西暦2993年、日本、秋―――――。
「細胞分裂が見られます!」
一人の白衣を纏った男に告げられた言葉に、室内が沸き立った。
その日、人間が“神”に成ろうとした忌まわしき計画は第二段階へと移行された。
さらり、と肩に届く程度の長さの見事な黄金色の髪を小さな左手ではらって瞼を伏せる。
「全て、無意味だ。なくともよい…低俗なモノ」
軽く口元を歪めると、腰掛けていた椅子を反転させる。
「姉上…。アナタ以外は全て…、そう、いらないモノなのです。―――ボクにとってはね」
呟くと、大きな髪と同じ色の双眸がうっすらと幼さにそぐわぬ妖艶な笑みを浮かべた。
「ねぇ…、姉上」
そうクスクスと愉しそうに笑うのと同時に扉のノックされる音が耳に届く。
浮かべていた笑みをその表情から消して、瞬間細めて鋭くさせた瞳をそこへと向けた。
「…失礼」
扉を開き姿を見せたのは、白衣に身を包んだかなり年老いた男。
「おや…、あなたでしたか。これは珍しい、何かご用でしょうか?」
意外そうなモノを見るかのように細めた瞳が和らぐ。
「プロトタイプの解凍を正式に要請したと聞いたが…」
「成る程。真実か否かを直接確かめに来た、という訳ですね」
「…本当なのですかな?」
「だとしたら?」
「―――許可する訳にはいきませんぞ!」
男の科白に、僅かに形のよい眉がつり上がり金の瞳が瞬間険しくなった。
「何故ですか?」
静かに、されど重い声音で問い掛ける。
「失敗作じゃ!」
「ボクの姉です」
「かもしれぬ…、が、奴はいかん! アレは、封じておくべき存在だ」
「何で在ろうと、姉です。…この、ボクのね。この世で唯一の、同じ存在」
「何を言う! お前と同じモノなどこの世界にはおらんわッ! ―――お前こそが絶対、
お前こそが至上、その隣に並ぶ事の出来る者など、在り得るはずがない」
その科白に、金の瞳が愉しげに笑った。
「ですがボクは、彼女から造られたモノだ。…ボクにとっては彼女こそが――」
「ふん!」
科白を区切るよう軽く鼻先で笑い飛ばし、
「あんな、生まれたばかりのモノが何だと言うのだ? いや―――生まれてすらないモノが」
「彼女が今、どんな状態であれ…。それこそボクには関係ない、ボクにとって彼女は姉以外の何者でもない。
その間の関係がどうあれ、ね」
「―――アレの開封は認めん。お前に言われ、他の誰が赦そうともワシだけは決して赦さん。
アレはこの上なく危険な存在だからな!」
そう吐き捨てると男はきびすを返してドアノブに手をかけた。
「ドクター沖…」
今までとは打って変わった、低く沈んだ声でその名を呟く。
同時に背に突き刺さるような鋭い視線を感じて全身を強張らせた男――沖はゆっくりと振り返った。
「ボクはね、姉さんといたい。これは仕方のない事だよ…? 本来あるべき…、そう、元に戻ろうとしているのだから。
ドクター沖、ボクの邪魔をしようとするあなたは、いらない…」
うっすらと笑みを浮かべ告げられた科白、それに弾かれるようにして目を見開くと沖は驚きを隠せない表情のまま眉を顰めて
その瞳に恐怖の色を浮かべる。
「何を…、何をするつもりだ…」
「いらなくなったモノは捨てる、そう教えたのはあなた達でしょう?」
にっこりと冷笑し、流れる様な動作で椅子から立ち上がる。
「お前…、お前達は…我々が――」
「そう、造った。…ですがあなたは…、いいえ、あなた達は気付かなかった。
ボクが何で、彼女が何であるのか、に……。―――そう、一つだけ、良い事を教えましょう。
本当に危険なのは、このボク…。あなた達の言う失敗作は彼女ではなく、むしろ、ボクの方です」
「馬鹿な! お前こそが我々の…最高…の…、あ…あああ―――――――――ッ!?」
「いらない、と…先ほども言ったでしょう。ドクター沖」
金の瞳が嬉しそうに笑い、幼いながらに整った少年とも少女とも似つかない顔が口元を歪めて笑う。
その瞬間に、既に沖は息耐えていた。沖という人間がその場にいたという痕跡を何一つ残す事なく。
「―――この世界から消えてしまえばいいモノなのです…、彼女以外の全てが」
さらりと髪を払うと椅子の背もたれに手をかけ、この上なく幸福そうに、
そして満足そうに微笑んだ。
六年後―――――。
「―――…ティア、セレスティア!」
