを助けるのにセレスティアが力を与え、その命を繋いだんだ。
でも、人である事を曲げたくなかったから、そこは残したんだよ。だから命の在り方については、人と全然変わらなかったんだな〜」
変わらず暢気な口調で続けられた科白に、レシャの顔が強張った。
「あーでもさ、恨んだりしたら駄目だよ〜? そん時、遭遇しなかったら赤ん坊のセレニティは死んでて、今、
レシャは此処にいなかったんだから」
妙然のフォローを入れたレイトに、
「いや、そうでなく…。アイツは、何で? それで行くと――」
「リュデロは、2代目なんだよ。元々はリュートが血族に加わって、彼はその息子。人との間に生まれた子供で、
普通に育ってたんだけど、父親のリュートが亡くなってその力を継承したから」
淡々としたセレスの声がレシャの科白を遮る。
「言わない方がいいのかもしれないけど、不思議に思ってるみたいだから言っておくね。今言ったように、
リュデロの父親のリュートが最初に力を受けたんだけど、人間じゃなくて元々は鴉。人型が取れるくらいにまで強く力を受けてるから、
その影響もあって、以後、時間という概念を失ってた。年をとらないっていうのは実は正確じゃないし、
時間が止まってるってのも正確じゃない。それなら、別に飲食は必要ないし、寝る必要だってなくなるから」
そこまで言ってからレシャを見やり、
「正しく言うなら、力を受けたその日に留まり続けている。ずっと同じ日を毎日繰り返してるだけ。普通に死んだらそれまでだけど、
中々死なないんだよ、コレが。力の影響で躰は治るしね、“神”みたいに万能―――コナゴナになっても再生するとかじゃないけど、
そうそう簡単に、自身の力と血による力で守られてるのにそんな事態に陥ったりしないから。だから終わりがない」
「終わりが、ない?」
「―――レシャもそうだけど、この力は第一子に必ず受け継がれて行く。これって別にレシャの家系だけの話じゃなくて、
他もそう。だから、力を受けた当人が死んだ場合、その役目、立ち位置って言うのかな? 血による力の加護は、第一子に移る。
時間が流れてて、本人の子が死んでいたとしても、その子供、そのまた子供って感じで、血脈が続いてれば、
その中で一番近い子供に移る。本人に断る権利も、選ぶ権利もない。これは強制的に入れ替わる、そういう血だから」
そこまで言って押し黙ったセレスを困惑した顔になったレシャが見つめ返した。
「レシャ、此処まで言えばわかるよね?」
「―――オレの、せい…?」
「レシャのせい、じゃないよ。知らなかったレシャに対して、リュデロが勝手にやっただけ。ただの自己満足だよ、彼の」
「それでも、こんな事をしたのは」
「親心って思ってあげたら?」
困ったような笑みを浮かべてセレスは肩を竦めた。
「とは言え、半々だと思うけどね。レシャの母親…シャルアって言うんでしょう?」
こくりと無言の頷きが返る。
「彼女が死んで、それでもこの世界に在り続ける事、それが、苦しかったんだと思う。でも、ただ後を追って死を選ぶと、
その力がレシャにそのまま引き継がれる事になる。―――多分、レシャに自分と同じ想いをして欲しくなかったんだろうし、
これまで普通…とはちょっと違うまでも、人として生きてきたんだから、そんな目にあわせたくなかったんじゃないかな?
