“神”が驚きに凝視するその視線の先で、ゆっくりとセレスは左手を持ち上げて天井へと向かって伸ばすと
手首を曲げて掌を下へと向ける。
バサッ―――――。
羽音が、響いた。
大きくその目を見開く先で、伸ばされたセレスの手に舞い降りる者が一人。否、一羽。
白き鳥が、舞い降りる。愉しげな笑みを浮かべる銀の髪の少女の元へ、誘われるかのように。
(鳥…?)
その光景に、“神”は眉を顰めた。
始めてみる一人の銀の少女と、一羽の白い鳥。
だのに、何故だろう。
目の前のそれに、覚えの無い映像が頭の中でダブるようにして重なった。同じように銀の髪を持つ少女と、
大きな翼を持った一羽の白い鳥。
「―――レイト」
ぽつり、その名を呟く。
舞い降りたレイトは、我が目を疑うかのような表情を向ける“神”の姿を静かに見つめる。
「まだ、答えを出すには早いと思うな。オレ」
「―――そう。じゃあ、答えを出させてあげましょう」
そんな事をつまらなげに呟いてレイトと目線が合う高さまで手を降ろすと、
「りょーかぃ」
肩を竦めるようにして返った返事に互いに目配せをした。
クゥは吐き出そうとしていた科白を飲み込むようにして視線を肩越しに送り、闇に解けるその一点を見つめる。
「二の珠ですね」
半ば硬直したようなクゥの姿に溜息がちな声を漏らし、イチノはフードを深く被りなおした。
それに合わせて、闇から這いずるようにして小柄な男が光の元へ姿を見せ、
「クゥ。―――珍しいですね、あなたがこのような所にいらっしゃるのは」
開口一番にそんな科白と共に、黒い双眸に驚きの色を浮かべる。
「私は暇を持て余しているのでね。世間話に、時折」
「そうですか。それは良い事ですね、彼らがしっかりとその役目を担っているという事ですから」
クゥの科白には嫌味が込められていたのだが、それを気にする事もなく頷くとイチノの隣――クゥと対側――に並び、
その視線を部屋の中央にある珠へと移した。
「二の珠、お客人はどうなされました?」
「主より下がるよう言われまして」
静かに返った科白に、クゥが俄かに目を細め、イチノはゆっくりとその双眸を伏せる。
「珍しい事は、続くものですね」
小さな呟きを漏らし、
「お客人…―――銀のお方でしたか、確か?」
「ええ、銀の方です。まだ年端の行かぬ子供ではありましたが」
「主殿が直に、しかもニノ、お前抜きで対面したいと言うほどの…子供?」
「ええ、クゥ」
訝しむような声を上げての問い掛けに、二の珠――ニノは肯定の頷きを返し、
「間近で私も拝見致しましたが、本当に見事な銀の髪でございました。それに、その色に沿う心の持ち主と申しますか、
真の強い印象を受けましたし、主の行う業においてもそれを当然のように受け止めておりました」
「二の珠、あなたがそのようにお館様以外の方を褒めるのは珍しいですね。正直、興味は全くなかったのですが…、
私も是非会ってみたいものです」
「一の珠、近いうちにお会いできると思います。主が誘われた方であり、他に同席を赦さずに対面されているほどなのですから。
クゥと同じように、此処へもいらっしゃるかと」
「そうですか…。それは、楽しみですね。クゥ、あなたも暇を潰せる相手が出来て嬉しいでしょう?」
「―――ああ、そう…だな」
思案するようにして黙り込んでいたクゥは、そのままの顔で生返事とも取れる小さな頷きを返した。
「何かありましたか?」
その姿にイチノがちらりと一瞥し、問い掛ける。
「いや、大した事ではない」
「そうは見えませんが」
「いやなに、ニノが余りにも褒めるのに驚いただけだ。珍しい事は本当に続くものなのだな、と」
苦笑するようにして呟かれた科白に、ニノが僅かにその双眸を細める。
「それはどういう意味ですか、クゥ?」
「いや、大した事ではない。―――ニノ、やはり気付いていなかったのだな」
「何をですか?」
「お館様の所から此処へ直接来れば、仕方ないでしょう」
小さく呟いた科白にニノの視線がイチノへと走る。
「一の珠、どういう――」
「珍客が来てる」
ニノを遮るようにして、その科白の答えになる科白をクゥが口にした。
「珍客…?」
訝しむような声を上げる姿に、
「二の珠、ご覧なさい」
静かにそう告げたイチノの声に合わせるように珠が一瞬だけ光を増し、ニノの見つめる先でそこに一つの影が映し出される。
「これ…は」
「捕獲するよう指示を出しました。」
驚きに見開くニノに淡々とした声でイチノが告げる、それを横目に見つめながらクゥは小さな笑みを浮かべた。
