Number −銀の魔方師−
6:古の血脈を受け継ぐ者 (06-04)



 視界を遮る白き光、決して開く事のない――無理にこじ開けたり破壊は出来ないはずの扉を崩し、溢れ出たそれ。
 驚きに目を見張るラダナトは光に視界を奪われ思わず双眸を閉じた。
「ちっ…」
 次いで小さな舌打ちを一つ漏らして勢いよくセレスより腕を引き抜くとそのまま後方へと飛び去り、 それとほぼ同時に蒼白い否妻にも似た光が床に落ちる。
 気付かずにいれば、ラダナトに直撃したであろうそれ。
 2メートル程度の距離を置いて訝しむというよりは口惜しそうに目を細めて眼前を睨むその先で、 支えを失い膝から崩れ落ちるようにして倒れ込むセレスを抱きとめる姿が視界に入った。
 突然周囲を覆ったまばゆいばかりの光は意識が朦朧としていたセレスにも感じる事が出来た。 その直後に躰から引き抜かれた腕に瞬間喘ぎ、痛みによって意識がはっきり戻ったものの両足でしっかり躰を支える事が出来ずに 崩れ落ちて行くのを止められなかった。
 それなのに、小さな振動と共に倒れゆく躰は止められる。
 背後から支えられた事を感じ、セレスは俄かに眉を顰めて視線を動かそうとした。 右側に立つようにして左腕を回し躰を支えた者の気配には覚えがあったからだ、今、この場にいる筈のない存在。 困惑とも怪訝とも取れる表情を浮かべ、未だ意識が朦朧としているせいで勘違いをしているのだろうと自身を嘲笑うかのようにして、 ゆっくりと顔を上げた。
 だが。
 それを目にして、セレスの顔は驚き一色に変わった。
 自身を支えた者の顔が見えた訳ではない、その視界に飛び込んできたのは、髪。
 長く伸ばされた髪が顔を上げたセレスの眼前に流れていた、確かにその気配の持ち主であろう事を示す、見事なまでの白銀の髪。
 身じろぐようにしたセレスに、その背に腕を回して躰を支えている左手でしっかりと肩を掴み、
「無理するな」
 小さく告げる。
 その声にセレスの全身が強張ったが気にするでもなく、
「傷の治療は自分で出来るな?」
 そんな科白が続けられた。
 返事は返らなかったが、ゆっくりとした動作でセレスを床へと寝かせると背に庇うようにしてラダナトと対峙して立った。
「―――そうか。彼だけでなかったんだね、君の傍にいたのは」
 忌々しい者を見るかのような眼差しで射抜くのは、ラダナト達にとって至上とされるセレスティアと同じ白銀の髪を持つ者。 それに返される視線、その瞳も、髪と同じ白銀。
 ラダナト達がそうであるように――否、同じ立場でありながら全く別の存在である者達。
 その、確かな証。
 ラダナトの科白に怪訝そうに白銀の瞳が細められた。
「何の話だ?」
 返った科白に、ラダナトがくつくつと愉しそうに笑う。
「ああ、君は違う方なのか」
 思い出し笑いと呼べるのかは微妙だったが、そんな声音で呟き、
「だが伝えるべきは伝えられているという事か」
 そう続けて双眸を細めた。
 なおも怪訝そうに顰めた顔で自分を見返す姿にラダナトは小さな笑みを口元に浮かべ、
「やらないといけない事が増えたね」
 薄っすらと、妖艶に、見る者全てを誘惑できるような微笑んだ。
「侵入者を排除か? まぁ、当然の事だろうが、自分のやってる事がわかってないってのも…」
「―――して」
 肩を竦めて呟いた科白に、小さな声が続く。
「何で、こんな…それに」
 ごほり、と口から鮮血を吐き出した姿を肩越しに振り返るようにして見下ろすと苦笑して、
「気にしなくていい。傷の治療に専念してろ」
「レシャ、何で…?」
 重症なのは一目でわかる程の大怪我を負っているというのに、その幼い顔は苦痛に歪むのではなく、ただただ、困惑している、 その一言に尽きるモノ。
 だがそれは無理もないものだったかもしれない。
 セレスの知るレシャは、確かに魔方を扱う者ではあったが魔方師だったはずだ。だがその声も顔もレシャだったし、 身につけている衣服も酒場で別れた時のものだったが、髪も瞳も気配すら全く別のモノになっていた。
 変わったその白銀の姿は、その気配は、セレスにとってよく知る者のそれだ。
 記憶にある人物と眼差しや雰囲気が似ていた、確かに、似てはいたのだ。だが、違うのだとわかっていた。 だのに、今、目の前にいるレシャは確実にその者であると全身全霊で告げている。
「他のヤツだったら、そのままだったかもしれない。でも、お前は…そういう訳にいかないだろ。まだ子供だし、それに…」