聞き覚えのある声に、床に座り込んでいた幼い少女が白銀の髪を靡かせて振り返る。対照的な黄金色の腰まで伸びた髪を靡かせて歩み寄る姿はまだ若い男、
それに軽く眉を顰めると立ち上がった。
「…ラギナレス?」
小鳥のさえずりのような可憐な声、されど訝しげな声音で少女――セレスティアが呟く。
「うん。…元気?」
セレスティアの傍まで歩み寄った男――ラギナレスはにっこりと優しげな笑みを髪と同じ色の瞳に浮かべて、
身長が自分の半分程度しかない姿、その白銀の瞳を真っ直ぐに見つめ返してそう問い掛けた。
「誰が?」
「セレスティアが」
「―――体調の事? 私は今の所、異常はないけど…。あなたはどうなの、ラギナレス?」
「ボクはもう安定期に入ってるからね、心配はいらないよ」
微笑む姿を冷ややかに見つめ返すと、
「別に心配してないけど…。いつになったら、あなた…壊れるのかと思って」
そう呟いた。
「そうだね、ボクのせいであんな目に合っていたのだし」
「―――わかってるなら別にいいの。…それよりも、今日は一体何の用?」
小さく息を吐き出してから溜息がちにそう告げる。
「ああ、そう…。前に話したよね? クローンの事。あれ、連れて来たんだ」
「ふぅん…」
「まだ、13体しかいないけどね」
苦笑して肩を竦めるのを合図としてか、ラギナレスの後方で開かれたままになっていた扉から全く同じ姿をした青年が13人現れる。
セレスティアからも見えるよう半歩躰を引いて、二列に整列した青年達を一瞥すると、
「どう?」
横目にセレスティアへと問いかけた。
「―――グロテスク。気味悪いわね」
きっぱりと辛辣な感想を口にしてから13人のラギナレスクローンを見回す。
「どうやって見分けるの?」
「…無理じゃないかな、他の人には…。ボク達にはわかるけどね。
―――ナンバーサーティーン」
微笑みかけながらそう告げてから視線をクローンへと流すと、それに答えるようにして一人が一歩前へと進み出た。
「セレスティア。…彼が、サーティーン。
bP3、YUD。
今日から君と一緒にいる、ボクだよ」
「え…?」
「遊び相手、だよ。―――…本気のね」
その科白、最後に付け足された言葉にセレスティアは初めて笑みを浮かべて見せた。
「壊れない…オモチャ、という事?」
問い掛けに悠然とした笑みを返したその顔が「その通り」と告げている。
「よろしく、セレスティア」
笑顔でそう告げてラギナレスと同じように笑みを浮かべるサーティーンの姿に、
何かを問い掛けるような眼差しでセレスティアは睨み返した。
―――――西暦3012年、8月。
その年のその月のある日、一条の光が宇宙より地上へと降り注いだ。
天から降りて来たかに思えたその光は瞬時にして降下地点の街を消滅、―――そう、まさにそう呼ぶに相応しい程、
その場からそこに在った全てのモノを奪い去った。残ったのは大きくすり鉢上に波打つクレーターの大地。
無所属衛星からの、レーザー攻撃。
何処の誰が、何の目的で、誰を狙ったモノなのか、そんな疑問も何もかもが、
翌日、翌々日と続いく天高い空からの攻撃に、消えて行った。
総計7日間、たった一週間の間に、世の高みにまで登りつめ様としていた人の歴史は終わりを迎えようとしていた。
連日起こっていた空からの恐怖がぴたりと止んだ事に人々は安堵し、再び人と地上とに平安が訪れたかに見えた。
しかし―――――。
これを機に各地であったこれまでの国境間のいざこざや問題が武力を用いての争いになり、
空からの攻撃により世界規模で麻痺していた各国の状態が拍車をかけ、―――第三次世界大戦が勃発。
僅か54秒で大戦は終了したが、後に残されたのは地球全土を覆った冷たい世界と激減した動植物。
地上は荒廃した。
それ以外、現す言葉などなかった。
空も、大地も、空気も、植物も、動物も、人も、死んだ世界で死を待つだけの存在に成り下がったのだから。
絶望の二文字が世界を覆ったその最中、人類の救世主を名乗る不可思議な“力”を持った一人の人間が
全てのモノへと救いの手を差し伸べ、それによって死を待つばかりだった世界はやがて甦りの道を辿る事となる。
その不可思議な“力”によって一つへと纏まった世界は、二人の“皇”によって治められた。
何年過ぎようと変わらない姿を持つ彼―――彼等は、その“力”から、またはその姿からなのか、