イチノほどではないが、ニノ自身も感情を表に出す事は珍しい。元より珠の名を受けてその役目にある者は
感情があるのかすら疑うほどに平静を保ち、淡々と己の役目を真っ当し行動する。その身に受けた珠の影響なのであろうが、
その姿はまるで機械人形――ロボットのようであり、言葉を交わすとは言え非常に事務的で、
その存在すら目で確認しなければ感じられないほどに儚い者達。
「先ほど二手に別れました、もう一名はこちらに」
そうして切り替わった映像に、ニノの表情が強張った。
「適合率の高い者が一度に二名、確かに珍客と呼ぶに相応しい。―――三の珠は?」
「外の守りを館の内へ立ち入る許可を与えに行きました。あなたも行って貰えますか?」
「わかりました。数百年に一度の割合とはいえ、手間がかかりますね」
「クゥの事を思えば、数年に一度と訂正した方がよいかもしれません。愉しみが増えて良いでしょう?」
「イチノ…」
引き合いに出されクゥは苦笑する。
「直接、私が向かっても?」
「クゥにも言いましたが、捉える事が最優先です。二の珠、あなたはクゥ以上に加減が出来ないのでそれはやめて下さい。
彼ら、この館を壊して進んでおりますから。それを目にすれば…二の珠、あなたの事ですから捕らえるというのを忘れてしまうでしょう?」
ピシリ、と室内の空気が一変する。
怒りにも似た空気が辺りを覆うようにして広がり、ニノが珠を見つめる視線をキツイものへと変えた。
「ニノ、言われてる傍からその反応か」
「無断で立ち入っただけでなく、館への侵入。更に破壊行為。これは主への冒涜に他ならず――」
「二の珠、捕獲が最優先事項です」
憤りの込められたニノの科白に普段と何ら変わらぬ淡々としたイチノの制止がかかり、
「三の珠と同じように、外の守りへの許可を与えに向かって下さい。直接対峙する許可は出しません」
静かに、怒りに満ちる瞳で珠に移る二つの影を凝視するニノへと告げた。
「しかし――」
「反論は認めません」
ぴしゃりとニノの科白を遮り淡々とした声で絶対の否を口にし、それからゆっくりと珠をなぞりながらイチノが薄笑みを浮かべ、
「彼等…、何処まで行けるのか愉しみですね」
背筋の凍るような冷淡な声がその口から紡がれる。
それにヒクリと顔を強張らせたニノは普段は見る事のないイチノの笑みを目にして押し黙り、クゥが小さく息を漏らした。
「―――二の珠、三の珠と同じように外へ」
暫しの沈黙を持って続いた言葉は、普段通りの何の感情も含まぬ静かなもの。
「館の心配はいりません。外壁からですが、修復しておりますから。―――それに…彼等の反応は記憶しました、逃しません」
間を起き、続けられた科白にニノはゆっくりと息を吸い込むと、
「わかりました。外へ出ます」
短く頷き、きびすを返した。
足音一つ立てずに闇へと再び溶け込む背に、
「二の珠」
静かな声がかけられる。
ほとんど闇と同化しているその姿が肩越しに振り返ったのを確認すると、
「それを持って行きなさい。捕獲後、すぐに埋め込むように」
その科白に合わせるようにして、ニノの眼前に10センチ程度の赤い珠がふわりと浮かび漂う。
無言で頷きを返してそれに触れると、それを合図としてか浮力をなくしてニノの手に収まる。ずっしりとした重みと、
石にしては随分と冷たいの感覚が手から全身へと伝わる。それこそがイチノが一の珠として此処にいる理由でもあり、
同時にその地位を不動とさせているモノでもあった。
「確かに」
呟き、再び背を向けたニノはそのまま闇へと溶け込んだ。
「
It opens, and the gate of the heaven」
「開け、天界の門」
二人の声が、異なる言葉で同じ意味を持って告げられる。
バサッ――――――。
羽音を響かせて、セレスの頭上を舞うようにして羽ばたく。それに合わせて両手を下ろし、外側に掌を開くようにして向けると、
「
It pushes open, and the gate of foundation」
「押し開け、創始の門」
再び同じようにして告げられ、セレスは瞼を閉じる。
「「その日に有りしモノ、あるべきカタチ、あるべきトコロへ。封じを解いて、そこに在ると示すモノ。
全ての門を開き切り、現われ出でよ。―――光印、開封」」
同じ言葉を寸分違える事なく二人が口にした途端、辺りはまばゆいばかりの白き光に包まれた。
カイエルと別れたレシャは、一人“神”の住まう屋敷の中を走っていた。
