レイトに見送られるようにして少し進んだ所で、大きな扉を前にして神兵がぴたりと立ち止まる。
それに合わせてセレスも立ち止まると、軽く顔を伏せるようにして次の動きを待った。
「こちらです」
短い声が、振り返る事なくセレスに告げられる。
「そう。随分入り組んでるのね、此処」
「時折…主に請われ館へと入る者がおりますが、必要以外の時に主との対面を試みる不届きな輩がおりますので。
そういった者の侵入を拒むためです」
「自分から呼んでおいて、酷い話ね」
「主は、その心休まる時が少ないのです。ヘタに対面すれば、危ういのは人の身である方ですから。
折角呼んだのに、そんな事で死なれては意味もないでしょう」
呆れ返るような科白を平然と口にする神兵に、セレスはわからないように息を吐き出した。
「随分な言い方ね。それに…“神”サマともあろうお方が、そこまで一般人の事を考えてくれてるとは予想すらしなかったわ」
「我々の責任にも繋がりますので」
「そう」
皮肉を込めての科白に平然とそんな事を返した神兵に、改めて溜息を一つ。
「それでは、銀の方。準備の方は宜しいでしょうか?」
両手を扉に当てて今更な事を口にして肩越しに振り返った姿に、
「凄く今更な質問ね」
憮然としてセレスは答えた。
「では、参りましょう。―――
Opening the gate」
セレスの科白を返事と取ったのか、扉に向き直ると、この館を囲む塀に対して同じ体勢で呟いた言葉を再度口にする。
両手の当てられている位置が鈍い黄金色の光に包まれてその光が扉を縁取るように広がって行った。それから、
物々しい音を立ててゆっくりと二枚開きの扉が部屋の内に向かって開いていくのに合わせて、この世界に存在しているには不確かな、
それでいて絶対の圧迫感を伴う気配が廊下へと俄かに漂ってくる。
神兵の姿勢はそのままで、その背で冷ややかにそれらを眺めながらセレスは小さく舌なめずりを一つした。
完全に扉が開ききってから、神兵は室内に向かって深く頭を垂れる。
「―――銀の方、只今お連れ致しました」
そのままの体制で告げた科白に、周囲の気配が変わった。強い圧迫感を伴っていたそれが失われ、緩やかな雰囲気が場を支配する。
「どうぞ、お入り下さい」
姿勢を正し、セレスを振り返って左手で入室を促した。
「あなたはいいの?」
「後から参ります」
「そう」
一つ頷いてセレスは扉を潜り、同じ館にある部屋の一つとは思えない雰囲気の漂うその場へと足を踏み入れる。
そこは、白い部屋だった。
壁に窓はない、在るのは、扉から見た正面に薄手のカーテンに幾重にも覆われた場だけ。
そこに、この部屋の異質さを作り上げている者が座していた。ソファのような椅子に全身を預けるようにして、
黒く緩やかに流れる服に身を包み、黄金色に輝く長い髪が黒地に嫌に映えて見える、髪と同じ瞳を持つ、人成らざる者。
“神”――確かにその者が、悠然とした笑みを浮かべて室内へと立ち入る幼いセレスを見つめている。
普段はその姿を隠す様に降ろされているカーテンが、今は左右にわけられているためその姿をじかに目にする事が出来た。
自分を品定めするかのように眺める黄金色を纏う姿を、色の違える瞳で静かな眼差しを返すセレスのそれには
何の感慨も込められていないように思われる。ただ、一つだけ言うならばそこに浮かぶのは怒りでも憎しみでもなく、
哀しみだけ。
「―――ようこそ。噂に違わぬ、見事な銀。歓迎しよう」
静かな、静かな、その声だけで普通の人間ならば心奪われそうな、言い難い質感の伴った声が部屋に響く。
セレスはそれをただ、沈黙したまま見つめるだけだ。
「その瞳も見事なものだ。―――魔方を習うたのは如何なる理由であろうか? 惜しい事をする」
