Number −銀の魔方師−
5:共鳴 (05-04)



「うぉおっ!! 二度目の大揺れっ!」
 床に神兵を叩きつけながらそんな科白を口にする。
「科白と行動が全くかみ合っていないな、人間」
「うるせー! てかね、あんた何〜? さっきからそーやって見てるだけでさぁ」
 ゴスッ――、床で呻き声を上げていた神兵の腹部に思いっきり右足を振り下ろす。
「あれから幾人片付けたかな? 数えていなかったが」
「いや、あんた何しに来た訳…?」
 厭きれ返った声を上げて視線を投げたカイエルは、黒一色の双眸を細めて思案するような素振りの姿をその視界に捉えた。
「後続が途絶えたな。―――いや…違うな。それどころではないと、今のでやっと気付いたといった所か」
 小さな笑みを浮かべてそんな事を口にする姿にカイエルはその表情を困惑したものに変える。
「はぃ? えーと、何?」
「いや、大した事ではない。こちらの話だ」
「それってオレに関係あるんじゃないかと…」
「いや、別件だ。気にするな。―――それにしてもいい動きだ。それに疲れてもいないようだな、まだ。とても人間とは思えないが」
 クスクス笑いながら右手を無造作に振り払う。途端、メキメキという音を立てて風が床を走った。
「ああ? オレはどっこをどー見ても人間様だっつーの!」
 不快とでも言うかのように眉を顰めたカイエルの目の前で、神兵によって放たれた風は四散した。 音と共に歪みながらカイエルへと向かっていたそれも、目と鼻の先と呼べる位置で停止する。
「―――なるほど。無効化する系譜のモノか…」
 ぽつりと感嘆とも取れる声で呟き、瞳孔しかない真っ黒な双眸が真っ直ぐにカイエルを見据えた。
「人間、親はいかなる者か? これほど強力に無効化する者も珍しい、彼等では歯が立たなかった事も頷ける」
「ああ? 親ぁ? 親なんざ知らねぇな! 気付いた時からんなもんいなかったぜ」
「そうか」
「てかさ〜、あんた神兵さんなんだろ〜? 街の人間の事くらい把握しててもいいんじゃないか?」
「まさか。幾らでも増える人間を一人残らず把握するなど無理であろう。人は数十年で老いて死んで行く」
「…確かに。そりゃそーだ。んでもさ、オレみたいなのは目ぇ付ける対象なんじゃねぇ? 勿論悪い意味でな」
「このような真似をしなければ別段こちらから人間に対してそういった事をする必要はないのでね」
「そーかぃ」
 再び殴りかかってくるソレを避けるようにしてカイエルは後方へと飛びのくと、そのまま相手に向かい突進する。
「いい反射だな」
 己の一撃を避けて向かって来る姿に満足そうに瞳を細めると、そのまま押さえ込むようにして組んだ。 互いに睨み合い、
「あんたさ、神兵にしては言語達者だし。さっきから思ってたんだが、何かやたら人間っぽぃんだけど? 本当に神兵?」
 ぎりぎりと握り合う両手に力を込めながらそんな科白をカイエルは口にした。
「何、たいした事ではない。随分昔に死んだ母が人間だったというだけだ」
 事も無げに、神兵はそう返した。
「―――は?」
「只人だったのでな、寿命と共に老いて死んだ。私が人間のように思えるなら、彼女の影響だろう」
「あ、そう…。ていうか、母が人間って。あんた、元は人間が神兵になったってぇ口か?」
 ぐっと両手を固定するように力を込めて握り締めると足で相手を蹴り上げる。
「いいや――」
 短く否定し膝を折って腹部を狙って蹴り上げてくる足を自らの足で防ぐ。
「母が人間だった、と言っただろう? 父は人間ではないのでね」
「は?」
「父は“神”の系譜の者でね。―――尤も、こちら側ではなかったが」
 意味がわからないといった顔をしてみせたカイエルに小さな笑みを浮かべると、
「何、大した問題ではない」
 くつくつと笑って途端その両手の力を抜き振り解くと躰を右側へと寄せる、 急に手を離されたカイエルは勢い付いたまま前のめりに倒れそうになったが差し伸べられた神兵の手によって躰を支えられる。
「―――はぁ?」
 抱きかかえられるような体勢のまま、カイエルは何とも間抜けな声を上げた。
「茶番はここまでのようだな。少年、命が惜しくばこの館を去るがいい」
