階段の一番下の段に腰掛けるようにして座っていたカイエルは、時折上を仰ぎ見るようにして、
それから動く事なく入り口に立つ神兵を見ては大きく息を吐き出すという行動を繰り返していた。
何かよい手立てはないかと幾つも幾つも思案してみると、浮かんでは否定の繰り返しだった。こんな事になるのなら、
誘いの噂を聞いた時に直ぐにでもレシャの耳に入れ、そのままセレスをこの街から遠ざけるべきだったと今更ながら後悔した。
暫くして、その耳が足音を捕らえる。
それに不安と期待を織り交ぜたまま二階へと視線を動かしたカイエルの目に映ったのは、
砂漠にいるにしては酷く色の抜けた白くて細い、小さな足だった。
「―――セレスちゃん…」
茫然と、声を上げる。階段を下りてくるのは、確かに本人だ。
その後ろからレシャが二階へと上がっていった時と同じ厳しい顔をしたままで続いている。
「カイエル。…そんな所に座ってたら、邪魔だよ?」
現状を理解していないのかクスクス笑って、今やどうでもいいような事を口にした。
「いや、そうじゃなくて……。セレスちゃん、あのさ…」
「大丈夫だよ。カイエルも心配性だね」
下まで降りて来たのでカイエルは立ち上がってその場を譲り、その姿を見つめる。
セレスには別段変わった所など何も見られない、あくまでもいつも通り、至極自然な表情と仕草でそこにいた。
「さっきレシャにも言ったけど、余り考え込んでるとハゲちゃうよ?」
いたずらっぽい笑みを浮かべてそんな事を口にしてからセレスは視線を巡らせる。階段を下りている時から感じたのは、
品定めというよりは監視するかのような視線を送りつけている者の存在。
入り口に立つ、二つの黒き異形の者――神兵。
しっかりと見つめ返すようにして視線を返してからにっこりと微笑んで見せた。
「こんばんは。こんな時間まで大変ですね。―――私に用があるという事と聞きましたが、
どういったご用件ですか? 至上とされる“神”のお傍近くに御使えされるような方が、
魔然師といえど、私のような者に手を貸して欲しいと思うような事はないと思いますけど」
笑みを称えたままでそう告げる科白は慇懃無礼としか取り様がなかった。喧嘩を売っているとしか思えないその科白に、
セレスの背後で二人の青年が目を瞬く。
「お会いできて光栄です、銀の方。お噂に違える事なく見事な銀の髪をお持ちで、嬉しい限りです」
セレスの科白など気にとめてないのか、変わらぬ調子でそう小柄な男が声を返すと恭しく一礼して見せた。
「このような時間にお邪魔した事、大変ご立腹の事と存じますが我々としましても余計な波風を立てたくありませんので。
此処は人の出入りが多いため、それを避けましただけでございます」
「そう。あなた達がそこまで気にしてくれてるなんて知らなかった。有り難う、と言うべきかしらね? 私としても、
お世話になっているから此処の人達に迷惑はかけたくないから」
その顔にはいつもの年相応な笑みを浮かべてはいるが、口調は相変わらずだ。
「それで? 面倒な事は省いて、用件をどうぞ」
「では、お言葉に甘えさせて頂くとします。―――我等が主が、是非、アナタにお会いしたいと申しております。
館までおいで願えますか?」
「会いたいなら、その本人が来るのが普通じゃない?」
「我々は人目を避けております。ですが、元より、主は館から出る事はありません。その場を動けないのです。
外に出るような事になっては、その影響が大変な事になりますので。ですから、我々が使え、こうしてやってきているのです」
「そう」
厭きれ返った、とでも言うような顔をセレスは浮かべた。その背に居る二人には見えないが、
これまでのやり取りに困惑というよりも驚きに近い表情で見守っている。
「それで…明日にでも館へ来いとか、そういう事でいいの?」
溜息がちのセレスの科白。
「重ねて言わせて頂きますが、我々は人目を避けたいのです」
「それは何度も聞いたからわかってる」
「明日、という事になりますと陽のある時間という事ですよね?」
「そのつもり―――まさか、今からって言うんじゃないでしょうね?」
「元より、そのためにこうしてはせ参じたのです」
訝しげにあげたセレスの声を、淡々と変わらぬ口調で小柄な男は肯定した。
「そう…。全く、普通の人間の常識を本当に無視してるのね。私、確かにこんな姿だけれど、
