部屋の中央で、床から生えるようにして半球の大きな珠が一つ、ぼんやりと白い光を放っていた。
部屋を灯す明かりはそれだけなのか、その珠から数歩離れた先は闇と同化している。
全身を黒で包む小柄な影がじっと弱々しく光る珠を見つめていた。そこに浮かぶものを何の感慨も浮かばぬ赤い瞳で、
ただそれを見ている事だけが己の役目だとでも言うかのように。
「珍客と聞いたが?」
ふいに男の声が響いた。
室内に人の気配はない、光る珠の傍にいる者の存在感すらない。それを目にしなければそこにいると感じぬ者。
瞬き一つしなかった赤い瞳を軽く細め、
「クゥ?」
少年とも少女とも判別のつかぬ、幼い声がその口から漏れた。
「ああ」
短い頷きを返し、暗闇から生まれたかのようにして姿を見せた黒き衣装を纏う長身の男――クゥが自身を見つめる赤い視線を交わし、
その隣に並ぶようにして珠を見つめる。
「珍しい事が一つあると、続くのかな」
クスクスと笑いながらそんな科白を口にして、珠へとその左手を伸ばす。
「そんなに何組もお客さんが来ているのか」
「あなたの事ですよ、クゥ」
事も無げに返った科白に、瞳孔しかない真っ黒な双眸が不満そうに細められた。
「私は客扱いか」
「名を持ち、それを認められているあなたは、我々とはその立場が少し違いますから」
フードを落とすと色の抜けた真っ白な肌を持つ幼さを残す顔が現れる、少年とも少女ともその判別は付かないが
どちらにしろ頭に美が付く事だけは確実だ。その面差しを更に引き立てるように浮かぶのは見事なまでの赤い瞳、
そしてその顔に掛かるのは散切りではあるが輝くばかりの金色の髪。
「いつまで経とうと、同胞(はらから)とは認めてもらえないという事か」
小さな笑みをその口元に浮かべて呟かれた科白に、
「何を基準にするかによりますね。―――私はあなたを認めておりますから」
「客扱いだが、同胞か」
「ええ、そうです」
その声に合わせるようにして珠が光を失う。
「己の存在位置を見極め、それを成す事。それが可能となっているのであれば、私からすれば如何な者であろうと同胞です」
「それは随分と寛大だ」
「そうでしょうか? あなたにとっては簡単である事も、往々にした者には難しい事ですよ」
じっと自身を見上げる赤い双眸はそれ自体が光を持つのかぼんやりと闇の中に浮かんでいる、
見えてはいないだろうがその科白にクゥは肩を竦めて返した。
「―――そう、珍客の件でいらっしゃったのでしたね」
暫しの間を置いて愉しむような声を上げ、
「あなた自身が此処へ来るほど、興味を引くような者なのかはわかりませんが」
「何者であろうと、珍客には興味を持つなという方が無理な話だ」
「そうでしょうか?」
「“神”の住む屋敷に侵入するような思考を持つ者に、それを成し得る存在に、興味を持たぬ訳がない」
「なるほど」
クスクスと小さく笑うと、その声に合わせて部屋に再び明かりが灯される。光を失っていた珠がぼんやりと白い光を再び放ち、
「来訪者は2名―――ですが、人…か、どうかはわかりません」
赤い瞳が細くなり、珠を見つめる。そこに移るのは、二つの影――否、赤い人影。サーモグラフィーのように、
そこに熱反応があるかのように赤から朱色、一部何故か黒く人型が形どられている。
「わからない、とは?」
「直にご覧になれば―――ああ、あなたは違うのでわからないですね。失礼しました。―――只人であれば、赤、
ないしオレンジ色で映し出されます。ですが彼らは…」
「黒い部分があるな。片方は頭部の左側面に、もう片方は…全身に筋のように走っている」
「ええ、ですからわからないのです」
疑問を持っているのは確かなのだろうが、その瞳は静かなまま何の色も浮かばず口調も非常に淡々としたもの。
「どういう反応を意味するのか、これは?」
「そうですね。―――我々と同じ、或いは……人以上の存在」
「神兵は捉えられないだろう?」
「例外はあります。初めてあなたが此処へ来た時のように」
「つまり…例え同じ神兵だろうと、余所生まれは敵と認識するという事か」
「許可なく立ち入っている時点で如何な理由があろうとも、敵対する者には変わりありません」
きっぱりと、それでいて静かな声で告げられた科白にクゥは肩を竦めた。
「私は運がいいという事か。―――それで、イチノ、どう対処するつもりだ?」
