Number −銀の魔方師−
1:小さき旅人 (01-01)



 そこは、砂漠だ。
 辺りに街なんてこれっぽっちも見えないその場所を小さな二つの影が、ある一定の方向を目指して進んでいる。 小さな、とは言ってみてもその内の一つは空を飛んでいる小動物なのだが。
「イーヴェヴァセレス…」
 小動物が鳴いた。
「イーヴェヴァセレスぅ〜」
 もう一度、鳴く。
 全くもって妙な泣き声だ。
「―――聞こえてんのかよ、イーヴェヴァセレス!」
 叫んだ。どうやらこの鳥、―――いや、鳥のようなモノは人語を解すらしい。 そうなると先ほどから口にしていた、イーヴェヴァセレスというのはその前を黙々として歩いている者の名前だろう。
「イーヴェヴァセレス!」
 三度目の叫び声で、今まで黙り込み全く反応を示さなかった者が足を止めて肩越しに軽く振り返った。 全身を濃い茶色のマントで覆っているためその姿はわからないが、身長が低いためにまだ子供だろう事は一目でわかる。
「あっ!」
 相手が振り返った事がわかったのだろう、嬉しそうに一声発するとバサッと羽音を立てた。
 砂を防ぐためだろうかフードを深く被りゴーグルを付け、更に口元を隠しているため全く表情が読めない。 そのまま動く事なくゴーグルを通して鳥のようなモノと視線を合わせた。
 しかし。
 ただそれだけで、数秒間静止して再びきびすを返すと何事もなかったかのように前方を見据えて歩き始めたのだった。
「…って、えぇえええ? 待ってよぉ! それだけなのかよ〜ッ?」
 自分に背を向けて先へ進もうとするその行動に大声で批判して、
「鬼ーッ、人でなしーッ!」
 と、続ける。
 しかしそれでも無反応、ただ只管と歩き続けるその姿を目にして小刻みに震えているのは段々と腹が立ってきたからだろう。 わななく震える鳥のようなモノは、堪忍袋の尾が切れたと言わんばかりの大声で再び叫んだ。
「イーヴェヴァセレスッ、―――…イーサ!」
 ぐさっと何かが後頭部に突き刺さったかのようなリアクションを今度はしてみせる。 あからさまな動揺を見せて姿勢を崩したまま振り返ると、足早に今進んだ道を戻り鳥のようなモノのすぐ傍へと近付く。
「あ」
 その様子に嬉しそうな声を漏らし、
「来てくれ――」
 ばきっ!
「――へぶ!」
 来てくれたんだ、とでも口にしようとしたのだろうがその科白も空しく、 改心の一撃を喰らい途中で訳のわからない叫びへと変わってしまった。
「…らにすんだりょー」
 砂漠へと叩きつけられたくせに見た目よりもずっと頑丈に出来ていたらしく直ぐさま体勢を整えて飛び上がると、 ゴーグルの向こうに潜んでいる瞳を睨みつける。
 だが、返ったのは相変わらずの無言。
 姿勢を変える事なく向き合うようにして、否、睨み合うように数秒間停止すると、 くるりときびすを返して再び背を向けて歩き始めた。
「〜〜〜〜〜ッ!」
 怒り頂点、怒髪天。
 だが、今度は同じようにして黙り込むとその背を追うようにして宙を飛び始める。 どうやら再度相手を刺激をして今以上の怒りを買う事だけはどうしても避けたいらしかった。




 酒場ウィン―――――。
 夕方から深夜まで、時には明け方まで活気ある賑わいを見せるその場所。 街の大通りに面しているそこは東方からの来客に対して玄関口のような役割も担っていた。今日もまた、一段と賑やかである。
 カウンターの内にいるのは一人の若い男だ。 彼の他に店員と思わしき者の姿は見られないため、たった一人でこの場を切り盛りしているのだろう。
 その姿は二十代半ばといった所だろうか、オールバックに上げられ短く纏められた黒髪が 落ち着きのある彼の雰囲気に怪しげな影を落としてくれている。 美青年というほどではないが、中々の好青年である事だけは確かだ。
