Eternal Wind
4章:成す者 (04-06)



 土下座していた。
「ほんっとごめん!!」
 頭をしっかりと床に押し付けて。
「もういい」
「良くないだろ! セツ怒ってるし!!」
「怒ってないし、もういい」
「全然よくな――」
「しつこい」
 ぶっつり、と途切れる。
 出かけた科白を全部飲み込んで、ラフェルはぐぅと呻いた。
「オレも少しは悪かったと思ってるんだ。まさか第三者への反動がここまで大きいとは予想できなかったからな」
「でも、それもオレのせい――」
「自覚してるなら、いい。ま、夜まで起きなかったから今日はこのままここに泊まるようになるが」
「…ごめん」
「責めてる訳じゃない」
 しゅんっとして床の上で正座している姿に、セツは大きな溜息を吐き出した。
「とにかく、気にするな。明日、早朝に出ればいいだけの話だ」
「…うん」
 ヘタレもいい所である。
「とりあえず、食事を済ませておけ。せっかくの好意だ」
「え、あ、うん。―――その、セツ?」
「何だ?」
「バレた?」
「何が?」
「いや、だから、セツの…、その、…素性?」
 おどおどしつつ問われた内容に、あからさまな溜息が返った。
「お前は、阿呆か」
 ついで出たのは、心の底からそう思っている声音での科白。
「もしそうなら、ここにいると思うか? 考えなくてもわかりそうな気がするんだが」
「………あ、そっか。それもそうだよな」
「尤も、月の騎士である事はばれているが」
「え? って、月の騎士って………そっちは有りなの?」
「問題ない。目立ちたくない理由も同様で、そのため一般人扱いするよう言ってある。ラフェル、お前もそのつもりで。 余計な事を言うなよ」
 前髪に隠れて表情はよめないのだが刺さるような視線を感じて、コクコクとラフェルは頷いた。
「それ喰ったら、寝ろ。明日は夜明けに合わせて出発する」
「了解。―――おわっ!? コレってヤマギウのパンじゃねーか! めっちゃ上手いんだよ、これ!!」
 真顔で頷いたのにシリアスな雰囲気は立ち上がって食料の入っている籠を開けるまでの数秒だけで、 その姿を横目に一瞥したセツはやはり見捨てておいても良かったのではないかとほんの少しだけ思ったのだった。




 セツが一晩世話になった室内を見回してから深々と頭を下げたので、隣にいたラフェルはそれに軽く驚いてから倣う。
「さて、行くか」
 それに頷きが返ったのを確認してから、セツは踵を返すと部屋を出た。
 ここへ連れてこられた時は気絶していたフリをしていただけだから当然出口のわかるセツの後を歩きながら、 ラフェルは珍妙な顔をして溜息を1つ。
 いい所、1つもナシだ。
 その背に付いてくしかない自分が情けなかった。別に建物を出るまでくらい別にいいのではと思うのだが、 次の目的地である“月の神殿”がどこにあるかも知らないため必然的に今後の道案内もセツになる。
 地図の1枚くらい持っておくべきだったと今更後悔していた。勿論、全部ダイに任せきりの結果だから自業自得なのだが。
 まさに後悔先に立たず。
 少し進んで角を曲がったその先で、長身痩躯の黒髪に少しだけ白いモノが混じるナイスミドルが 穏やかな笑みを称えて立っていた。その背には両開きの扉がある。
「誰?」
「前任の神官だ」
 小声で問い掛けたラフェルに、短い答えが返った。
 そのまま無言で歩くセツの姿に、むぅ、と唸る。
 正体がバレているのではなく月の騎士という事になっているんだから、それに話をあわせる必要がある。 ボロを出してこれ以上、役立たずのレッテルを貼られないよう気をつけなければならない、そうラフェルは強く自身に言い聞かせた。
「サディアウィ、随分と早起きだな」
「年を取るとはそういうものです、セツ様。しかし、もう立たれますか」
「見送りはしない方がいいと言っておきながら待ち伏せをして、それか」
「せめて朝のお祈りを終えた後でもと思いまして、お引止めしようと」
「面倒事を増やす気か?」
