砂漠は、今日も嫌になるくらい快晴だ。
雨なんて滅多に降らない。
だからこそ、水場になる場所はいつも賑わっているし、それを提供する側にも人知れずの苦労が伴うのだが。
酒場ウィン――そう、に大きく横殴りに書かれた文字に躰ごとよりかかるようにして両開きの扉を肩で押し開く。
「ただいま〜」
明るいセレスの大声で、古ぼけた扉が開かれる音は上書きされた。
「お帰り、セレス。レイト。ご苦労様―――…って、何だ、カイエル? 珍しいな、今頃…」
店の入り口に右手に大きな紙袋と左手に手提げ籠を下げた赤茶色の髪の青年の姿に、思わず眉間を寄せてそんな科白を口にする。
「おぉ、随分な科白。
見ての通り、セレスちゃんが一人で買い物してて大変そうだな〜っと思い、早々と手助けに参上したオレに対する態度がソレ?」
口ではそんな事をいいつつ、その顔には気にした様子は見られない。
緑色の瞳をいたずらっぽく輝かせてガサガサ紙袋特有の音を立てながらカウンターへと歩み寄った。
「今頃こんなトコに顔出すのが珍しいからだ」
呆れ顔でそう返してから、よく日に焼けたその姿を眺める。
「今日はもう終った。…ま、いつもならそのまま家帰って一息付くトコなんだけどな」
そう言ってから隣に並んでカウンターに同じようにして手にしていた紙袋を乗せるセレスに視線を送り肩を竦めた。
「途中ですっげぇ重そーな荷物を両手に抱えたセレスちゃんを見かけたんでな。見るに見かねて」
苦笑する姿に、レシャは小さく肩を落とした。
人目を十分過ぎるほどに引くセレスの髪はそれだけで目立つものだったが、
それに加えて砂漠では珍しい白く透けるような雪肌と整った顔立ちは幼いながらも、所謂、美少女を作り出している。
更に魔然師である証のオッドアイ、もう鬼に金棒と言わんばかりの勢いで神秘的で見目麗しいという奴だ。尤も、
それに対して本人の自覚が全くないというのは些か将来が心配ではあるのだが――。
とかく、それが数日レシャの手伝いをしている事で取引のある店ではちょっとした評判になっている。
勿論、レシャ自身はそれをわかっているから意図的にセレスを使いに出している面も無きにしも非ずだ。同じ物を買いに行っても、
セレスが行けばオマケが付いたり、材料費が若干抑えられるという面があるから。商売人としてこんな有り難い手を使わない訳はない。
「―――ああ、成る程。それは助かった」
少々その影響を甘く見ていたかと苦笑して、素直に礼を口にした。
「そんな事言って、増えたのカイエルのせいじゃん」
ぼそり、と不満げにレイトが呟いた。
「―――え?」
「あ、馬鹿! 黙ってりゃわかんねぇって!!」
「カイエル…どういう事かな?」
苦笑から薄笑みにその表情を変えて静かに問い掛ける。
「え? どういうって…何も。そんな、ねぇ?」
「ねぇ? じゃなくて、どういう事なのかな、と?」
「だから、そこはだねぇ…」
「買い物の途中にカイエルが偶々通りかかって、荷物持ってくれて。
後、お店の人にちょっとサービスしてよってお願いしただけだよ。両手にいっぱい荷物あったから、助かっちゃった」
二人の間に流れる不穏な空気を全く読まずに、暢気な口調でフォローも何もない科白を事実そのままにセレスは口にする。
「レイトも駄目だよ、ヘンな事言ったら。助かったのは事実なんだからね」
「増えたのも事実だろ」
「それはそうだけど…。でも、オマケしてもらえたら嬉しいもんね。レシャだって、その方が経費がちょっと浮くし、いいでしょう?」
笑顔で告げる姿に思わず頷き返してから、
「カイエル。お前のせいで増えた荷物をお前が持つのは、至極当然の事だな」
ちらりと幼馴染を一瞥した。
「ま、そー睨むなって! な! 万事おっけーじゃん? ―――で、せっかく早めに来たんだし、仕込み手伝うよ」
どうどう、そんな事をレシャに向かって内心呟いていたかもしれない。
急に話題を変えて付け加えられた科白を耳にして真顔になると、
「明日、嵐になりそうだから遠慮したい」