 ふぅ、と彼は小さく息を吐き出した。
「ちょっと、こんなトコで寝ないで下さいよ…」
 毎度の事なのだろうか、声音には幾分諦めのようなものが含まれているように聞こえる。
「聞いてるんですか?」
 聞こえている訳がない。相手はカウンターに顔を埋めて高鼾の真っ最中だ、 どう贔屓目に見ても熟睡を通り越して爆睡としか言いようのない状態である。
「…はぁ」
 げんなりと額に手をおいた。
「―――大変そうだなぁ、相変わらず」
 のほほんとして眠る男の隣へと腰を降ろした別の男が開口一番にそう口にする。
「まぁ、いつもの事ですから…。彼は」
 仕方ないのだと、そう続いた科白に男は苦笑してみせた。
「…ま、しゃーないわな。マスターのサービスが良すぎっから」
 フォローしてくれたのだろうか、その科白にマスターと呼ばれた青年は曖昧な笑みを浮かべてから、
「今日は随分遅い時間にいらっしゃいましたね」
 そう、呟いた。
「おお、今日はちぃとばっかしハリキリ過ぎてなぁ。ついさっきまで土塗れ…―――って、そうだ。 それはさておき、マスター。聞いたかぃ?」
 はたと何かを思い出したかのような口調で問い掛けて麦酒を口へと運んだ男を軽く見つめ返してから、
「何をです?」
 短く、問い返した。
 くいっともう一口含んでから、勢いよくカウンターにジョッキを降ろすと身を乗り出すようにしてニヤリとした笑みを浮かべる。
「南の“神”が死んだんだと!」
 手早く別の注文を受けていたその動きがピタリと止まり、そのままの姿勢を保ちながら顔だけを男へと向けた。
「本当ですか? それは…」
 青年の視線が俄かに鋭くなる。
「おうよ」
 頷いて、ジョッキに残った麦酒を一気に飲み干すその姿を見つめ、
「相変わらずですね」
 感心したように肩を竦めた。
「―――どうぞ、これはオマケです」
 言いながら、男にとっては二杯目になる麦酒ジョッキを差し出す。
「…それで、一体誰がそんな事を?」
「どうも…っと、そう急ぐなよ。“神”を殺せる奴なんざ、一人だけだろ?」
 最後の科白に、青年の目が鋭くなった。
「…と、言うと?」
「勿論、シャイターンの仕業。あーまぁ…南の奴等、必死に隠してたらしいけどな」
(無駄な努力という訳か…)
 内心呟いて息を付く。
 近いとも言い切れないこの街までその情報が流れてきている以上、真実ではなくとも事実だろう。 それと同時に思うのは、次に狙われるであろう街の事だ。
「―――次こそは、この街かな…?」
 ぽつりと呟いた男に苦笑を返してから、青年は小さく息を吐き出した。
「そんなに世の中は甘くありませんよ。…尤も、気持ちはわからないでもありませんが」
 街の平和を守ると言う名目で各地に配置されている“神”の神兵。 躰に特殊改造を施され、特殊な訓練を受けた、人造人間達だ。
 だが、真実、彼等の守るモノは街などではない。彼等は“神”を守るためだけの存在。 街を守るのはそこに“神”がいるから、ただ、それだけだ。
 その存在を守るためならば人間でさえ平気で殺す、者達。
「―――なぁ、マスター…。オレ達人間は、何のために生きてるんだろうなぁ?」
 かたん、とジョッキをカウンターに乗せるようにして大きな大きな溜息と共にそう問い掛けるのは、いつもの事だ。 アルコールが入ると決まって同じ事を男は尋ねてくる。青年は意味深な眼差しでその姿を見つめ返してから、
「また、ですか?」
 そう、苦笑した。
「だって、そうだろ? オレ達って、存在意味…ないだろ? この世界で、 アイツに必要とされない一般人は…。力を持たない人間はよぉ…、違うか?」