溜息にも似た呟きに、セレスは初めて不快とでも言うかのようにその双眸を細める。
「色々お調べになったのですから、答えるまでもなくご存知なのでしょう?」
冷淡な声でそう返した声音は、表情そのまま不快である事を告げている。
「なるほど。確かにその風貌だけでは目立つであろうし、良からぬ輩に会う事もある。魔方はそのためのもの、か」
「そうです」
短く返った同意に“神”は僅かに思案するようにして視線を落とす。
「されば、属性は何故であろう。そういった理由であれば、取るべきは対側のものと思うが?」
その問いは尤もであった。護身用に選ぶのであれば、攻撃が主体となる闇属性を選択するのが常。
「必要ないからですね」
きっぱりとした答えが返った。魔然師であるセレスには生来有する力があるから攻撃の統べはそれで事足りると、
同時に告げたもの。
「それに旅を続ける上で色々と必要にもなるので、こちらの方が便利なんです」
「なるほど。見かけは未だ年端もいかぬ子供と見るが…その身で旅を続けているのだ。それ相応の力を有していて当然か」
頷くように呟いた“神”の表情はどこか嬉しそうな笑みを浮かべているようにも見えた。それから視線をセレスの後方へと走らせ、
「下がれ」
短い命令を下す。その言葉に小柄な男は深い一礼をすると、開かれたままになっていた扉より出、
もう一度礼をしてから両手を翳して大きな扉を閉じた。
「私はいいんですか?」
肩越しにそれを見送ったセレスが、そのままの体勢でそんな事を問い掛ける。
「よい」
短い返事が返り、
「そのような所にいつまでも立っておらず、もう少しこちらへ来るがよい」
そう、手招きした。その科白に視線を“神”へと戻したセレスは静かな眼差しでその姿を見つめ、足を踏み出す。
距離にして二メートルほどの間隔を持って立ち止まると、間近くなったその姿をじっと見つめた。太古の昔より変わる事のない、
姿。そしてその存在。黄金色に輝き波打つ長く伸ばされたその髪と、同じ色に輝きを放つ双眸だけが、その存在の証。
「―――なるほど。近くで見ればいっそう見事な」
感嘆にも似た声を漏らした“神”に、にっこりとした笑みを浮かべて返す。
「あなたと同じでないのにそこまで褒めていただいて恐縮ですけれど」
小さく肩を竦めてそんな科白を口にしたセレスに、俄かに金の瞳が哀しげに曇る。
それから視線を逸らすようにして天井を仰ぎ見ると、
「我々にとっては、それ以上のものなどない」
ぽつり、と、そんな事を呟いた。
それにセレスは軽く眉を顰めて怪訝そうな眼差しでその姿を見つめる。
「―――そう、聞いた所によれば人を捜して旅をしているそうだな?」
ふいに、“神”はそんな科白を口にした。セレスはそれに一瞬だけ目を見開いて凝視するようにその姿を見つめてから、
顔を伏せるようにして視線を落とす。
「ええ、そうです」
小さな声で返った頷きに、俯くその姿に“神”優しげな笑みをその表情に浮かべた。
「我が力を貸そう。この館に留まれば良い、見つければ此処へ連れて来るよう命を出そうではないか。
何、人間の一人や二人すぐに見つけ出せる。子供の身で自身の足で持って捜すよりも、遥かに効率がよい」
その言葉は、限りなく優しい声で告げられた。本来保護されるべき存在である子供の身を思えば、
それは考えるべくもなく有り難い申し出に他ならなかった。人間の情報だけではない、
世界各地に点在する“神”がその手に有する情報が入るのだから。
しかし。
「いいえ、必要ありません」
俯いたまま、小さく、それでいてはっきりとその申し出を拒否した。
その科白に“神”の瞳が俄かに細くなると睨むようにしてその姿を凝視する。
「この館に留まるは嫌と、そういう事か」