人間の生活をしてるのよ? あなた達と違って」
「よく存じております。噂が聞こえてから、暫しの間、失礼とは思いますが見ておりましたので」
「見てた…ね。そういうのを監視って言うのよ。本当に失礼ね、これでも一応、女性なんだから。もう少し気を使って欲しいわ」
事も無げに言い切ったセレスのそれにも、神兵に変わる様子はなかった。何を言われても受け流す、否、気に止めない。
彼等が気にかけるのは唯一“神”の言だけだ。
はぁ、と肩で大きくセレスは息を吐き出す。
これ以上は何を言っても無駄だろうと、再確認しての事。尤も、何かを言って変わるようであれば、
そもそもレシャがセレスを呼びに来る様な事はなかったのだから。
「今から、ね。もう数時間もすれば夜明けだっていうのに…本当、気が短いのね」
「ご理解頂き有り難うございます」
「そんな事で感謝されてもね…」
厭きれ返ったような声を上げると、肩越しに二人を振り返る。
「そういう訳だから、私、朝ご飯いらないみたい」
暢気な声で、半ば茫然として自分を見つめる姿に苦笑を返した。それから神兵へと向き直ると、
「見てのとおり、こんな格好なのね。寝ようと思ってた所だから。―――用意してくる時間くらい貰えるわよね?」
それが当然とでも言うかのような口調で告げる。
「出来売ればこれ以上の時間を取りたくないのですが」
「あのね、さっきも言ったけど一応、私は女なの、性別。こんな格好のまま、外を歩き回る気は更々無いの。
どうしても今すぐこのままでって言うなら、丁重にお断りするわ」
表情だけとは言え先ほどまで浮かべていた笑みを消し去っての科白に小柄な男が僅かに俯き加減になる。
それを冷淡な眼差しで見つめてから、
「そんなに時間は取らない、着替えてくるだけだし。別に朝になるまで時間稼ぎをしようとしてる訳じゃないんだから、
それくらい待ってもいいと思うけど? あなた達にしても面倒は省きたいでしょう?」
これ以上の譲歩はしないという絶対の意思の込められた声音で、セレスは告げた。
暫し、沈黙が流れる。
その間にレシャは小さく唇を噛み締め、カイエルは悠然と対峙する小さなその背を見つめて拳を握り締めた。
「―――どうするの?」
沈黙を破り、セレスが問い掛ける。
それは最後通告だ、全ての意味においての。此処で神兵が否を唱えようものなら、セレスは頑として共に行く事はないだろう。
そうなれば神兵の取るべき手段はただ一つ、実力行使のみだ。
だが、子供の姿をしてはいるがセレスは魔然師であり、その瞳の色から察するに属性は創造。魔然師である以上、
創造の魔方に関してはどの程度の力量かは測れないまでも幼い身ながら光属性において尤も習得困難とされるそれを
習得するだけの力量の持ち主である事は確かだ。そして、生まれ持った何かしらの能力をも持ち合わせている。
神兵にしてみれば、“神”以外の存在など取るに足らないものには違いないが、
セレスの言い回しはそれを踏まえた上である事はこれまでのやり取りから十分に理解出来たし、
そう口に出来るだけの力があるのだと自覚している者の科白とも思えた。
更にその背に立つ二人は、最高位の消滅属性を誇る魔方師と街では知られた存在である人間とは思えぬ腕力を持つ二人。
「人目を避けたいって言ったわよね? なら、どうするかなんて私が聞くまでも無い事だとは思うのだけど」
続いた科白は、神兵が実力行使に出た場合の事だろう。そうなれば、全力で自分は応戦する、と言っているのだ。
そんな事を口にしながらも、静かに答えを待つセレスの表情はその場にそぐわないほどに飄々としたもの。
「―――仕方、ありません」
そんな声を小柄な男が漏らした。初めて、憤りのような感情を見せての声音。
「おっしゃられる通り、こちらとしましては穏便に事を進めたいのですから。アナタの言われたように、
面倒を省きたいのもまた事実。―――待ちましょう」
自らに言い聞かせるような科白にセレスの双眸が細くなる。
「心配しなくても逃げたりしないわ。此処に迷惑がかかるものね」
「ご理解が早くて助かります」
「どういたしまして。―――それじゃ、着替えて来るから」
淡々と返して数回手を振るときびすを返す。途端、完全に臨戦体制に入っているカイエルと、
必死に何か言いたい事を抑えているレシャの姿が目に入った。