 いつも同じ問い掛けであるにも関わらず答えた事はない、ただの一度としても青年がそれに答えられる事はなかった。 否、答える資格すら彼は持ち合わせていなかったのだ。
「マスター…、次はこの街だといいなぁ」
「―――そうですね」
 暫しの沈黙の後で短く頷く。
「この街に、来るといいなぁ…。今にもさぁ、こぉ…扉を開けて――」
 男が懇願するような声音でそう呟くのと時を同じくして、ギィ〜ッと古ぼけた木の鳴る音をさせて タイミング良く扉の開かれる音が店内に響いた。
 今まで男の話を聞いていたのか、その科白に従うかのようにして現れたその音の元に視線が集まる。 次いで、溜息があちこちから漏れた。その後で上がるのは、諦めにも似たボヤキだ。
「―――なんでぇ、ガキか…」
 自らの言に習うように発せられた音に反応するようにして背を顧みた男は、扉の位置に立つ小さな影にそう肩を落とした。
 扉を開いて現れた背格好は確かに大人と呼ぶには無理があり、どこをどう見ても子供以外の何者でもない背丈しかない。 全身をマントで覆いフードを深く被りゴーグルをかけ口元も覆われており、 よくよく見ると肩にかけるようにして大きな荷物を背負っている。その井出達から、どうやら砂漠を越えて来た旅人らしかった。
「失礼しちゃうよなぁ…」
 そんな声がふいに響いた、どうやら店内にいた者達の自分への反応が不満だったようだ。 幾分高い、鳥の鳴き声にも似たその声音から小さな旅人は少女らしい。
「いいよ、別に。流石にもう慣れてる」
 次いで、そんな声が響く。
 既に来訪者への感心は薄れているためか誰一人として気にした様子はないが、一人しかいないその場所から二人分の声がしたのだ。 どちらも幼い少女のような声音。
「甘いんだよなぁ、いっつも」
「だって今更だし。…それに、本当の事じゃない? 私、どこをどう見ても子供だから」
 クスクスと愉しげに笑う声。
「それにしたって、礼儀ってものが…」
 来訪者は、深く被っていたフードを外そうとその手を伸ばした。
「う、わっ」
 その動作に合わせて、バサッと羽音が響いた。小さな影から、更に小さな小さな影が離れる。
(鳥…?)
 ただ一人、関心を示してマスターである青年はそれを見つめ続けていた。 その視線の先で、ふわり、と降ろされたフードから見事なまでの銀の髪が零れ落ちる。
(―――――ッ!)
 周囲を気にも止めず銀の髪をそのままに、口元を解いてゴーグルを首へと落とした。 それから、小さな安堵の息を吐き出す。
「ふぅ…、じゃないだろ! いっきなり何すんだよッ!」
 少女の傍を羽ばたきながら叫ぶ姿を一睨みすると、
「ヒトに乗って楽してる、レイトの方が悪いと思う」
 さらりと鳥――レイトにそう告げながらマントを脱ぐと右腕にかけて、降ろしていた荷物を再び背負い店内をくるりと見回した。
「―――銀の…髪…」
 茫然と青年は呟いた。
 店内を軽く見回してからこちらへと近付いて来るその姿は、幼いながらにも見事な白銀の髪の持ち主だった。 それほどまでに見事な銀の髪を持つ者を、青年は今までに見た事がない。
 尤も、銀の髪を持つ者を見る事さえ一生に一度あるかないかという程度だ。 それほどまでに珍しい銀の髪を、銀色のみの髪を持つ者は少なかった。
 更に、特殊な両眼。
「オッドアイ…」
 少女の瞳は、左右で色が違っていた。鮮明な翠の右眼と、髪に似た灰銀の左眼。
(サイ・プリースト、か…)
 顔には出さずとも我が目を疑うかのように自分を凝視している青年を気にするでもなく、 少女は銀の髪を靡かせ、カウンターに突っ伏して爆睡している男の隣にちょこんと腰を降ろすとにっこりと微笑んだ。
「ブルーター下さい」
 こくり、と青年は頷きを返した。
 ブルーターとは葡萄を用いた飲用水の事で、簡単に言えば葡萄水である。