 その躰を起こすようにして呟かれた科白にカイエルはその体勢のまま神兵へと拳を振り上げる。
「―――もう、必要ない」
 軽やかに首を曲げてその攻撃を交わした神兵はそんな事を呟いた。
「何だそりゃ、何の真似だよ!」
 叫びながらニ撃目を放ったその拳を右手でしっかりと掴むと、
「私がここに入る必要がなくなった、という事だ。お前と争う必要もない」
 真顔でカイエルを見つめ返し、神兵にあるまじきトンデモナイ事を口にした。
 ぱちくりと目を瞬いてカイエルはその姿を見つめ返す。嘘を言っているようには見えなかったが、 そんな事を口にしているのは神兵なのだ。相手を騙すためにそういったフリをしているとも考えられた。
「それから、時期に此処は崩れ――」
 科白をそこで止めると、不服そうに双眸を細め、
「単一の命令に従うだけの木偶人形か、事態がまるでわかっていないようだな。無理もない事だが」
 冷淡な口調にその声をかえて呟かれた科白に、カイエルは反射的に後方へ飛びのくと身構える。
「何、お前の相手は向こうだ」
 その瞳はカイエルを真っ直ぐに見つめてはいたが、返す視線はその更に後方へと注がれていた。対峙する神兵の更に後方より、 大柄な体格――カイエルの倍はあろうかという大きさの神兵が二人、物凄い勢いで走り寄ってくる姿が映る。
「新手かよ!」
 やっきになって叫んだカイエルに、
「ああ、そのような時間もないか。仕方ない」
 溜息がちにそんな事を呟くと面倒そうに右手を額へと当てる。
「クゥ、此処は我等が守るべき場だ。お前は下がれ」
 そんな声を走りよる神兵が上げる。
 更に言葉を紡ぐ神兵の登場にカイエルは小さな舌打ちをした、対峙する者が対話しその実力を認めていたがゆえのものだ。 同じように言葉を話す以上、これまでの神兵よりも強いであろう事は容易に想像出来た。
「やったるぜ、コノヤロォ!」
 自身をけしかけるようにして叫び、腰を落としたカイエルの目の前で、
「そうもいかない都合というものがあってな」
 薄笑みを浮かべ、対峙していた神兵――クゥは本当に小さな呟きを漏らした。
 すぐ背後まで迫り、その両脇を走り抜けようとした二人の神兵に、
「時間がないので、私が代わろう」
 誰とも成しに、呟く。
 それと同時にクゥはありえない動きを見せた。戦闘モードに入り身構えていたカイエルでさえ、 目で追うのがやっとという速い動き。あれで向かわれたら一撃で沈められる事は必死であろうという、俊敏なものだった。
 反転し、傍を走りぬけようとした神兵二人の顔を両手で鷲掴みにしたのだ。
 誰もがその行動に驚いたのだろう、味方であるはずの神兵も、苦戦を強いられる事を覚悟していたカイエルも。
「邪魔だ。それから状況判断くらい己でしろ、愚か者が」
 怒りにも似た声音で言葉を紡ぐのに合わせて、その両手に力が込められる。驚愕した表情で必死にもがき、 その手を離そうと躍起になる二人の神兵を嘲笑うかのようにして、
「だからお前達は木偶人形と呼ばれる」
 淡々とした口調で告げ、それに合わせてボコボコと神兵の躰が沸騰するかのようにその形を変形させていく。 呻き声を上げる事すら赦されず、溶けるようにして液状化し、その手から崩れ落ち――否、流れ落ちた。
 床に小さな赤黒いたまりを両脇に作り上げておきながら何事もなかったかのように両手を払うと、
「一体どれほどの時を掛ければそれに気付けるというのか、全く理解しかねる」
 厭きれ返ったような声を上げた。
 それらを茫然とした顔で見ていたカイエルは、間抜けにもぽかんと口を開けている。
「―――さて、話が途中だったな」
 気を取り直すようにしてそう口にして振り返ったクゥは、どうしようもないほどに間の抜けた顔で自分を見つめるカイエルの姿に、
「何、手間を省いただけだ。気にするな」
 そんなトンデモナイ事を口にした。
「話の続きを進めて構わないかね?」
 問い掛けられた声に、茫然とした顔のままカイエルはコクリと頷きを返した。この神兵――クゥがどういうつもりなのかは わからないまでも、今の動きを見てしまった後ではどうしようもないと――対峙していた時は手加減されていたのだと、 気付いてしまったからだ。