その声音にはさきほどのような優しさはなく、冷たい、背筋の凍るようなもの。
「いいえ、違います」
再び、セレスが異を唱えた。
何故といった風に困惑に似た表情で眉を顰める“神”の姿を確認するでもなく、セレスは変わらず俯き加減のまま。
「人を捜すのは、あくまでも自身で、という事か」
「いいえ。―――もう、必要ないんです」
もう一度、呟いた科白に“神”は怪訝そうに顔を顰める。何が必要ないのか、彼には理解できなかった。
場を沈黙が覆った中、セレスは薄っすらと口元に笑みを浮かべる。
「だって、もう――」
小さく呟き、薄笑みを浮かべたまま勢いよく顔を上げると“神”を睨むようにして、
「見つかったから」
声と共に、広げた右手は何かをその手に掴んでいるような形。
「なっ…――」
驚きに“神”の目が見開いた瞬間、アンダースローのようなポーズを取ったセレスはその手に宿るモノを
眼前で自身を凝視するその姿目掛けて勢いよく投げつける。
途端、それが炸裂し辺りは光と轟音に包まれて砂塵が舞った。
「―――うぉ! 何だぁ…」
何かが爆発したようなドオンッという音と振動に、カイエルが天を仰ぎ見た。その両手は胸元に、
黒き異形の者の襟首を両手で締めるような体勢のまま。
「結構揺れたなぁ…何かあったんかな? ってか、オレらのせい?」
両手を離し足元に倒れ込む神兵をそのままに暢気な声で持って背後を振り返った。
その先には罅割れて砕け散り歪な穴を開けた白亜の壁、そしてそこに手をかけて脱力しきった顔をした幼馴染の姿がある。
「もしそうなら、お前はもうこの世にはいないと思うけどな」
厭きれ返ったような声音で、レシャは答える。それから肩で息を付くようにしてカイエルと同じように廊下へと侵入した。
「あっさりと恐ろしい事を言うなっての…」
引き気味になったカイエルを一瞥し、
「お前の方こそ、存在が恐ろしいよ…。オレ達から見れば」
溜息と共にレシャは呟いた。
その視線の先で、背後から遅いかかったカイエルの倍は身丈があろうかという神兵をそのままの体勢で腹部に強烈な肘鉄一撃、
怯んだその躰に追い討ちをかけるようにして右足を軸にして振り返りながら右手で神兵の服を掴み逃れぬようにさせて
勢い付いた左ハイキックを一撃、固定されてる躰にそれはさぞかし効くであろうに、更に手を引き寄せて神兵の躰を前に倒すように
仕向けて止めとも呼べる鳩尾に膝の一撃。
呻き声を上げて足元に崩れ落ちるようになった神兵から手を離すと、倒れ行くその頭に右ストレートを食らわした。
「炸裂、四連攻撃っ!!」
声と共に、向かいの壁目掛けて勢い良く飛んで行く神兵にレシャは大きな溜息を吐き出す。
「よぇー、よぇえええええっ! それでも神兵か、コノヤロォ」
両手を振り上げて歓喜の表情で不満そうな科白を叫ぶ姿はちょっと狂気じみているように見える。
もう一度溜息を付くようにしてその姿を眺め、
「弱いんじゃなくて、お前が出鱈目なんだって…」
げんなりと呟いた。
神兵と呼ばれる者達は、総じて異形だ。元人間という者もいるだろうが、そうでない者もいる。“神”の力を受けて、
本来持ち合わせぬ力を手にした存在。だからこそ、異形の者と呼ばれる。
つまり、神兵は、その存在自体が、魔方なのだ。
だというのに、カイエルは生身の人間を相手にしているが如くの勢いで持って叩き伏せて行く。その光景を目にすれば、
魔方を扱う身であるレシャの反応は尤もだった。
「失礼な科白だな。オレは何処もかしこも普通の人間様だ」
憮然として不満を口にしたカイエルに、レシャは背後を振り返った。
外側からの強烈な衝撃を受けて崩れ落ちた壁がそこにはある。それだけなら普通の光景だ。壁をぶち抜けば、
そういった風になる事は至極当然の事なのだから。
