第9話  非常食認定


 親父が去って静かになった。
 しかし、本気で何がやりたかったんだよ、あの親父は…。マミー持って来てくれたのは嬉しいけど、何かついでくさいんだけど…。
「―――で、お前は行かねぇの?」
 まだ同じように立ったままの姿に問い掛けて、……すぐに年相応の笑顔が、物凄く邪悪な笑みに変わる。
「他に言う事あるでしょ?」
 声の調子まで変わってやがるし…。
「お前、猫かぶりすぎだろ。それに、何だよ、あれ! どんな作り話だっつーのっ!!」
「感謝してくれていいよ?」
「何がだよ、そもそもお前が横槍を 「私がいなかったら死んでたくせに」
 ぐはっ!?
 それは確かにそーなんだが、オレの命すら狙ってたじゃねーかよ、お前…。
「お礼は?」
 目線は果てしなく下で、オレは完全に見上げられてる格好なんだけど、態度も何もかんも、完全に上から目線。 矯正しろって…こいつの性格。マジで。
「ドウモアリガトウ」
「心が篭ってないな、おにーさん」
「嫌味っぽぃからそれヤメロよ」
「当たり前だよ、わざと言ってるんだから。―――それじゃ、十郎太。心の底から 「呼び捨てかよ!!  オレのが年上だっつーの!」
「知ってるけど」
「しかも親父との態度差何!?」
「将和さんは、お父さんの友達だし、強いし、地位も高いし。敬意を払ってるだけだよ」
「オレには!?」
「何で?」
 あっさりと、不思議そうに返されました。
「敬意を持って接する個所が微塵も見つからないんだけど」
 思わず遠い目になった。泣きそうだ。何でここまで馬鹿にされなきゃいけないんだろう、あん時が初対面の、 しかも自分より年下のヤツに。
「それで、お礼の言葉は? 心をこめて」
「………。どうやってつじつま合わせたんだよ? オレより全然強いヤツらなんだぞ、あの4人。それに、オレには  「十郎太って、馬鹿?」
 がはっ!
「あ、ごめん、そうだったよね。本気出さないで殺されようとするくらいにお人好しの馬鹿だったんだっけ」
 って、1人で納得すんなー! しかもすっげー失礼な事言ってんから!! オレをどうこう言う前に、お前が失礼だっつーのっ!
「私の言う事をすんなり受け入れられたのは、その状態の十郎太なら、あの4人に勝つ可能性があるからだよ」
「……は? 冗談だろ」
「事実だよ。奥の方に仕舞い込んで隠してるせいで、自分がわかってないのは問題だと思うけれど?」
「……マジで?」
「しつこいよ?」
「……わかった、じゃ、そういう事にしとくけど。んでも、どうやって認めさせたんだよ? オレ、外傷ゼロでって無理なんだけど」
「首はねといたから」
 ………あっさりと、何でもないように言われました。
 本気でどういう思考回路してんだ、コイツ。
「頑丈な人狼一族、1番確実なのは、それでしょ? だからそうしたの。文句ある?」
「いや、別にねぇけど……。お前、いっつもあんな事してんの?」
「普段は、自爆霊とか、浮遊霊とか、そういう雑多なお払い系の仕事を回してもらってるよ。今回もそれだったの。 でも、行ってみたら、全部綺麗に食べられちゃった後だったから。そういうのって頻繁にある訳じゃないし、全部が全部、 お父さんから回してもらえる訳でもないからね。だから私にとっては、1つ1つが死活問題なんだよ」
 ああ、なるほど。ずっと言ってたのはそれか。
 食い物の恨みって本当恐ろしいな……。
「―――って、それなら何で? オレ喰ったら足しにはなったんだろ?」
「食べたよ」
 はぃ?
 それはあまりに即答過ぎて、一瞬、頭が真っ白になったんだが…。
 多分、恍けた顔をしたんだろうと思う。オレの顔を眺めながら、小さく、本当にかすかにだけど、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「すっごく美味しかったよ。一弥さんよりね。それでね、勿体無いなって思って、生かしておく事にしたの」
 何でか悪寒が走った。
 表情と科白があってないってこういうのを言うんだろうか、いや、満足したみたいだからいいのかもしれないけど、何か違う。
 オレの顔を観察するように黙り込んでから、にっこりと笑う。
「非常食として」
 ………はい?
 今、何つった? 今、何て言ったお前ーっ!!!!