 本来、侵入者には絶対の鉄槌を下すべき神兵であるはずのクゥが、カイエルに手加減をしていた。それが、 先ほどの科白が信じるに足りるものであると証明する絶対の行動だった。
「そう、何処まで話したかな…? 確か…――」
 思案するような素振りを見せ、
「―――此処は崩れる」
 いきなり結論だけを投げた。
「は?」
 更にカイエルの表情が崩れ、
「いやなに、簡単な事だ。魔方は防げても建物の崩壊から身を守る統べはないだろう? だから館を去れと言ったのだ」
 爽やかとは形容し難い顔立ちをしているのだが、そうとしか言い様のない笑みを浮かべてそう続ける。 その科白に崩していた顔を怪訝そうに顰めて眉間に皺を寄せて凝視するも、 その姿勢から戦う意思は完全に消えた事を悟ったはクゥは静かにきびすを返すと背を向けた。
「手遅れになる前に、此処を離れるがいい。―――いいな、カイエル?」
 最後に呟かれた自分の名前に、カイエルは目を大きく見開いてその背を凝視する。その視線に答えるようにしてか、 友と別れの挨拶でもするかのようにして背を向けたまま右手を軽く振り返した。
 遠ざかるその姿を暫く茫然とした表情でカイエルは見つめ、思わずそのまま見送りそうになって、 弾かれるようにして駆け出すと慌ててその後を追う。
「―――って、ちょっと待て、お前! 何でオレの名前――」
「大した事ではない」
 正面へと回り込んで叫び声を上げたカイエルの科白を区切るように事も無げにそう呟くと、クゥは微笑んで見せた。
「お前の事はよく知っている。ああ、安心しろ、別にお前の親という訳でもなければ、産まれた時から知っている訳でもない。 つい最近―――そうだな、六年…いや七年と言った所か」
 告げられた科白にわからないといった顔を見せたカイエルだったが、
「―――彼女がいなくなった事も知っている」
 静かに、声を落として告げられた科白に弾かれるようにしてその顔を凝視した。
「あんた一体…?」
「いや、大した者ではない」
 そんな訳はなかろうが、本当に何でもない事のような声を漏らし、
「時間がないぞ。早く館から出た方がいい」
「それはもう聞いたってのってか、崩れるってどーいう事? 大体、神兵って名前とかってナイって聞いてんだけど、あんたクゥってーの?」
「館が崩壊する、というだけだ。名に関しては此処での名だ、私は此処生まれではないのでね。そういった理由で呼称が与えられた、 それだけだ。本来の名は異なる」
「何で崩壊するんだよ、ここって魔方で出来て―――って、偽名?」
「どちらか一つに限定したらどうだ? 頭脳処理は得意ではないのだろう?」
 クスクス笑いながら告げる科白にカイエルはあからさまに不服そうな顔をし、
「あんた神兵じゃないなら、一体何だって言うんだよ」
 そう呟いた。
「いやなに、只の時の旅人だ」
 トンチンカンな返答を返し、
「私と会話している場合ではないだろう、お前は。早々にこの館を出るがいい。 ―――お前を失うような事があれば、今度こそ…立ち直れまい」
 そう、これまでとは違う、とても優しい眼差しで告げた。
 その視線の送り方は、カイエルにとっては良く知っているものだ。久しく共にあった、何者にも変えがたい存在。
「あんた…まさか――」
「それ以上、口にしてはいけないな」
 くすり、と笑ってそんな事を告げカイエルを避けるようにして再び歩き始める。
「って、待てよ! 何だそれ、ふざけんなっ!! 何でこんな所にいんのかもわかんねぇし、何で――」
「言っただろう? 私は人間ではないのだ。理由など、それだけで十分ではないかね?」
 隣に並ぶようにして叫ぶカイエルに、静かな声が返った。
「んなの関係ねーだろ! 第一、いなくなったって…立ち直れないって、何でそん時に――」
「名乗り出る事は簡単だ、だが……お前にしたらどうかね? 離れていたとはいえ、私自身がこのような者だと知り、 果たしてすぐに相手を信用する事など出来るか? 出来るが訳ないだろう?」
 その科白は何の感慨も込められていなかった、それが当然であるかのように。 そしてそれを聞いたカイエルも、小さく表情を強張らせて押し黙った。 黒き双眸は視線を合わせる事なく真っ直ぐに正面だけを見据えている。