自分で望んだならともかく、そうじゃないんだから。…此処に来たばかりの頃はそんな事まで考えてなかったんだろうけど、
一の珠の事があって、彼の望んだ尤も良い形がコレだった。その存在を一の珠の役目と相殺させてしまう事によって、
リュデロが死んでも、レシャや、これから続いてくだろうその子孫に移る事はないし、
一の珠をその役目から解き放って自由にする事も出来るから。だから、ただの自己満足って私は言ったんだよ」
最後に付け加えられた何度目かの科白は、否定するようなものだったがその声は哀しいような嬉しさが込められている。
「いや〜だっけどさ、あのリュデロがねー…びっくりだね! 女どころか他人に全く興味ないって感じだったのにさぁ」
何もかもぶち壊してレイトが声を上げた。
空気が読めていない、否、最初から読む気がないのか、そんな声を上げてセレスを見やる。
「で、イーヴェヴァセレス。建物がそろそろ本気で倒壊しかけてるんだけど? 此処は最深部っつーか、
一番強固な守りの部屋だから崩れるにしても後の方だろーけど、早くしないとっ!」
ばさり、と羽音を立てて肩に舞い降りた姿に、きょとんとした顔をセレスは返して、
「―――そういえば、そうだった」
思い出したかのように呟いた。
「この手の話題になると、それまでの事を忘れちゃうのは、イーヴェヴァセレスの悪い癖だねっ」
「るっさいなー…。真面目な話してたんだから、いいじゃない別に。第一、話を振ったのレイトでしょうに」
「ノッてくるとか思う訳ないし〜」
あっけらかんと返った科白に、不服そうにセレスは頬を膨らませる。
「そんなコトしてる暇あったら、パパッと頼むよ〜」
更に続けたレイトに、ぐっと言葉を飲み込んでから気を取り直すようにセレスは咳払いを一つ。
「話は、後でね。此処を出ないと危ないし、何も始まらないし」
「ああ」
「お手数をおかけします。―――ところで、もうお一方は?」
思い出したかのようなイチノの呟きに、一瞬その場の空気が停止して、
「―――って、そうだ!」
レシャがハタとして声を上げる。
「何? どうかしたの?」
「いや、カイエルも来てるんだ、此処に。……すっかり忘れてたが。すまん、カイエル」
その場にいないというのに謝罪の言葉を口にしたレシャを半ばぽかんとした顔をしてセレスが見つめ返す。
「此処、一応、神兵とか山ほどいる所なんだけど…?」
「ああ、それなら…。カイエル、魔方とか全然効かないから。神兵も何のそのって感じで平気だったからな、先に行けって言われて」
レシャは軽い苦笑を浮かべ、その科白に怪訝そうにセレスが眉を顰めた。
「珠の継承者になれる器の持ち主です、全身にその適合が見られましたので」
静かな声音で、イチノが一の珠としての意見を続け、セレスの表情が更に険しくなった。
「無効化の系譜…? 神兵の魔方すら無効化するって、そこまで強力な威力を持つとは思えないイロなんだけど…。
確かに髪は紅いけど、一番の特徴となる瞳の色が違うし、―――第一、“神”の系譜狩りで滅んだって聞いてたけど…」
そこまで呟いてから、弾かれるようにしてレイトへ睨むようにして視線を送る。
「レイト、気付いてたんでしょう?」
「何が〜?」
「カイエルが無効化の系譜だって。ヘンに絡んで、妙に気に入ってるから珍しいと思ってたら、そういう事?」
指すような視線を送るセレスに、動じた様子もなく、
「だって聞かなかったじゃん」
あっけらかんと答えた。
「言ってくれてもいいでしょう? 気が効かないにもほどがあるよ」
「だって、まさかそこまでの威力とは思わなかったんだよ〜。あのイロだよ? イーヴェヴァセレス、自分で言ったじゃん?
一番の特徴になる瞳の色が違うって」
「それは、そうだけど…」
拗ねたような顔をしてから、ちらりとレシャを一瞥する。
「レシャの影響だね。銀の血族の傍にいたから、対魔方の無効化の威力が上がったんだと思う」
「そっちもオレのせいか…?」
「う、ん。多分、としか言い様がないけど。無効化の系譜の特徴なんだけど、身体能力の一つが、以上に発達するのね。
耳がよかったり、目がよかったり、とかね。だから、カイエルのあの怪力はそれに当たると思うんだけど…。子供の頃、
レシャと会う前から、ああだったんだよね?」
「だな。オレと会ったばかりの頃、もう、怪力少年って事で有名だったから」
「でしょう? そうすると、レシャの影響だけとは断言出来ないの。イロが違うから、その可能性が高いだけで」
「先祖還りという事ですね」
黙り込んでいたイチノがぽつりと呟く。
「そういう事」
肩を落とすように同意してから、
「レイト、カイエルの現在位置は?」
「何でオレに聞く訳〜? 自分でやればいいじゃん」