ちらりと隣を一瞥して声を掛けるも、その姿に反応は見られない。
「イチノ?」
「省略しないで下さい、と…いつも言っているでしょう?」
「他に誰もいない。それに長い」
「私はあなたと違い、名を持ちません。それを、そのように呼ばれては困ります」
クゥを見つめるように動かされた静かな赤い瞳には何の感情も変わらず込められてはいなかったのだが、
「了解した」
観念したような声音で項垂れると、横目に珠を見つめる。
「一の珠(ギョク)、対処の指示は何と?」
「すでに指示は出しました。お館様に来客中ですから、迅速に事を済ませねばなりませんでしたので」
「主殿に来客…? そういえば、ニノがそんな事を――」
「クゥ、省略しないで下さい」
思案するような素振りを見せた姿につい先ほど聞いた科白が同じようにかけられ、
「今、此処にいない」
不満そうな声をクゥは漏らした。
「私がいます」
「―――それで、ニノは何処へ行った? こういう時こそ、一番役に立つだろうに」
「二の珠は、お館様のお客人を招き、案内を」
「主殿のところか。あそこは隔離されているし、恐らく気付いてないな」
「ええ」
「サンノ―――珠は?」
呼び名を呟いてから、静かに自身を見つめる赤い瞳に呼称を続ける。
「外の守りに館へ立ち入る許可を与えに行きました」
「なるほど。それほどの者と?」
「このような反応が出ておりますので」
「私への判断は如何とする?」
「あなたの手を煩わせるつもりはありません。あなたはお館様の守り手という役目を与えられている以上、
無断で立ち入った者の相手をあなたにさせるという事は、彼らのいる意味がまるでないですから」
静かに告げられた科白にクゥは薄く口元を歪めて笑みを浮かべ、
「暇を持て余している私に、少しは楽しみを分け様とは思わないか?」
そんな事を口にした。
「あなたを行かせては、勢い余って殺してしまいますでしょう?」
不服そうなクゥの呟きに返ったのは、肯定でも否定でも返事でもなく、そんな科白。
意図しなかったそれに、一瞬だけ目を見開くと思案するようにその黒き双眸を細め、
「―――それは、どういう意味だ?」
低い声で問い掛ける。
「捕獲するよう指示してありますから」
さも当然とでも言うかのような声が返り、
「こういった反応が出ている以上、審議の必要があります。恐らく神兵か、その系譜であろうと思うのですが…―――もし、
そうでないのだとすれば、二名とも、その適合率が高いという事ですから。特にこちらの者は」
その声と共に腕を伸ばして手まですっぽりと包み込んでも長さの余りある黒き袖で、
全身に黒い筋の入る反応を見せる者を指し示した。
「―――ギョクの継承者になれる、という事か」
「恐らくは」
「それほど高いのか?」
「これだけ綺麗に反応が出ておりますから…。そうですね、珠を受け入れて三日もしないうちに定着し、恐らく…降格するでしょう」
告げられた科白にクゥはあからさまにその瞳を歪ませると、
「お前が?」
意外そうな声をそのままの顔で吐き出した。
「私ではありません。二の珠より下の者が」
きっぱりと、されど静かに告げられた声にクゥは天井を仰ぐようにし、
「ああ、お前に叶うギョクの適合者などいる訳がなかったのだな。この館では」
溜息とも取れる声で呟く。
「それでニノが降格、か。―――それほどの者か、この珍客は」
「それもあります。けれど…、元よりあなたが此処へ来た時に繰り上がっただけの話ですから。彼は元々は三の珠ですし、
今の三の珠とて五の珠であった。別に可笑しくも珍しくもない事ですよ」
何の感慨も覚えぬ静かな声は、一の珠――イチノ、と呼ばれたこの赤い瞳の者にとっては事実何でもない事なのだろう。元より、
イチノにとっては情を動かす事自体が稀なのだが。
「ああ、その節は失礼したな。まさか捕獲しようとしているとは知らず、命を守るために敵対心剥き出しで来る者を片付けただけだったのだが。
いや、まさか館の要の補佐を担う珠の方々だったとはな、知らない事とはいえ――」
「別に大した問題ではありません。それに、二の珠以降の者が幾人失おうと、補充され続けますから。常に最低3人の珠が存在する、
それはこの館においての絶対の理ですからね」
「そう言ってもらえると幾分でも気が休まるが」
「ご冗談を。全く気にしておられないでしょうに」
クスクス笑い、イチノは初めてその声音に愉しげな感情を見せた。