 血に塗れた幼い姿から視線を外し、再びラダナトへと向き直った。
「その、髪」
 続けられた科白に、セレスの表情が哀しげに曇る。
「とにかく、自分の事を考えろ。平気そうな顔してるが、かなり重症に見えるぞ。 見たヤツの…―――というか、オレの心臓に悪いから、早く直してくれないか?」
 苦笑交じりに告げられた科白は、いつもの――この一週間セレスに接していたレシャの普段のままの口調。
「レシャ、でも…」
「わかってる。相手は“神”だからな、オレにまともにやりあうのは無理だろうって事くらいは流石に」
 苦笑するように肩を竦め、
「―――何処をどうしてこういう事になってるのかは知らないが、今の状態じゃ更にどうしようもない。ロクに動けないだろ?」
 そう続けられたレシャの言わんとしている事は、口に出さずともわかった。
 動けるならば逃げるという道があると、セレスを抱えてラダナトから逃げる術をレシャは持たないという事も。
「ダメ。迷惑、かけたくないよ。関係ない、でしょ?」
 その科白にレシャは肩越しに振り返り今更といった風な顔をしてから、
「なくはないだろ」
 苦笑した。 
 それから、しっかりとその双眸でラダナトを見据えて両手の拳を握り締めると、
「レシャ、ダメ――」
 セレスの制止の声をそのままに、地を蹴った。
「己が役目を果たすか」
 ラダナトは愉しそうに口元を歪め、 突き出された拳はそれに届く事なく20センチほどの間を置いて見えない壁に阻まれたかのように停止する。
 パチパチと小さな光が二人の間――レシャの拳の辺りで光る中で、
「元より、我等はそうあるべきと定められ造られたモノだったな」
 さも当然といった口調で一人満足げにラダナトは頷き、
「唱える。そこに示すは守りの壁、強靭なる刃を持ってうちぬくは蒼き否妻」
 表情を変える事なく本当に小さな声でレシャは呟いた。




 暗闇と静寂だけが、そこにあった。
 時折その中に響くのは、歌うように囁く可憐な声。
 遠い遠い、遥かなる過去を懐かしむように、思い出すよう。
 一人きりで過ごすその時間を、その淋しさを、埋めるように、忘れるように。
 ふいに、闇の中に鈍く、赤い光が灯った。
 それを受けて闇の中で影が動く、光を映し返すのは赤い瞳。
 愉しむように、哀れむように、赤き双眸が細められた。
「早いですね」
 何の感慨も込められぬ単調な言葉が紡がれ、薄く口元が歪められる。
 右手で灯る光を一撫ですると薄れるようにして光が失われた。
 再び暗闇に支配されたその場所で、囁く様に小さな歌が紡がれる。
 誰に聞かせるでもなく、届けるでもなく、哀しそうに、嬉しそうに。




 青白い否妻にも似た光を堺として対峙する金と銀の姿にセレスは小さく唇を噛むと床に全身を任せる。 今のままで何かを言おうとも二人を止める事は出来ないし、割って入る事も無理だったからだ。悔しそうに表情を歪め、 顔を巡らしながら反転する。それから起き上がる力も入らない体に鞭打つようにして床を這った。
 向かう先はこの部屋の入り口に程近い場所、視線の先には壁際に落ちる小さな白い影。
 レシャが心臓に悪いと、重症に見えると言った傷をそのままに、セレスはゆっくりと床を這う。 その後に夥しいまでの血痕の道を作りながら。
「―――レイ、ト…」
 小さく、その名を呟く。
 反応は返らない、互いの距離はほんの数メートルしかなくて普段であればちょっと歩けばすぐに辿り着ける距離。 それなのにこの時はそれが果てしなく長い道のりのように、これまで辿って来たこれから続くであろう道のりのように思えた。 簡単に届く距離なのに、容易に手を伸ばす事の出来ない距離。
 ハタから見れば死体が匍匐前進しているようにしか見えないその姿を気に止める者は今、この場にはいない。
「レイト…」
 もう一度呟いて、血だらけという表現だけではすまなくなった震える左手を伸ばす。 やっと辿り着いたその指先が白い羽毛に触れ、セレスの表情にも安堵の色が浮かんだ。
「ごめん」
 ずるっと、右腕でもう一歩進んでセレスは床に身を任せる。
 肩で大きく息をしていた躰を休めるように、死んでしまったのではないかと思うほどに静かな状態で、
「もうちょっと、待ってね」
 小さな、小さな声でそう告げたセレスの左手が、ぼんやりと白い光を放ちレイトの全身を包み込んだ。