「現状、一番正確に割り出せるのがレイトだから」
「あ、そう。―――イーヴェヴァセレスの、丁度真下だよ。階層は2階分下になるかな」
あっさりとカイエルの位置を口にしたレイトに、レシャとイチノの二人は驚きの眼差しを向ける。
「了解」
一人動じた様子もなく頷いたセレスが、腰を落とすと両手を床へと付ける。
「
cage」
ぽっ、と一瞬だけ両手が白く輝く。
静かな間が流れる。
「―――あれ?」
とぼけた声がセレスから漏れた。
それに対して、レイトがあからさまな溜息を吐き出して、ゆっくりとレシャの肩へと降り立った。
それにレシャは軽く顔をしかめたが、
「イーヴェヴァセレス、たった今、カイエルに魔方は効かないって話をしたばっかりじゃん…」
その口から出た厭きれ返った声に、視線をセレスへと移した。
「ああ、そういえば」
指して気に止めた様子もなく呟く。
「方法を変えるしかないね。レイト、準備の方は出来てるんだよね?」
「勿論、此処へ来る前にばっちり」
「それじゃ、早速」
愉しげな声を漏らして、双眸を閉じる。
再度、静かな間が流れて、
「―――よし。捕まえた」
満足げな声を漏らした。
「捕まえたって…?」
ぱちくりと目を瞬いたレシャの前で、可愛らしい笑みを浮かべて返すと、くるりときびすを返す。
「イーヴェヴァセレスは大雑把だから〜」
溜息交じりに呟いたレイトの科白をBGMにして――――何故か大きく振りかぶったセレスは、
そのまま床へ向かって何かを投げつけるように勢いよく振り下ろした。
どぉんっ。
砂塵である。
勿論、地震付きで。
「なっ…!」
慌ててレシャは両腕で抱き上げているクゥを落とさないよう、自身も倒れないように両足を踏ん張り体勢を保つ。
「行くよ?」
砂塵の中、普段通りのセレスの声が響いた。
「行くって…」
「2階下まで抜いたから」
あっさりした声に合わせて、風が舞い砂塵を消し去る。
レシャは再度ぱちくりと目を瞬き、イチノはぽかんとそれ――床に開いた三メートルほどの穴を見つめていた。
「降りて」
「無茶苦茶な」
「だって、こんな迷路、カイエルのいる所までわざわざ歩いてる暇ないよ?」
「迷路って、別にそこまでじゃないだろう?」
「此処、支えを失ったから、崩壊するって言ってるじゃない」
「更にイーヴェヴァセレスの一撃で早まったね、その速度が」
暢気な声で呟くと、レイトはさっさと羽ばたいて穴の中へと消えて行く。
「レシャ、躊躇ってる時間ないから」
にっこりと笑ってそう告げると、
「いや、でも」
「行ってらっしゃい」
引き気味に呟いたレシャに笑顔でそう返すと、その背後へと回り込み、勢いよく突き飛ばす。
「なっ…」
驚きの声だけを残して、落下した。
「い、いいんですか?」
「あの状態なら死ぬ事はないだろうから、大丈夫。きちんと着地できるよ」
言いながらイチノの傍へと歩み寄り、右手を差し出す。
「今の私に、触れてないモノの移動って無理だから」
「面倒をおかけします」
イチノが差し出された右手を掴んだ。
「気にしないで。―――行くよ?」
「はい」
イチノの頷きを確認してから、セレスは飛び降りる。
二人揃って穴から落下し、此処に“神”の館が造られて以来、館の守人として常にその場に居続けたイチノを、その存在を、
一の珠の閉ざされし部屋は失った。
砂埃舞うその場所で、瓦礫が転がっていたがレシャは難なく着地した。
突き落とされた事に今更ながら怒りが沸いて、上空を見上げ、
「…うぇっふ、げっほ、うぺーぺっぺ…」
間の抜けた声がその思考を遮る。
「カイエル?」
訝しげに眉を顰め、聞き覚えのある声にその名を呟く。
「うぇ…ふ、レ、げほごほっ、……レシャ?」
返ったのは、紛れもなくカイエルだろうが、相変わらず間抜けに咽るおまけ付きだった。
はぁ、と一息ついて、レシャがちらりと周囲を見回すと、風が吹き抜けて視界をクリアにする。
「カイエル、大じょ…―――はぁ?」
気を取り直すように、顔を向けたその瞳に移ったのは、流石のレシャも間抜けな声を出さずにはいられない光景だった。
それは、一つのオブジェのように。
床から生え出した何かの植物が、蔦と呼ぶにはあまりに太く、茎と呼ぶには余りにくねりながら、
そのまま天井へと突き抜けている。その一部にカイエルを絡めるようにして。
「…何やってるんだ?」
思わず厭きれ返った声がレシャの口から漏れる。
「な、何って見ればわかるだろー! レシャ、助けろ!!」
右手は真っ直ぐに天へと、左手も上がっているが肘がおれて掌は頭の辺りに、右足は真っ直ぐに床へと、
左足は腿上げの頂点を維持した状態。レシャでなくとも、突っ込みたくなるのは当然だろう。
「助けろって……お前ならそれくらい自分で出られるだろう?」
「無理!!」