だが、此処は“神”の住まう館だ。建物自体が、その力によって成された、魔方の集大成とも呼べる代物。
そして当然のように侵入者を拒む結界すら伴っている。普通の人間では、何をしても皹どころか傷一つ負わせる事の叶わぬもの。
勿論、魔方師であるレシャにすらそこまでの力はない。
元よりこの館を囲むようにして造られている外塀ですら崩して通り抜ける力すらない。
侵入不可能であるこの場所に二人が今いるのは、偏にカイエルの活躍の賜物だった。
それらを何の魔方力も効しする事無く、普通の人間の家の壁を叩き割るようにして、大金槌一つで叩き崩した。
「普通の人間には出来ない芸当だと思うけどな…」
ぽつり、と瓦礫を見つめて呟やかれた科白に、
「いや、それほどでも」
カイエルは照れ笑いを返した。
「褒めてない」
「いやいや〜今のは褒め言葉だろ〜」
「違うから。―――新手だ」
きっぱりと否定して振り返ったレシャは、カイエルの遥か後方、廊下の角を勢い良く曲がり、
目を血走らせるようにしてこちらへ向かって駆けて来る二人の神兵の姿に双眸を細めた。
「おぉ、やる気十分っ」
「お前には魔方は全く意味を成さないし、オレはこの通りだし。―――よく考えれば、敵なしだな」
「うわ、今更〜っ! この街にゃぁ、オレ達の敵なんざいねぇってーの」
「―――そういえば、他の店と違って嫌がらせを受けた事がないな。うちの酒場」
「魔方師のお前に喧嘩売るようなヤツがいたら、見てみてぇな〜」
笑顔であっけらかんとそんな科白を口にしながら、走り来る神兵に向かって飛び掛ると右ラリアット。
その勢いのまま後ろを走る神兵へと腕を振り回してラリアットを喰らわせた神兵を投げつける。
二人揃って後方へ飛ばされ、カイエルはその場に見事な着地を決めると、
「完璧っ!」
満足そうな笑みを浮かべて一声叫び、呻き声を漏らしながら立ち上がる神兵へと鋭い視線を送る。
「レシャ、此処はまかされた。お前はとっとと行きやがれ!」
飛び掛る神兵を殴り返しながらの科白に、
「相手は一応、神兵なんだが」
苦笑した声が返る。
「わぁってる! つーか邪魔だっ!」
勢い付いた見事な回し蹴りで再度、折り重なるようにして二人纏めて神兵を弾き飛ばすと、
「ご覧のとぉ〜り。―――てか、オレって、ほら。魔方? 何それ? だから平気っしょ」
にやりと笑ってレシャを肩越しに振り返った。
「確かに、全ての魔方を無効化するお前にとっては、神兵など普通の人間と変わらないか」
肩を竦めてそんな事を口にしたレシャに軽く驚いた顔をしてから、
「こいつ等、普通以下だぜ…」
ぽつり、とトンデモナイ科白を返した。
「それは失礼したな。―――じゃあ、此処は頼む。出来たら、後から来い。“神”がどういう行動に出るかわからないし、
流石のお前も、相手が“神”では分が悪そうだ」
「おお、上とは対面したっくねぇー。ホンモノのばっけもんだしな」
ガッツポーズを決めてそんな科白を口にしたカイエルに、
「科白と態度があってないんだが…」
苦笑してレシャが突っ込んだ。
「うるせぇ! いいから行けってーのっ!!」
しっしっ、と手で追い払うような仕草を取ったカイエルに、
「またな」
小さな笑みを返して、レシャは反転すると館の深部と思われる方向を目指して走り始めた。
「おぅ!」
振り返る事なく言葉を返し、眼前の神兵を見据える。
「日頃の鬱憤、存分に晴らさせてもらうぞ。さんざ好き勝手やりやがって…この野郎」
ちろりと舌なめずりをして、どう考えても悪役としか思えない不敵な笑みを浮かべてそんな事を呟いた。
4:誘う者 END
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