この館へと初めて入ったレシャはその位置を正確には知らない。ここは“神”の館であり、それもそこを囲む塀すらも、
強烈な結界を伴う魔方で構成されている。それほどの威力で封じられているのだ。
館の内に入れば嫌でもその位置を知る事は可能なはずだった、強烈なその存在感と共に。
だが、全くそういったものがなかった。普通の広い屋敷、その装飾は見慣れぬ見事なものだったが、それ以外に違和感がない。
つまり“神”のいる部屋は、そこに限定された結界が更に設けられているという事だ。
館へと立ち入った時から感じていた違和感、“神”の存在を感じない事にそういった結論をレシャは出した。
それならばやり方を変えるだけ、強い力で封じられている場所を捜せばいいだけの事。
ゆえに、レシャはそこを目指していた。
寸分違えずに、少し前にセレスが歩いた入り組んだ道を後を追うようにして走っていたのだ。
眼前を見据えるようにして走るその視界に、黒い影が映る。
神兵が二人、視界がそれを捕らえた瞬間、頭で考えるよりも早く躰が反応した。
「退け!」
進路を妨害するように立つ二人の神兵に向かい叫ぶと、右手を大きく払う。途端、神兵がぐにゃりと歪み、
何処からと言わず消えていく。すれ違うようにして二人の間をレシャが走り抜けた頃、そこに神兵がいたという痕跡はなかった。
レシャは、魔方師だ。その属性は闇にして消滅、更に最高位の称号を得ている。
この時代における魔方は本来呪文を必要としない。全ては脳内におけるイメージだ、それを現実のモノとして現す事の出来る者、
それが魔方を扱う魔方師として認められる絶対条件。ただ、それだけだ。
思考を用いてイメージするには限界がある、より具体的に、よりリアルにイメージする事は簡単なようで意外と難しい。
だからこそ、ランク付けがされている。最高位、その属性の魔方を強力に現す事の出来ればいいという訳ではない、
魔方を用いてのイメージを現実に寸分違える事なく現す事も出来て初めて、与えられる称号。
消滅系魔方を扱うレシャにとってその力の具現とはそのまま、対象物を消滅させる事。イメージしたものを現実として、
完全に抹消出来る者。
勿論、例外はある。
対象物が魔方によって作られていた場合だ。力による制御を受けているモノを、
力で制すためには掛かっているモノ以上の力が必要となる。
だが、元々不安定な力を与えられ歪められた異形が神兵だ。魔方の上書き――最初に構成されたモノに更に二重三重の魔方力を
かけて完成させる――が成されていなければ、いかな魔方による創造物であろうとそのバランスを崩すのは容易い。
それは、ある一つの原理に基づいている。
この時代を生きる人々は知らない原理だ。モノを作り出したり消したり、そういった不思議の力――魔方は、
魔方師の持つ、習得した技術や力と思われているが実はそうではない。
かつて世界にあったモノ、今は失われて久しいソレ。二つ前の時代を象徴した“科学”と呼ばれる力。
その時代、この世界に存在する全てのモノは、原子によって出来ていると知られていた。数ある原子が様々な形で結びつき、分子となる。
そしてその分子が更に結び付く事によって、様々な物を構成する姿となっていると。
この時代における魔方とは、それにかかる力であった。如何なる属性のものも、始まりは過去に栄えし“神力”の時代の産物であり、
その時代に栄えた魔方の始まりは時を納め唯一の存在とされた、対なる2人の“神”だ。
彼等は“科学”の時代に生まれた存在であり、己の力がどういったものなのか理解していた。そしてそれによって変化を齎すという事が、
実際にはどういった現象であるのかというのも理解していた。
全ての原子を動かす力。
対象物が何であろうと、関係などなかった。
だからこそ彼等は、老いる事も死ぬ事もない存在として数千年に渡る“神力”の時代を生きていたのだ。己の持つ力によって。
そうして、それを魔方というカタチで人に与えた。
だから呪文は存在しない。
属性が別れているのも、どれか一つを習得していたら他を得られないのも、簡単な理由だった。
その力は強大過ぎた。外界に齎す威力、という意味ではない。魔方を扱う人間側にとって、諸刃の剣だったからだ。
決してその目では捕らえる事の出来ぬ存在である原子、それを操ろうというのだ。いかな“神”によって力を与えられた人間といえども、
それを同じように成しえる事など不可能だった。かつて“神力”の時代には広がり始めた魔方を数種類にわたって習得したモノはいたが、
例外なく早死にするか発狂した。