それにセレスは苦笑すると、
「二人とも、さっきから言ってるけど気にしすぎなんだってば」
そう、先ほどとは違う普段通りの声で告げた。
その科白と表情に二人は目を瞬くと互いに顔を見合わせる。それから再びセレスに向き直り、
「いいのかよ、セレスちゃん」
「気にするなという方が無理だ」
そんな事を同時に呟いた。方や不安げに、方や不満げに。
「あのね、二人とも十分にわかってるのに何か忘れてるよ? 私は旅の途中、たまたま此処に立ち寄ってお世話になった人間で、
ずっとあなた達の周りにいた人達と違うの。こんな事がなくても、いずれはまた次の街を目指して旅にでる人間。
わかってるでしょう? ただの通りすがりなんだから、そこまで深刻に考える必要もないって事」
「でもさぁ、セレスちゃんは――」
「カイエルは、私と同じくらいの子供とか、たくさん面倒見てるから、そういうコ達と同じように私の事も考えてくれてる。
それって凄く嬉しいの。でもね、今、この時に関しては別だよ? カイエルの面倒見てる子達と、私は違うんだから」
何かを言いかけた科白を区切るようにして微笑んでそう告げた。
「それにレシャも。さっきも言ったけどね、本当に嬉しいの。二人とも、普通に私に接してくれたから。
でもね、私はただの通りすがりなんだから…―――二人とも、自分の生活を壊してまで何かをする必要ないよ」
静かな声で、そう口にする。その表情は穏やかな笑みを称えていて、それが本心である事は疑いようもなかった。
「そういう事だから、ほら、二人ともそこどいて。早く用意しないとならないんだからね。
短気なあの人達が此処で暴れたら大変だよ? 明日、営業できなくなっちゃう。―――ううん、ヘタしたらこのお店なくなっちゃうよ」
肩を竦めて苦笑するセレスに、二人はしぶしぶと言った風に道を明けた。
二人にとってこの店は大切なもので、それをセレスは知っていた。だからこそ、自分が行かなければ迷惑がかかると言ったのだ。
迷惑と一言で済ませてはいるが、それは大小様々な意味を含んでいる。それを理解したからこそ、二人は道を明けたのだった。
レシャとカイエルにとって、自身よりもこの店は大切なものであった。
様々な思い出と共に、二人が父とも思っていた男が生涯に渡って守り通した唯一のものだったから。
「有り難う」
小さく礼を述べて、セレスは二人の間を通って階段へと足を伸ばした。
二段上がった所で立ち止まると、ちらりと入り口に立つ神兵を一瞥する。
「私が戻って来た時、あなた達が何かしていたら絶対行かないからね」
静かな声でそう告げると答えを聞く事もなく二階へと駆け上がって行く。その背を見送って、
カイエルは悲痛にその表情を歪め、レシャは険しい表情のままで静かに瞼を伏せた。
階段を上りきり部屋の前まで足早に進んだセレスは扉の前で一度立ち止まる。
肩で大きく息を付いてから一つ深呼吸をして、扉を押し開いた。
「お帰り、イーヴェヴァセレス」
静かな声がそれを迎え入れる。
「只今、レイト。―――直ぐに逆戻りするけど、ね」
暗い室内に響いたセレスの声は、酷く冷淡なものだった。
「そ。今すぐ来いって?」
気にした素振りも無く、レイトはいつもの調子で問い掛ける。それに返ったのは無言の頷き。
「んじゃ、早く用意しないとね〜五月蝿いだろうから」
「そうだね」
あっけらかんとしたレイトに、短い返事を返してセレスは机の傍に置いてある自身の荷物袋へと手を伸ばした。
「荷物、全部持ってく?」
「戻って来るから置いてくつもり。…異論は?」
「別にないけど」
袋から着替えを取り出し、夜着を脱ぎ捨てるようにしてベットの上へとほおる姿にレイトは小さく息を吐き出す。
「いつも言ってるけど、行儀悪いよ、それ」
「五月蝿いわね。急いでるんだからいいでしょ、別に」
説教くさい口調になったレイトに口を尖らせると、素早く長袖のシャツとスカートを着込んでベットへと腰掛ける。
夜着はそのままに首に薄手の布をスカーフ代わりに巻きつけて膝上までの靴下を履く姿に、レイトは溜息を付いた。
「少しは恥じらいとかさ。一応、オレ男なんだし」
「鳥だし。しかも今更。小さい頃から一緒にいるから、そういう感じは全然ないね。レイトに関しては」
「そうかなぁ? …あのままの格好で普通に会話してる辺り、オレだけじゃなくて他に対しても――」
ぼす!