ぴしゃり、と切って捨てた。
「真顔で言う事か? それ?」
「当然だ。本気でそう思っているからな」
「酷いな、そりゃ。なぁ、セレスちゃん。そー思わん? 酷いよなぁ? 10年来の友人に向かってこんな事言うんだよ。
コイツの本性がコレ、もー接客業ってコレだから。―――二重人格め」
突然話を振られ、セレスはわからないといった風に苦笑してレイトに視線を送った。
レイトの方は「やれやれ」なんて呟きながら、カウンターで毛づくろいの真っ最中だ。
「誰が10年来の友人だ、誰が」
「お前だ、お前。…っていうか、そこにつっこむのかよ」
「涼しい顔で嘘言うからだ。10年前は全く知らない赤の他人だろうが」
「ひでぇ」
「事実だ。もう一つ言うなら、お前は客じゃないからな」
さらりと、もう一つ訂正するべき個所に対してのコメントを口にする。
「うわ、時間差。ほんと、冷たいな〜。昔はさんざん悪さした仲じゃんか」
「水に流した」
「はやっ!」
「―――無駄口叩いてる暇があったら、さっさと手伝うか帰るかどっちかにしてくれないか?」
「いきなりかよ…。こう、もう少し会話を楽しむってのがないんですかね?」
「開店に間に合わなかった責任を取ってくれるなら、付き合うが?」
真顔でさらりとそんな事を口にするレシャに、肩で大きく息を付いた。
「もーほんと。お前って真面目っていうか、一本気っていうか、切り替え早いっつーか…」
「で?」
「手伝うって最初に言っただろ。それに――」
そこで珍しく真顔になると、
「話したい事もあったしな」
そう付け加えた。
「話…?」
いつになく真剣な表情での科白に俄かに眉を顰めたレシャに小さく肩を竦め返すと、
「所で、レシャ。買出しってこれで終了でいいのか?」
セレスをちらりと見やってそんな事を口にした。
「え…あ、ああ。そう…だな。―――後、香辛料が少し。セレス、ちょっと行って来てくれるか?」
「―――あ、うん。いいけど…」
急に自分に向き直ってそんな事を口にしたレシャに軽く目を瞬くと小さな頷きを返す。
「帰って来てすぐで悪いな」
苦笑する姿に小さく息を吐き出すと、
「別に大丈夫。…香辛料って言うと…一昨日のお店?」
「そう。ウィンの使いで、いつもの下さいって言えば通じるから」
「そっか。わかった…じゃ、行って来るね。―――レイト、行くよ?」
笑顔で頷くと、すっかりリラックスしているレイトをわしづかみにする。
「ええぇぇえええええッ!?」
否を唱えるまでもなく、同行決定の状態に目を瞬く。
「はい、出発」
セレスが笑顔で告げて、
「ちょっ…待っ……」
「「行ってらっしゃい」」
制止の声を上げながらカウンターから連れ去られる姿に、二人の青年が笑いを堪えながら見送る。
「砂、砂ぁ、せっかく、せっかくぅううううう――――――――――っ!!!!!」
絶叫を残して、レイトは銀色の悪魔に連行されて行く。
一瞬、店内がしんっと静まり返ってから、カイエルの大笑いが響き渡った。
「―――いや〜笑かしてもらった。ホント、厭きないね〜」
涙目になってまで未だ笑い続けている姿を一瞥し、レシャは小さな溜息を一つ。
「―――あぁ、まぁ…何だ。さっすが親友。以心伝心ばっちりだな」
「気持ちの悪い事を言うな」
「そう言うなって。―――で、だな。話ってのが…」
そう、気を取り直すかのようにして真顔になったカイエルの眼前に包丁が一本差し出された。
「あぶねぇ! って、そうじゃなくてだなー」
「手伝うんだろ? 口より先に手を動かしてくれると有り難いんだが?」
真顔で告げる科白に「はいはい」と観念したように包丁を受け取る。
「んじゃ切りますよ、ざっくざっくと切り刻んでやりますよっ!」
ヤケクソ気味に言いながらカウンターの内側へと移動すると、すでに定位置となったまな板の前へと仁王立ちになる。
「全部千切りにするのだけは勘弁してくれ」
苦笑して告げる姿を一瞥し、
「お望みとあらばしてやるぜ?」
「帰れ」
「はやっ! ―――ああ、まぁ、おふざけはこのくらいにして」