「いや、そうでもない。そのお陰で此処に住まう許可を貰えたからな」
「珠を受け入れる事もなく、珠としての役目を担い、更にあなたは名を与えられている。―――そんなあなたを、
どうして他の神兵と同じように扱えましょうか。私如きに」
「謙遜だな、イチノ。この館の一番の守り手は…その呼び名が示すとおり、お前であるのに」
「私はただ此処にいて、見ているだけですから」
事も無げに返った科白にクゥは複雑な顔を返し、次いで哀しげにその瞳を歪ませる。
暫しの沈黙が流れ、
「―――イチノ、一つ聞いておきたい事があるのだが…」
「彼等、二手に別れたみたいですね」
じっと珠を見つめていた赤い瞳が、何故か、何処か愉しそうな色を浮かべて呟いた。
沈痛な面持ちで会話を切り出したにも関わらず、そんな科白で話の腰を折られたクゥは小さく息を吐き出すと、
「この館に無断で立ち入ったにしては随分な自信だ」
そう苦笑した。
「そうですね。私が守る館を壊した者は、彼ですが」
声と共に映し出されたのは全身に黒い筋の走る影。
「一人で? 二人がかりではないのか」
「ええ、そうです」
「なるほど。そういった面でも、なお適合者として相応しいという事か」
「クゥは理解が早くて助かりますね」
イチノにしてみれば普通なのだが、通常の人間であれば棒読み以外の何者でもない科白にクゥは肩を竦めた。
「―――それで、何ですか? 聞きたい事というのは?」
急に話を戻すイチノに、
「珍客の対処が先で構わないが」
「もう指示は出しましたし、私は見てるだけですから大丈夫ですよ」
「そうか」
呟き、押し黙る。
沈黙が辺りを再び覆い、珠から視線をそらして珍しく深刻な顔をしているクゥを見つめた。
「クゥ? どうかしましたか? 珍しいですね、あなたがそのような顔をするなど。とはいえ、
私があなたのそのような顔を目にしたのは、これで3度目、付け加えるなら…何年かぶりですね」
その科白に、肩を竦めて苦笑すると、
「イチノ、例えばの話だが…。もし、お前が――」
カラーン、カラーン―――――。
向き直るようにして声を上げたクゥの科白は室内に来訪者を告げる、その音によって止められた。
砂塵舞う部屋に少女の笑い声がクスクスと響いていた。
次第に晴れて行くそれに、薄っすらと人影が二つ浮かび上がる。
「―――嫌になっちゃうなぁ…、不意打ちなのに」
愉しそうなセレスの声が漏れた。その頬には一つ、赤い筋が走っている。
「しっかりお返しするんだもんねぇ…」
正面を見据えるようにしてそう呟くと、頬の赤い筋を親指でなぞった。それからぺろりとそれを舐めると、
半ば茫然とした表情で自分を見つめる“神”へとにっこりとした笑みを浮かべる。
「ま、意味ないけど」
事も無げに呟く、傷を負ったはずの頬には血の跡が微かに残るだけだ。
「お前は…いったい」
訝しむように、困惑するように、小さな声を漏らした。
その周囲には“神”の手によって齎された結界がパチパチと小さな火花を散らせている、
緩やかに流れていたはずの黄金色の髪は乱れるようにして流れた。
「この部屋、結界がしっかりしてるから少しくらい何かしても全然平気みたいね」
“神”の様子など気にした風でもなく、周囲を見回すようにして暢気な声をセレスが上げた。
少し、とは口にしたが先程放たれたものはそれどころのモノではない。
普通の家であれば軽く建物ごと吹き飛ばすだけの力を秘めたもの。
「銀の娘…―――何者だ?」
「わからないの?」
笑みを浮かべたままそんな科白を返したセレスに、こくりと“神”は生唾を飲み込むもその様子に変化は見られない。
突然攻撃へと転じた年に似合わぬ冷笑とも取れる顔を見せるその姿を、この時代における至上と呼ばれし黄金色の瞳で凝視しているだけだ。
「可笑しいなぁ…。位置は此処だったはずなんだけど――」
げんなりと呟いてから、
「ねぇ、それ本気で言ってるの? 私が誰か…、本当にわからない?」
重ねて同じ事を問い掛けるも、やはり“神”の表情に変わりはない。困惑色のまま、黄金色の双眸で見つめるだけ。
その様子にセレスは肩で小さく息を付いた。
「―――ふぅん…ま、いいけどね」
笑みを浮かべていたセレスの表情が冷たいそれへと変化する。
「別に、あなたが覚えていようといなくても…―――関係ないし」