「だから、だ。尤も、誰にも受け入れられず、一人母の意思を告ぎ旅に出るような事があれば真実を告げずとも、 その同行者となる可能性はあっただろう。それも数年の話に過ぎないが」
「ウィルがいたから…? だから、そのままにしておいたってのか?」
「そうだ。―――彼は良き人間であったから、何の心配もいらぬと。それに一人ではなかった。 いつもお前と愉しそうにしていたからな」
 クスクス笑ってそんな事を呟いた。
「でも、だからって…何でこんなとこ…」
「私の目的は、彼女と同じだ。彼女と同じ人を捜して、常に傍にいる事は叶わなかったが共に旅をして来た。何処へ行くにも、 ずっと、違える事なく同じ道を歩んで来たのだ。―――此処にいた理由は簡単だ。この街に留まる事になったのでね、 私でも違和感なく居続けられる場所を選んだまでだ。それに…」
 平行して歩き続けている時も正面を見据えたまま視線をあわそうとしなかったカイエルを一瞥し、
「このような事態になった場合、外にいては手出しが出来ないだろう?」
 そんな科白を口にした。
「そ、そんなのはなぁ! オレ達だって別に好き好んで――」
「わかっている。主殿の客人の事だろう? 心配するだけ無用というものだ、このような事をしなくとも彼女は無事に戻った」
「あ、そうなの? ―――ってそうじゃねぇ!!」
 思わず素直な頷きを返してから、慌てて頭を振った。
「何だそりゃ! 何でそんな事わかるんだよっ!!」
「いやなに、大した事ではない。彼女は人を捜して旅をしているだろう?」
「あ、ああ…そうだが。何でそんな事まで知ってんだよ?」
「彼女が本当に会いたい者は別にいる。その者に出会うために必要な人を捜してるだけの事だからな」
 微かにその双眸を細めて、哀しげに告げた。
「何だそりゃ…? いや、ってかさ…セレスちゃんの事知ってるの? 前に会った事あるとか?」
「私は近年ずっとこの街にいたのだが」
「ああ…そうだよな。んじゃ何で…?」
「そうだな。―――話すと長くなる」
 頷き、理由を口にするのかと思いきや短い沈黙を破って続いた科白にカイエルは前のめりにずっこけそうになった。
「ってぇ! 何だそりゃーっ!!」
 叫びながら姿勢を正すと掴みかかるようにして詰め寄る。
「世の中には知らない方がいい事もある、という事だ」
 悲痛に歪めた声で呟く、その表情も何処か哀しげに影を落としていた。
「第一、私は変われないのだ。彼女とは違う生を生きている、わかってはいた事だが…仕方ない。 初めて他人を愛した、後悔はないが共に入られないこの身を哀しくは思っても疎ましく思った事はない。 この身が普通の人間であったなら、私はとうの昔に老いて死に、彼女に会う事さえなかったのだから」
「いや、そんなのは関係ない話してんじゃないかと…?」
「何、関係はある。第一、全ての詳細を話そうものなら、最低一月は寝ずに語る必要があるだろう話だ」
「―――は?」
「何しろ“神力”の時代の話にまで遡らなければならないからな」
「へ…? いや、ていうかそれ…一月じゃ足んないと思う」
「そうだろう? だから知らない方が良いと言ったのだ」
 愉しそうに呟やかれた科白に、今度こそカイエルはずっこけた。
 ずべしゃ、と見事な音を立てて顔面スライディングをかました姿に、
「あれだけ見事な動きをしていたとは思えない倒れ方だな」
 そんな事を告げ、すたすたとその傍を通り過ぎて行く。
「―――ってぇ、待てってーの!」
 慌てて頭を上げて叫んだカイエルを肩越しに振り返り、
「手遅れにならない内に非難しろ。純粋な“神”の血族が本気を出せば、このような館は跡形もない」
 そう告げて再び歩き始める。
「いや、ちょっと待て! それって――」
「何、心配ない。あの二人なら大丈夫だろう」
 振り返る事もなくそう告げて廊下の角を曲がる。
「だから待てって――」
 慌てて後を追ったカイエルだったが、角を曲がったその先には誰の姿もなかった。


5:共鳴 END

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