いつしか“神”と呼ばれるようになった。
彼等を“神”と呼ぶ人々は何も知らない。地上を苦しみ抜いて懸命に生きている人々は何も気付かない。
誰がそうさせたのか。
地上から緑を奪い、戦争を起こした者が、一体誰なのかを。
そして人々が“神”と呼ぶ者の正体すらも―――――。
闇の中で、二つの銀の光が揺らめいた。
「あなた、何を考えて…?」
酷く驚き震え僅かに上擦った可憐な女の声がもれた。
小さく後ずさりながら、床まで届こうかというほど長く伸ばされた見事な白銀色の髪が流れる。
「何だと、思う?」
薄笑みを浮かべて一歩、女へと進み出たその顔は女によく似ている。
ただ、同じように長く伸ばされている髪が白銀色ではなく黄金色で、瞳もまた然りだが。
女は表情を曇らせ、次いで訝しげに眉を顰めて瞼を閉じる。
「―――全てが、あなたの思い通りになるとは思わないで。…私は、諦めないわ」
閉じられたままの瞳から一滴の涙が零れ落ち、世界は暗転した。
―――――ジッ、ザーッ…。
うっすらと開いた瞳に幾つもの光が飛び込んで来る。
思わず顔を顰めて目を瞬くと、両手で軽く瞼を擦りながら寝ていた躰を起こした。
自分は一体、何をしていたのだろう? 何故、寝ていたのだろうか? そんな疑問が脳裏を過ぎった瞬間、
「気が付いたみたいだね」
声が響いた。
それに思わず全身が震える。思考回路よりも早く、躰がその声の主が誰であるかを判断した。
頭で考えるのと同時進行で眉を顰めるとゆっくりとした動作で声のした方へと顔を巡らせる。
「…あ、あなた――」
それが誰であるかのかを両の眼でもって確認し、驚きの声を漏らしたはずの自分の声にふと眉を顰めた。
「その躰しか、出来なかったんだ…。僕には。ごめん…」
酷くすまなさそうに苦笑するその顔は、告げられた科白から脳裏に浮かんでいた疑問を否応なしに肯定させる。
「何、それ…。どういう事…?」
自らの口から発せられるのは幼さを十分過ぎる程に残した甲高い声、記憶にある自分の声とは全く別のものだ。
「君はもう、君じゃないんだ。…言わなくても、わかるだろう?」
諭す様な口調で近付いて来るその声、そして姿、表情に思わず視線を逸らす。
今はその顔を見ていたくはない、いや、これから先もだ。もう二度とお目にはかかりたくない顔がそこにはあった。
「仕方がなかった。僕は…僕達は、―――彼には逆らえない…」
「…そうね」
「―――だけど、君を失うのも嫌だった。だから」
「こんなマネを?」
「怒ってるかい、やっぱり? けれど、心配はいらない。怒る必要もないよ。―――僕達と似たようなモノだけど…。
それは、君が君であるがために必要なモノだから。君が自らの手で、君自身を取り戻す……そのためにね」
はっきりとした口調で告げられた科白に弾かれるようにして逸らしていた顔を相手へと戻すと、
不安げに問い掛けるような眼差しで苦笑するその顔を見つめ返した。
それに答えるかのようにして、にっこりとそしてやんわりとした、いつもと何ら変わりない穏やかな笑みを浮かべる。
「これは、彼も知らない事。僕の独断…。―――君は、ここの地下で眠ってる。
それを起こすために、あるモノが必要なんだ」
「…あるモノ?」
こくん、と頷きが返る。
「君は、それを見つけないといけない。
この世界中から探し出して…、全てを手に入れて、ここへ戻ってこなければならない」
「どういう――」
「出来るかい? …出来なくても、やるしかないんだけど」
科白を区切り、最後通告とも取れる言葉を呟いた。
微笑んでいたはずの眼差しが何処か悲痛に歪んで見える。
真剣に、何らかの覚悟を持っているとわかる瞳で真っ直ぐに自分を見つめる視線をしっかりと受け止めた。
絶対とも呼べる覚悟が必要なのだと口には出さずとも、目が、表情が、確かにそう告げている。
進んでしまえば後戻りをする事は、決して叶わない。
何があっても何を後悔してもやり直す事など、決して叶わない。
固く口元を結んで一つ、頷いた。
「―――教えて…。サーティーン」
同じように意を決した瞳と声で答える。
それに彼は悲しみを称えた瞳で、されど何処か嬉しそうにして儚げに微笑み返した。
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