只人が持つには強力過ぎた、それ。
ゆえに、属性を定め、それに類するものだけに限定したのだ。そうして生まれたのが魔方師である。
今の世を魔方師として過ごす者は、かつて“神”と対峙しそういった力を有する能力を与えられた者達の遠き子孫であった。
それらの血を引く者が必ずしも魔方師となる訳ではない。連綿と続く血の流れに、そういった事を忘れて久しい者もいた。
一つの場所に代々暮らしていたとしても悠久とも取れる時代の流れの中で、人の一生など取るに足らない時間。
だからこそ、親は只人であろうとも子は魔方師だったり、その逆も在りえた。
それでも、遠く歴史を遡れば例外なく辿り着くのは“神力”の時代に“神”の傍近くにいた者達という事だ。
時間の流れと共に世界中に流れた魔方師という存在は必ずしも“神”の傍にいるとは限らず、
その地位と属性を定めるのは主に他の魔方師に習う形でそれらを学び与えられて来た。
左右の瞳の色によって、能力とその力の階級を定められるが、それは誰かに与えられて――認定されて変わるものではない。
能力を有し認められたその時から、その力の大小によって階級という色分けが、自然と成された。
能力を査定するのは、誰でもない。この世界にある万物、それが定めるのだ。己にかかる力を、色によって示して見せた。
それだけの事が出来る存在であると、この世界に在る万物が認めているという事でもある。
それは引いては“神”によって与えられている称号と言っても過言ではなかった。この世界は遠い過去に“神”の手によって、
作り直され、人が住める世界へと変えられたものだから。この大地にも、空気にも、全てのモノの始めには“神”の力が宿っていた。
そのため、そういった力を有した者は“神力”の時代に“神”から力を与えられた者達と同じような変化――瞳の色が変わる。
ただそれだけの事だった。
そして魔方師に属さない、魔然師は生まれながらに不思議の力を扱える者が魔方を習得した場合に与えられる称号となった。
理由は簡単だ。人の身には変わらないという事で属性を定めてそれに限定されている――というのが一般説だが、実際はそうではない。
只人には死の文字が否応なしに降りかかるそれも、彼等には関係ないのだ。その気になれば、全ての力を有する事も可能。
尤も、能力の大小の差は出るであろうが。
生まれからして特殊である彼等にとって、一般に言われる魔方を扱うという事はごくごく自然な行為に過ぎない。
人が物を取るのに手を伸ばし掴む、歩くために足を動かす、そういった行動と何ら変わらないのだ。
だからこそ、同じ魔方を扱う者にすらその事実を知っている者には畏怖の念を抱かせずにはいられない存在が魔然師であり、
“神”が親愛の情を示し、事実を知らぬ一般の人間からも力だけでなくその外見からも“神”に尤も近い人間と呼ばれるのだ。
「もう少し、上か」
走りながら上空を睨むようにしてレシャは呟いた。
“神”もセレスも、どちらの存在も感じる事は出来ない。魔方を扱う者がその力を操ろうとすれば、
持ち合わせる力が強力であればあるほどその存在感は否応なしに他の魔方師に知らされる。
セレスは決して弱くはなかった。魔然師として、その年に似合わぬほどに確率されている。尤も習得困難とされる光属性、
創造を扱うのであるから当然といえばそれまでなのだが。
近くにいれば当然のように居場所を知る事は可能だった、その外見が目立つという訳ではない、その力ゆえに、だ。
しかし今、同じ建物という名の結界の中にいるのにその存在を感じる事が出来ずにいた。
導き出される結論はただ一つ。
封じられし“神”の部屋で、今まさに対面している。
「余計な細工してるな。無駄に力を使って、これだけのモノ、外へ向ければ砂漠なんかなくなるんじゃないか…?」
忌々しい物を見るようにしてレシャは周囲を眺めて形の良い眉を顰めた。
目指す前方に再び、黒い影が過ぎる。
「邪魔す――」
るな、と付け加えようとしたが、出来なかった。
瞬間酷い耳鳴りが頭を襲ったからだ。思わず足を止め両手で耳を塞ぐが、それは無駄な行為に他ならない。
耳鳴りと思えたそれは、脳内に直接響き渡るものだ。酷く不快な不協和音、ただ一つの事を告げる絶対命令を伴うそれ。
開け、開け、開け、開け――――――。
「なんっ…――」
呻くように声を上げて、レシャはその場に崩れ落ちた。
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