 にこやかに告げたサディアウィに対してセツの声はげんなりとしている。
「お恥ずかしい限りですが我が息子は全く気付きませんし、その気配すらありません。 面白い事にアナタが月の騎士であると、心の底から信じておりますよ」
 この科白でラフェルの頭にハテナマークが付いた。
「そういう意味ではない。ここに月の騎士がいる事自体が問題だろうと言っている」
「確かにそうですが、他の者には伝えなければわかりません。私の古い知人の子供という事にしておきましょう。 全くの嘘ではありませんし。ところで、後ろの方は?」
「昨日話しただろう」
 呆れかえったセツの声に肩を竦め、
「えぇ、勿論。ただ、愉快な顔をしていらっしゃるので…」
 そんな事を口にした。何の話だと思いセツが振り返ると、軽く眉間に皺を寄せながら呆けるという珍妙な顔のラフェルがいた。
「………何だ、その顔」
 流石のセツも思わずそう呟いていた。
「―――ぇ? あ、いや、えーっと………」
「何かありましたか?」
 少しばかり挙動不審に視線が泳ぐラフェルに、元神官の実力を遺憾なく発揮してサディアウィがにこやかに問い掛ける。
「大丈夫。元とはいえ、神官です。心配事や気がかりな事があるのでしたら、どうぞこの機会に。 人々の心の病を取り除くための手助けも大切な仕事です。そして今はまだ朝早い時間、 この建物にいる者達で起きているのはここにいる私達3人だけ。何を気にする必要がありましょう」
「え…あ、はい。あの、前の神官、さん」
「はい。―――と、これは失礼。私はサディアウィと申します。お見知りおきを」
「あ、はい。オレはラフェルって言います。宜しくお願いします」
 サディアウィがにこにこと名乗って丁寧なお辞儀をするものだら、呆けたままのラフェルはそれに倣い、
「あの、サディアウィさんは、セツのこと、知ってるんですか? さっきの話だと――」
「知っている、とは何を、ですか?」
 穏やかな声音で遮られた。
「え。……その、何って、だから」
「はい? 何でしょう?」
 にこにこと笑顔を貼り付けたまま、心なしかじりじりとラフェルに近付いていくサディアウィ。
「ええ、だからその、セツの、事」
「ですからそれがどういった意味で――」
「サディアウィ、そのへんにしてくれないか。ラフェルもいい加減に目を覚ませ。まさかまだ寝惚けてる訳じゃないだろうな」
 セツのその声に方や残念そうな顔を、方や不安そうな顔をそれぞれ向けてきた。
「ラフェル、コイツは知ってる。子供の頃に会った事があるし、普通の神官なら気付くんだよ。 オレ達の気配は人間のとは少々異なるから」
 普通の、という部分が1番語尾が強かったので、サディアウィが苦笑した。
「そう、なの? でも昨日の、あの、テンション高いヤツは」
「アレは気にするな。異例だ。サディアウィの息子とは思えないほど直情で驚くほどバカ正直だからな。 恐らく、月の騎士だからだとでも思っている筈だ」
「そ、そうなんだ」
 いったい何があったのかと思うほど酷い言われようだが、 そんな事よりもボロを出さずにすみそうだとラフェルは心底ほっとした。
「勿論、普段は旨く隠しておられましたから、それを表に出されない限り私でもわかりませんでしたよ。 この街にいらっしゃったのも、ザンギィルとそんな事になっていたのも、気付けませんでした」
「ここは避けていたからな。元より立ち寄るつもりもなかったし」
「それを聞いてしまうと、息子のしでかした事に感謝すべきなのか悩みますね」
 全然そんな事思ってなさそうな顔と声だった。
「それにしても、ただの旅の同行者とおっしゃられていたのに、アナタの事を知っているとは驚きですが」
「ラージェイの件でバレただけだ。まぁ、コイツがいなかったら死んでたかもしれないから、感謝するといい」
 助けてもらった本人の科白とは思えなかった。
「なるほど。森、ですか」
 ぽつりと呟いて、ラフェルに向き直ると、月の神官として最敬礼の礼をする。
「え″!?」