「五月蝿いってば」
枕を投げつけておいて口にする科白がそれだ。
「イーヴェヴァセレス…、すぐ暴力に訴えるのはよくないって――」
「聞き飽きた、それ」
恨めしそうに枕の下敷きになって自分を見つめる姿を顧みる事もなく事も無げに斬り捨てる。
「だったら、少しは直そうよ」
厭きれ返った声を上げたレイトをそのままに靴を履きなおすと、
荷物袋に再度手を伸ばして小さな青く染め上げられた皮袋を取り出す。
「―――それ、持ってくの?」
「置いてく。でも、このままにしておいて面倒事になったら困るから…」
言いながら机の上に袋を置いて、両手を胸元で翳す。
「
Open. Gate to the time sky」
呟き、瞼を閉じる。
「
It is not at all before all things exist.Existence is shown because there is shape there」
ふわり、と周囲を優しい風が流れた。それにあわせるかのようにしてセレスの両手がほんのりと白い光を伴う。
「
Give here one box answering my voice」
その両手から溢れる光が互いに行き交うようにして交わり、
「
There is anything in my hand, and a small box exists」
その声と共に光は四散し、何時の間にか十センチ四方の小さな小箱がセレスの両手にはしっかりと納まっていた。
「イーヴェヴァセレス…相変わらず、木製?」
厭きれ返ったような声が、セレスのすぐ左側から漏れる。それを睨み降ろすようにしてから、
「五月蝿いわね、私にとって大切なモノを入れる箱ってのはコレなの」
憮然として呟くと小さく息を吐き出した。
「―――形だけ真似たって、本物じゃないから意味なんてないんだけどね」
小さな声で呟かれた科白にレイトは顔を伏せるようにして、机の上に置かれた小箱を見つめた。
その側面はただの木目だが、蓋に当たる上の表面にだけは数本の薔薇の模様が刻まれてる。
他の誰にとってもただの小さな箱でしかないそれは、セレスだけにとってはこの世で二つとない大切な物だった。
今はもう失われてしまった、それ。
蓋を開くと、セレスは青い皮袋をその中へと納めてじっとそれを見つめた。
「イーヴェヴァセレス、時間余りないんだろ?」
ぽつりと呟かれた声に、我に返るようにして数回目を瞬くと、
「思わず意識が飛んで行きそうになった」
そんな事を口にしながら蓋を閉じる。
「飛んで行きそう、じゃなくて飛んでただろ…今。絶対に」
ごすっ!
見事な肘がレイトに炸裂した。
「えっと、それから〜」
机から転がり落ちて身悶えする姿をそのままに暢気な声を上げて荷物袋の中を覗き込む。
取り出しては仕舞い直す事を二度繰り返してから、やはり同じデザインで先ほどの物より少し横長に長方形な木製の箱を取り出した。
それを机の上に先ほどの箱と並べるようにして置いてから蓋を開く。
中に入っていたのは、装飾品に部類する物だ。セレスが普段見につけているのは両耳のピアスだけだが、
そこには数本のブレスレットとネックレスが仕舞われていた。
いずれも、ピアスと同じようにクリスタル製の赤い石が付けられただけの簡素なものだが、
その内の二本のブレスレットだけは一センチほどの厚みがあり、やはり薔薇の模様が刻まれている。
尤も、一本は銀色の光を放っているが、もう一本は赤茶けた色をしていたのだが。
一番大きな赤い石の付いているネックレスと赤茶けた色のブレスレットを取り出すして蓋を閉じると、
「
Shut」
小さな声で命じた。それに答えるかのようにして長方形の箱であったそれは、
その継ぎ目を失わせ、ただの四角い形をした木の塊にしか見えない姿に変える。
それから取り出したブレスレットを正方形の箱の蓋の上に乗せた。
「
Blockade it. Do not allow other anyone to open it until I open it.
In addition, conceal it so that no one may see it」
意識を集中させるようにしてブレスレットの上に両手を乗せて呟く。
「存在封鎖までとは念入りだね」
いつの間にか机の上へと舞い戻っていたレイトが呟いた科白に肩で大きく息を付くようにしてから両手を箱から離したセレスは、
「何事も慎重に、ね」
そう、小さく笑った。
「ま、大切なモノではあるからねぇ。確かに守りは厳重なのが一番だね〜」
「そういう事。―――と、コレは…」
「首以外んトコがいいんじゃない? 念のためなら」
「そうだね」
頷いて、腰に手を当てるとスカートを少しずらしてその内側にある小さな紐に鎖を通して傍にある内ポケットに仕舞い込んだ。
「どうでもいいけどさ。イーヴェヴァセレスの服の趣味って未だにわかんない」
「便利だよ〜ポケットたくさんあると」
「全部内側だし」
「用心に越した事ないでしょうに。盗まれたらどうするの?」
きょとんとした顔で問い掛けるセレスにはわからないようにしてレイトは溜息を付いた。
(あらかた力による制約が掛かってるのを、盗めるヤツなんている訳ないし…)
そう内心で呟いてから、羽音を響かせて窓際へと移動する。
「準備はそれで全部終わり?」
外を眺めながらの問い掛け。
「うん。持ってくのは特になし」
「手ぶらぁあ?」
すっとんきょうな声を上げて振り返ったレイトにいたずらっぽく微笑んでみせる。
「余計なものを持っていってヘンな勘違いされたくないでしょ?」
クスクス笑いながらそんな事を言って、
「行って来るね」
笑顔でそう告げた。
「行ってらっしゃい」
「また、後でね」
呟いてきびすを返したセレスは、その年に似合わぬ冷笑をその顔に浮かべて部屋を後にした。
3:来訪 END
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