「嘘言うな。そのぐらいだったら、二重三重に編まれた縄のが硬いだろう?」
「あふぉか!! これは縄じゃねー、植物! 何だかわかんねーけど、これは緑っ!! それを千切るとか、
そんな真似オレに出来る訳ねぇだろっ!!」
哀しい、砂漠の民の性だった。
砂ばかりの場所で、水と緑は、命を繋ぐ、必要不可欠でいて、重要なものだった。それらを大切にする事、それは、
幼心から叩き込まれ――もとい、日常の生活から根底に植え付けられて行く。
「なるほど」
頷き、傍へと歩み寄る。
「ちゅー事で、助け……て、レシャ、そいつ…」
混乱至極だったカイエルは、すぐ目の前まで近付いたレシャの腕に抱かれていた存在にやっと気付く。
少し前に顔を合わせ、髪の色が違うため近付くまで気付かなかったが、確かにその顔はクゥと呼ばれていた神兵。
微動だにせず、まるで眠っているように安らかな顔をしていた。
「ああ」
「えと、そいつ、多分に…」
「知ってる。だから、連れ帰って、一緒に入れてやろうかと思って」
「…そっか」
小さく頷く。レシャの科白から、自分が伝えようとしていた言葉は必要なかった事と眠っているのではない事に気付いたからだ。
気まずそうに天を仰いだカイエルに、レシャは視線をクゥへと移す。本当に、悔しいくらい、笑うしかないくらい、
いい顔をしていた。
「―――無事だね、カイエル。よかった」
意図せず重くなった雰囲気を打ち消すように暢気な声が二人のすぐ傍から上がる。
「セレスちゃん!? ―――て、誰?」
慌ててカイエルは周囲を見回すが、その姿は見えず、代わりに金髪紅眼の小さな姿を捉えた。
目をぱちくりとさせて自分を見つめる姿に、イチノは軽く頭を下げる。
「今はあの子、気にしないで」
「って、やっぱりセレスちゃん? ど、どどこに? 声だけ? オレの幻聴かーっ!?」
「此処だよ、此処。…とは言っても、カイエルから見えないか。下だよ、すぐ足元」
肩を竦めたセレスだったが、言われた通り顔を下に向けるも顎の下にも蔦が這っているため下がりきらない。
「見えないが…って、ま、まさか、レイトもどこかにいるのか!?」
「オレならこーこ。ばっちり見てるよ〜」
ばさり、とカイエルの目の前を飛んで見せた。
「うぉ!? やめっ、見るなー!!」
「いやもぉ、ばーっちり見ちゃったもんね〜。初めて見た時と並ぶくらいにインパクトあるよ〜」
「ぎゃー!! 忘れろ、今すぐその記憶を消し去れぇえ!」
「無理だね〜」
身動きの取れないカイエルをからかうように、その目の前をいったり来たりするレイトに、レシャは小さく息を吐き出した。
「カイエル、魔方が利かないって聞いたからこういう方法しかなかったの。安全を確保するのに」
二人のやりとりをそのままに、腰を落としてカイエルを拘束している蔦へと手を伸ばす。
「手伝ってくれて、有り難う。もう大丈夫だよ」
「って、コレ、セレスちゃんの仕業ぁあああっ!!」
犯人が判明し驚いたカイエルだったが、それは最後まで言い切る前に叫び声へと変わった。
ずる、ずざざざざ、と、意思を持っているかのように蔦が緩み、カイエルを解き放ち――そのまま滑り落ちたからだ。
伸びきった状態のまま滑った視界に、にこにこと笑みを浮かべるセレスの姿が目に入る。
「セレスちゃん…」
蔦に背を持たれかけるようにして、驚きが残っているのか両腕が上がったままで固定されている状態で呟く。
「緑は大切に、だよね?」
「……お、おぅ」
「でもレシャには言ったけど、カイエルも無茶するね? いくら魔方が利かないからって、“神”の館への侵入なんて無茶し過ぎだよ」
「う…うん、まぁ、そうだよな」
「尤も、最初で最後だろうけどね」
素直に頷いた姿にセレスは肩を竦め、その科白にカイエルはくきりと首を傾げた。
「ま…今回限りのつもりだけどな」
ぽつりと呟いたカイエルにきょとんとした顔を返し、
「それじゃ、帰ろうか。レシャには言ったけど、此処、人のいていい場所じゃないからね」
「お、おぅ。―――で、出口はどっちだったかな? オレ、よくわかんねぇんだけど? レシャ、覚えてる?」
「いや、オレもわからないが。セレスがな」
「セレスちゃんが?」
「任せて」
満面の笑みで答えてから胸元の赤い石を両手で包んで双眸を伏せる。
「
The space ties, is opened, and the door」
ぽう、と声に合わせて仄かに赤い光が灯り、セレスの眼前に一筋の光が伸び、
それが上下に広がるように光の筋となって長方形の枠を作り出し――光が弾けると、そこには薄くて赤い、硝子のような物が現れた。
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