 流れて行く血液を気にする必要性を感じなかった。セレスにとって、そこは重要視すべき場所ではないから。 どんなに酷い傷を負ったとしても、どれだけ血が流れて行ったとしても、自分の事よりもレイトを優先した。
 ただ一人、たった一つだけその手に残された、大切なモノ。セレスがセレスである、確かな証拠。
 逆を言えば、レイトなしではセレスという存在は成しえない、セレスを繋ぎとめる確かな楔。
「―――でも、どうしてレシャが…?」
 視線をレイトから外して体勢をそのままに肩越しに背後を顧みた。
 鈍い光を放ちながら対峙する姿は先ほどと同じ、位置は少し移動しているものの二人の状態に変化はない。 それは喜ぶべきなのだろう、だが、しかし。生身であるレシャと、生身と呼ぶには語弊のありすぎるラダナト。 例え今拮抗しているように見えても、それは否だ。
 ラダナトは遊んでいる、それがセレスにはわかるから。
 魔方という面においてラダナトを上回る事は不可能だ、その存在は人間を遥かに超えた位置にある。 レシャ自身もそれを理解している事は先ほどの科白からでもわかった。
 いかな攻撃を与えようといかに傷を負わせようともラダナトにとってそれは決定的な一打にはならず、 逆にレシャにとっては一つの傷でも命取りとなる。
 それが今の二人の状況だ。
 こんな不利な戦いなど成立する訳もなく、長続きする訳もなかった。
 ごほっ―――――、血の塊を吐き出し、頭の下に右腕を枕代わりにするようにしてから口元に手をあてる。
 随分と血が流れたし、傷も負った。間違いなく瀕死の状態であるはずの自身を嘲笑うかのように薄っすらとした笑みを浮かべ、
「まだ、生きてるね…」
 つまらなげに呟いた。
 此処で意識が途切れてしまえば、きっと、もう二度と目覚めない。何も出来ず、何も考える事もなく、そのまま消えてしまう。 これまでの事を思えばそれは絶対に嫌だったし有り得なかったが、何故だろう、一瞬だけ、それもいいかなと思ってしまった。
 セレスが望み、これまで叶えようと歩んで来た道とは違ったが、それもまた終わりの形。
 長い長い道程の終着。
 自ら意識を手放しかけたその耳に、周囲に、一際大きな轟音が響き渡った。
「レシャ―――…ッ!」
 反射的に声を上げ、瞬間忘れかけていた痛みが全身を襲う。苦痛に身を歪め、再度吐血し、 それでもなお歯を食いしばるようにしてゆっくりと双眸を開いた。
 その視界の隅に微かに入り込むのは流れる金の髪、悠然と立つその後姿。 そしてその向こうで両膝を付き肩を上下に大きく揺らしながらもその眼差しだけはしっかりと眼前のラダナトを睨む、レシャ。
 何て馬鹿な事を考えたんだろう、そうセレスは思った。レシャの行動に対してではない、自分で決めて此処まで来たのに、 他人を巻き込んだ状態で終わりを考えた自身を嘲笑っての事。
 こんな半端な所で終るのなら、初めからやる必要はなかったのだから。
 視線を左手へと移す、未だ意識が戻った様子は見えないレイトの姿に小さな笑みを浮かべる。
「―――もう少しだもんね…」
 自身に言い聞かせるようにして再び躰を叱咤すると痛みに耐えながら右腕に渾身の力を込めて前進した。 眼前に迫ったレイトの様子を見守るようにしてから、ごろっと反転して視界を室内へと移して後退するようにして壁際によると、 身を持たれ掛けさせるようにして上体を起こして行く。
 壁に寄りかかるようにして左手はレイトに触れたままで視線を対峙する二人へと送った。
 一刻の猶予もない、レシャの表情に焦りの色が見えたし全身に小さな傷を負っている。変わってラダナトは悠然と立っているだけ、 背を向けているためその表情を見る事は出来ないが恐らく愉しげに笑っているだろう。自身の勝利を確信した笑みで。
 これ以上の犠牲は必要ない、あってはならないのだ。セレスが全てを擲って旅を続ける事、 それこそが最後の犠牲――そうあるべきなのだから。
「時間稼ぎは、もういいよ」
 ふいにラダナトがつまらなげに声を漏らした。
 瞬間、その周囲に稲光が走り――――――、応じる間もなくレシャを弾き飛ばす。 初めてセレスがこの部屋を訪れた際にラダナトの座していたソファの上を通り抜けて向こう側の壁に勢い付いたまま叩き付けられて、落ちた。
「レシャっ…」
 反射的に立ち上がろうとしたセレスの全身を激痛が走り抜け、前のめりにその場に崩れ落ちる。