「お前は本気でやるから油断できない…」
「ひでぇなぁ……ま、否定出来んが。―――何だ、鶏肉…止めたのか?」
肉の入った専用の冷蔵庫を開いてそんな事を口にする。
「レイトが鳥だけにどうにも気が引けて…。当分の間、鶏肉は休業にした」
「ああ、なるほど…。お前がそんな愁傷なタマだったとは驚きだ―――ってのは冗談だが。
まぁ、確かに。あそこまで饒舌に同じ言葉をしゃべられると、気が引けるわなぁ」
「そういう事だ。―――今日は煮付けを多めにするから角切りで頼む」
「はぃよぉ」
「野菜はいつも通りで、魚の方はお前の得意なアレを今日の看板に出そう」
「煮物が多くならんか?」
「鶏肉がない分、仕方ない。ああ、魚全部を煮付け用にするなよ、出汁と焼いても使うから捌くだけに止めておいてくれ」
「はぃよぉ。―――おわっ! 何だ、コレ!? 何コレ、魚??? でけぇ」
「よく知らないが…魚らしい」
「何ソレ、いい加減な…。珍しいな」
「セレスがな、それを焼いてステーキにすると美味いと言うから。試しに買ってみた…かなりな値段だったが」
「へぇ〜…セレスちゃんがねぇ。…ま、そうだよな。あちこち人を捜して放浪記してんだ、喰いモンに詳しくもならぁな」
「詳しいだけでなく、腕も結構なモノだったよ。まだ子供なのに実際感心する、よく動くし、物覚えもいいし」
「へ〜。ホントいい子なんだなぁ。なぁんで人なんか捜して旅してんだか、不思議だ。意図的に苦労してるとしか思えん。
まだちっさいのに…―――って、お前。子供って。あまり年変わらんだろ…」
「気のせいだ」
「いや、気のせいも何も。お前だってまだガキじゃん。見た目はオレより上だけど」
「それを言うな…」
口を動かしつつもしっかりと作業に従事ていた若きマスターは、がっくりと項垂れた。
「一応、気にしてんだよねぇ? 前髪下ろしとけばそこまでに見えないってわかってくるせに。何でわざわざ?」
「こういう仕事をしている以上、仕方ないだろ。街の人はそうでもないが、外からの人間にはな」
「わかってやってて、それで落ち込んでたら世話ねぇな。―――で、この魚は何てー名前?」
「子供扱いされて馬鹿にされても腹が立つから、仕方ないな。こればっかりは。魚の方は…確か、マグロ、だったかな。
セレス曰く、海の沖の方でしか取れないから海辺の街以外で見るのは珍しいとか。砂漠で見かけるのは奇蹟に近いそうだ」
「へぇ〜マグロねぇ〜変な名前。しっかし、海の方かぁ…海なぁ。見た事ないけど、アレだろ? でっかいオアシス。
そりゃデカイ魚もいるわな〜。それに加えて、もー水不足なんてなんのその!」
もろ手を上げて大歓迎、そんなポーズを取るカイエルに小さく息を吐き出し、
「海の水は飲めない。何と言うか…塩辛いというか、喉に激痛が走って飲めたものじゃない」
ぐったりと呟いた。
「経験者は語るっぽぃな」
「昔の話だ。物心付いた頃のな、オレの記憶の中で死にかけた体験の一つだ」
「忌々しい事記憶してんな…お前。忘れろよ、そういう事は」
「忘れたくても忘れられないんだ。…というか、お前が余計な事を言うから―――て、まて。話が逸れてる。
手を動かせ、手を。それに、真面目な顔して話しって何だ?」
大きな鍋を両手に抱えて真面目な顔に立ち戻ってそんな科白を吐く幼馴染の姿に思わず噴出しそうになるのを必死に抑えて、
視線を手元の牛肉へと移して包丁を入れながら沈黙する。
「カイエル? 何を黙ってるんだ、お前が話しがあるって言ったんだぞ?」
必死に笑いを堪えてる、と口にしようものなら鍋が飛んできそうな気がするし、そもそも口を開こうものなら笑ってしまいそうなカイエルは
ただ只管と笑いを堪えている。小刻みに震えながら。
「―――まな板まで切るなよ」
その姿を力を入れる事に集中してると勘違いした幼馴染は更に笑いを誘うような科白を口にした。
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