「ラフェル殿、我が君の御身をお助け頂き有り難うございます。これからのアナタの道に、月の優しき加護がありますよう」
「え、あ、有り難うございます」
 つられるようにラフェルも深々と頭を下げた。
 そんな2人の様子に、肩で息をつくセツ。
「満足したか、サディアウィ?」
「ええ。男性が一緒となると余計な気を揉んでしまうのは年長者の悪い癖でしょうね。―――ラフェル殿」
「は、はい」
「セツ様は自ら進んで苦難の道を歩まれるような方です。月の神殿の関係者でないアナタにお願いするのは心苦しいのですが、 どうか、宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします!」
 何故か元気いっぱい声を張り上げて敬礼したラフェルだった。
 その姿を満足げに見つめてから、深く、深くサディアウィは頷く。
「この先、月の神殿へ行く途中の街の傍でミュートリアが陣を置いている個所が3つあります。場所はこちらに記しておきました。 ラージェイの件が知れていれば増えている可能性もありますが、お気をつけ下さい」
 渡された、綺麗に折りたたまれた白い布を広げると、そこにあったのは複雑に絡み合った模様――幾何学錯視図だ。
 無言でそれを見つめた後でセツはクスリと小さく笑う。
「よほど暇らしいな、こんなモノを作るとは」
 皮肉な科白だが声は楽しそうだ。
「否定できません」
 同じく楽しそうに返したサディアウィに、ラフェルが興味津々といった風にその布を覗き込んだ。
 ハンカチほどの大きさで、白地に薄いグレーで複雑な模様が描かれている。それ以外はさっぱりだ。
「セツ、何これ?」
「模様は関係ない」
 短く返したセツに、あからさまに不満そうな顔をした。
「ラフェル殿。模様に意味をこめたら、他の人にも知れてしまう恐れがありますから。これには月の神殿関係者、 神官以上のクラスになら読める細工がしてあるんです。布の方にね」
「……魔法?」
「まぁ、そのようなものです。厳密にいうと、訓練や契約で誰にでも使えるようになる訳ではないので、違いますが」
 納得し切れない顔のラフェルに、サディアウィは苦笑するだけだ。
「月の加護の1つだ。そんな顔をしても神殿関係者でないお前にはただの布でしかないのは変わらない」
「そう言われると、余計気になるんだけど」
「街の名、陣の位置、陣の予想人員および責任者の名前だ。道がわからないんだから詳細は言う必要ないだろう」
「…あ、うん」
 納得するしかない事を言われてしまった。
「さて、サディアウィ。随分と時間をとってしまったが――」
「朝食を取られますか? そろそろ準備に起きだす頃かと」
「出発する」
 きっぱりと返った科白に、サディアウィはついに観念したように息を吐き出した。
「わかりました。これ以上引き止めるのは無理そうですから、諦めます。本音を言えば同行したいのですが」
「目立つからやめてくれ。それに隠居したとはいえ、お前には、お前にしか成せぬ事があるだろう。 私には、私にしか成せぬ事があるように」
 その表情を見る事は前髪に隠れて見る事は叶わぬが、真っ直ぐにサディアウィを見据えて告げる。
「御意に」
 背後にと塞いでいた扉の前からやっと移動すると、深々と頭を垂れた。
「いくぞ、ラフェル」
「え、あ、うん」
 頭を垂れたままのサディアウィをその場に、セツは扉を開き、
「サディアウィ、健勝でな」
 短く告げてその向こうへと進み、
「サディアウィさん、色々と有り難うございました」
 ぺこりと軽い会釈をしてラフェルが続いた。
 扉が閉じられる音を聞いてから、ゆっくりとサディアウィは頭を上げる。
「どうか、あなたも…」
 言いかけて言葉を噤むと、唇を噛み締めるようにして小さく頭を左右に振り、
「天にありし月よ。その加護を、あなたの子らに」
 祈るように呟いた。



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