 ごほっ――、何度目になるかわからない血を吐き出したがそれを気に止めるでもなく顔を上げ、
「駄目、やめて…!」
 掠れた叫びを上げた。
 到底、そんな声など耳に届く訳もなく、
「中途半端な君に僕の相手が務まる筈もないよ、今の彼女が無理なように」
 何の感慨も浮かばぬ淡々とした声が紡がれてラダナトの座していたソファが四散した。
 その向こうに見えるのは、左肩に大怪我を負い腕も上着も真っ赤に染め上げながらそれでもなお戦う意思を消す事なく睨みつける瞳。 大きく肩を上下させて肩膝を付き、苦渋というよりは悔しさだけに顔を顰めたレシャは、 悠然と歩み寄る金色の姿を見据えたまま右手で痛みを訴える左肩を黙らせるように鷲掴みにしてゆっくりと立ち上がる。
「元々、オレにどうこう出来るとは…思ってないよ。そんな事、子供にだってわかる」
「ならばなぜ、このような真似をした? 暫し相手をして理解したが、始まりの者ではあるまい。人の身と指して変わらず、 時を経れば老いて死ぬ。あれからどれほどの月日が経過したかは知らぬが、己が存在意味も、役目すら忘れて久しく、 更に言えば真っ当する必要などない立場にいただろうに」
「言ってる意味が、わからない。だから多分、その通りなんだろうな。―――でもさ、そんな事はどうだっていいんだよ」
 小さな笑みを浮かべて返った科白にラダナトは形の良い眉を顰めた。
「ただ、ほっとけなかった。それだけだ」
 余りにも、この場にそぐわぬ答えだった。
 だがレシャにとっては絶対の答えだった。
「そうか。―――だが、かの滅びを生き長らえ、途絶える事なく紡いだその血脈…それも此処で潰える」
 紛れもない死の宣告、ラダナトの双眸が細められ冷淡な笑みを浮かべる。
「かもしれないな、流石に。でも後悔はしてない、こうしなかった方が一生後悔しただろうし…、 ―――そう簡単に死んでやるつもりもオレにはない」
「人に紛れてたにしては上出来と言えるが、もう充分だよ」
 悪意などないような無邪気な笑みを浮かべて口元に当てるようにして右手を持っていく。
「つまらないから」
 小さく口裏で呟き、右手を振り上げる。
「―――やめて…!」
 小さな制止の声が背後より聞こえたラダナトは肩越しに振り返り満面の笑みを浮かべ、
「すぐ片付けるから、待っててね」
 明るい声音が気軽な口調で科白を紡いだ。
「―――――ッ!」
 悔しげに歪むセレスの表情を満足そうに眺めてからレシャへと向き直り、
「これ以上、彼女の気を余計な所に回させて同じ事の繰り返しは面倒だからね。―――彼のためにも」
「意味がわからない」
 まるっきり独り言のラダナトに律儀に返事してからレシャは軽く身をかがめると地を蹴った。 ラダナトに向かってではなく、左肩を庇うようにして左斜め前へと。
「遅いよ」
「なっ…―――――ッ!」
 短い科白で呟かれた言葉はそれだけで空気の塊となったのか、真横からの直撃を受けてレシャは再び弾き飛ばされる。
「とはいえ、面倒だから余り動き回らないで欲しいな」
 つまらなげに呟いて顔を少しだけ右に向けるようにして視線をレシャへと送った。
「何、で…?」
「何処へ動こうと、自身を点とし円を描けば同じ事」
 事も無げに告げられた科白にレシャの表情が強張り、それを目にしたラダナトがにっこりとした笑みを浮かべる。
「その程度の事もわからず反応も出来ない、それってつまらないから」
 その言葉に、地に伏したまま右腕で上半身を支えるようにして顔を上げるセレスの表情は悲痛に歪んでいた。
「もう、終わりでいいよね」
 無情な声はこの場においての勝利者となりえた者、半ば茫然としたように立ち尽くすレシャ、そして何も出来ないセレス。
「やっ…だ。もう、誰も…」
 また、何も出来ないのかと。また、地に転がっているだけなのかと。 また、同じ事を繰り返してしまうのかと。セレスは自身を責めたが、どうしようもない事は痛いほどにわかりきっていた。 だからこそ悔しかった。
「さようなら、何番目かの同士」
 友に別れを告げるかのような声で告げて微笑むと、レシャ目掛けて帯電する右手を突き刺そうと地を蹴った。 生半可な攻撃では意味がない、此処で終らせると、告げた別れの言葉、それが意味するものは必殺の一手。
 ずぶ―――――、鈍い嫌な音がした。



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