「…寝てるよ、この人」
 ばさり、とカウンターに降り立ってその羽先で男をつつくようにして呟く。
「眠いんでしょ」
 しらっと答えてから、瞳を爛々と輝かせて寝ている男にちょっかいを出している姿を横目にして溜息を一つ。
「私も、眠いのよ。…誰のせいで街に着くのが遅れた、とは言わないけど。疲れた、いい加減ね」
 再び、溜息。
「…どうぞ」
 げんなりと年にそぐわない口調でぼやいてから重い溜息を吐き出したのに合わせるかのようにして 目の前に差し出されたカップに驚いて、思わず顔を上げた。
「どうもありが…と……って、あれ?」
 少女の視線が青年を見つめたままで静止する、自分を見つめたまま硬直した姿にパチクリと青年は目を瞬いた。
「―――オッドアイ。あなた、魔方師ウィザード?」
「え、ええ…。まあ」
(入って来た時に気付きそうなものだが…)
 苦笑しながら頷いた青年をまじまじと見つめてから意味ありげな笑みを幼い顔に浮かべる。
「そっか。―――紫と黒だから、消滅系魔方師かな?」
「よく、ご存知で」
「凄いね」
 にっこりと素直な感想を笑顔で口にした。
「消滅系最高位の魔方師だね」
 魔方を習得した者達はウィザードと呼称される。魔方師という呼び名の方が一般的ではあるが。
 彼らはその属性と階級を瞳の色でわけられており、異質なる両眼“オッドアイ”はその者が魔方師である事を示すと共に その能力の階級すらをも示していた。
 右眼が属性、左眼が階級。
 最高位は紫、その下に紅、赤、朱、黄と続く。
 また、属性を現すものは二つに大きくわけられる。
 光と闇。
 これら二つは対をなし相反する属性でもあるため、そのどちらかを習得している場合、別のもう一方の属性を習得する事は不可能だ。
 光属性は、創造の翠、聖霊の翡翠、生の碧。闇属性は、消滅の黒、破滅の藍、死の蒼。
 そして、それらに属す事のない銀。
 銀の瞳は、それだけで特殊な存在だった。
「大した事はないでしょう。…お嬢さん、あなたに比べれば」
 その科白にピクリと口に運んでいたカップの動きが止まり、羨ましそうに少女を眺めていたレイトの目付きが一瞬鋭くなった。
「生まれながらの能力者、尤も“神”に近いとされる人間…」
 金と銀、いずれかの瞳を持って生まれた者は魔力を手に入れずとも不思議の力を扱えるために、 尤も“神”に近い人間と呼ばれていた。中には、それらの瞳と力を持ちながらも魔方を習う者がおり、 そうした場合は元々持ち合わせていた力に加えて新たに魔方の力が備わるため、魔方師とは当然のように区別されている。 勿論、魔方師という肩書きも与えられない。
 だが彼らには別の呼び名が用意されていた。ある意味、魔方師よりも人々に畏怖と畏敬の念を持たせる存在だ。
魔然師サイ・プリースト
 呟く声にチラリと青年を一瞥する。
 サイ・プリースト、それが生まれながらに金銀の瞳と特殊な能力を持つ者が魔方を習得した際に与えられる名だ。 尤も、こちらも魔方師と同じように魔然師で通っているのだが。
「しかも、創造系…」
 光属性の中で尤も習得困難とされる属性、創造。
 とはいえ、青年の消滅も然りだ。お互いに方向性は違えど最高位の、魔方。
 少女が小さく肩を竦め、カップをカウンターへと戻した。
「中央にいればかなり重宝がられたでしょう、何故こんな辺境に? しかも、子供一人で…」
 お約束とも言える科白を青年は口にする。
 それは予測された問いだったのであろう、表情を変える事なく色を違える双眸でしっかりと青年を見つめ返したままで 暫しの沈黙を置いて短く答えた。
「―――人を、捜しに…」



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