その科白に“神”は眉を顰めた。彼にしてみれば、セレスと対面するのは初めてであったはずだ。
それなのに当の本人は自身を知っていて当然とでも言うかのような口ぶりなのである。
突然の攻撃を訝しむよりも、告げられる言葉の意図が読めず怪訝そうに“神”はその表情を歪めた。
「私は…お前にあった事があるのか?」
「さあ?」
「あるという事か…? ならば、此処へ来た事が――」
「ないわ」
短く、それでいてきっぱりとした声が“神”の科白を遮る。
「此処へ来たのは、今日が始めて」
そう告げてから視線を逸らすようにして目を伏せると、
「―――もしかしたら、あなたとは会った事がないのかもしれない。位置は確かに此処だったけど、動かない訳じゃないものね」
そんな事を呟いた。
「いったい、何の目的があってこのような――」
「本気で言ってるみたいね」
“神”の科白を再び遮るようにして、視線を鋭くさせて怒気を含んだ声がセレスの口から肯定の言葉でもって告げられる。
変わらず自身を凝視するその表情は、何も理解していないし、何も気付いていない。初めにセレスが行動をしてから、
ずっと同じ顔。
「何の話だ…?」
半ば茫然とした声で問い掛けるその姿を一瞥し、
「面倒なのも、回りくどいのも嫌い。だからはっきり言うわね。―――私はあなたを…、いいえ、あなた達を知っている」
独り言ちるようにして呟いて薄っすらとした笑みを口元に浮かべた。
「ねぇ、イザ・ヴェルガナー?」
その科白に“神”の表情が強張り、青褪めた様な顔で茫然とセレスを見つめ返す。
「―――何故だ、何故…。お前のような子供がその名を…」
「子供? 私が?」
小さな、それでいて底冷えするような冷たさを含んだ声がセレスの口から漏れ、その口元が歪な冷笑を浮かべる。
「ふふっ…あははははははは――――――ッ!!!」
次いで、心底可笑しい、そんな笑い声をセレスは上げた。
気が振れたかのように突然大声を上げて笑い始めたその姿に怪訝そうな眼差しが返る。
「―――子供、ねぇ…。本当にそう見えるの? 私が?」
何がそんなに可笑しいのか、クスクス笑いながら問い掛けけるセレスは涙目になっても未だ小さく笑っていた。
「子供でないなら、何だと…」
見つめる眼差しをそのままに、困惑した声で呟く。
その科白にぴたりとセレスは笑うのを止めると、口元に軽く右手を当てて、
「あーあ…」
溜息にも似た声を漏らし、
「嫌だ、本気なのね…」
つまらなさそうに息を吐き出した。
それから視線を鋭くさせて、これまでに見せた事のないほどに怒りに満ちた表情をその顔に浮かべ、
「―――私、また間違えたみたいね」
可憐な声であるはずなのに、呟かれた科白は表情そのままに酷く重くて刺々しい声音だった。
「な…」
セレスのその顔と声に、ぞくりと“神”の背筋が凍り付いた。
(悪寒だと…? この、私が…馬鹿な――)
ありえるはずもない自身の反応に、目の前で冷気を伴う冷たい瞳で見据える幼い少女を凝視する。
躰が拒絶反応を起こすかのようにして、それに対して怯えを伴っているのがわかった。
(相手はただの…、そう…ただの人間の女、しかも子供だ…)
自身を諭すようにしてその硬直を解こうと口裏で呟く。“神”である自分が、魔然師と言えどたかが人間、
しかも子供相手にそのような状態になる事などあってはならないのだ。
あからさまな動揺を見せる姿を一瞥して、
「時間が惜しい」
ぽつり、とセレスは呟くとにっこりとした笑みを浮かべる。
「こんな所にいつまでもいたくないし…。あなたの姿だって見るに耐えないものだから」
にこやかに微笑んでいるというのに、その口から漏れた科白とは全く噛み合わぬ声音。
青褪めた表情のまま、その科白に“神”は眉を顰めた。
砂塵が完全に消え失せ、元の静けさを取り戻した室内で金と銀、二人の者がそれぞれを見据える。方や困惑気味に、
方や怒りを含んだ眼差しで。
「仕方ないから、DNAでしっかり思い出してね」
「なんっ…―――――」
笑みを浮かべたまま告げられた科白に再度“神”の表情が凍り付いた。
DNA―――――今、この時代においては使われる事のない言葉。
何故、それをこの幼い少女が――銀の髪を持ち合わせているとは言え――知っているのかと、大きくその瞳を見開いた。
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