「隔月で弥生さんに会うし、その時に来てもらうんじゃなくて、私がこっちに来るようにすればいいだけの話だから」
 にこにこ笑顔だが、言ってる科白が理解不能。つーか理解したくねぇ。
「……冗談だろ?」
 顔は完全に引き攣ってたし、声もヘンに上擦ってた。
「本気。だって、十郎太、私のでしょ?」
「は? 何で、オレが、お前の 「全部くれるって言ったじゃない」
 ………言ったか? オレそんな事言ったか???
 必死に記憶を弄る、幾ら決死で混乱状態だったとは言え、そんな悪魔に身を売るような科白…―――って、言ってるよぉおお!?
 思わずその場に座り込んで頭を抱える。
「どうかした?」
「……いや、待て。あん時は、もう、死ぬってのが前提にあってだな… 「男のくせにグチグチ言わないでよ」
 いや、男とか関係ないだろ!? ってか誰でも言うよ! 何だよそれ、しかも非常食って呼び名も嫌だろ、ふつー!?
 同じようにしゃがみこんで、頭を抱えるオレの顔を覗き込む。満足そうなにこにこ顔と思ってたが、それはアレか、 オレを嘲笑ってるってヤツだったのか。こんちくしょう。
 本気で涙が出そうだ…。
「自分の発言に、責任を持って欲しいな」
 そんな事を言う。
「―――隔月、なんだな」
 頭を抱えたままで、唸るようにして声を絞りだす。
「うん」
「わかった。言ったのは事実だし、しょーがねぇ」
「潔いね」
「ただ非常食ってのはやめて欲しいんだが?」
「無理。だってそうだから」
 即答でした。
 オレの未来が真っ暗になった気がするのは何でだろう?
「もういいよ…。んでさ、1つ言いたい事があんだけど」
「何?」
「何で呼び捨てなんだよ」
「十郎太さんって言って欲しいの?」
「嫌味っぽぃな……」
 にこやかな笑顔で言われたそれに、思わず、頭に浮かんだ言葉がそのまま口から出てた。言った後でしまったと思ったが、 これ見よがしに溜息を吐き出してから俯き加減になって視線を逸らす。
「ああ言えば、こう言う。我儘だね、本当。私より年上なのに」
「殴っていいか、乃木月乃」
「暴力反対」
「お前のは暴力じゃないのか」
「非常食だしね」
「……あのな、マジで。ほんとーに、お前ね、その性格をだな 「臨機応変なだけだよ」
 お前の方がああ言えばこう言うじゃねーかよ。お前がふざけんなっつーの!
「―――って、どうかしたのか?」
 完全に俯いて、いつの間にやら目を閉じて小さくなってる。
「何が?」
 そのままで、淡々とした声が返った。
 声の調子はアレだ、相変わらずって表現が合いそうなくらい、可愛げが全くない。尖ってるし。だけど、何か、 顔色悪いような気がしないでもない。元々、太陽? 何それ? ってくらい、日焼けの日の字もないっつーか、もやしか?  ってくらい白いのはわかったけど、青白くなってるよーな…。
「いや、何か調子悪そうだけど?」
「気のせいだよ」
 即座に否定して、すくっと立ち上がる。
「それじゃ、そういう事で。早死にしないでよね、せっかく見逃したんだから」
「もうちっと言い方あるだろ…、可愛げゼロだな、お前」
「別に十郎太に可愛いと思われなくて構わないよ。前にも言ったけど」
「あ、そう」
「じゃあね」
 短く言って、すぐ傍を通り抜けて歩いて……って、やっぱ、ヘンだろ!?
「待った!」
 右肩を掴んで、無理矢理振り向かせ…ようとしたら、ふら付いてそのまま倒れそうになってるし!
「オレ、ナイスキャッチ」
 受け止めて一安心。……つーかマジでちっさいな、本当に中1か、コイツ?
「誰のせいっ…。とりあえず、離して欲し 「ふら付いてるし、やっぱ顔色悪いし、何でだ?」 ……余計なお世話」
 オレの親切心はエライ勢いで寸断されました。
 投げ捨てたろうか、コイツ。
「とりあえず、離して。弥生さんのトコ行くから」
「……歩けんの?」
「そのくらいは残ってる」
 残ってる? 言い方が妙……て、待て。それってつまり…―――いや、でも、あれ?
「人狼4人分」
「いきなり何の話? それよりも離して欲しいんだけど」
「更に、オレ。それだけ喰って、何でこんなに早くエネルギー切れしてんだ?」
 ぴくって、小さくだけど、しかも一瞬だったけど、反応が返った。
 動揺するような事なのか、思わず喜びそうになるオレ、何だか勝った気がしたんだよ。
「どーした、乃木月乃? そりゃ、ばぁちゃんが強いって言うくらいだから、許容量が多いってのはわかるけどさ。 切れるにはちと早すぎじゃねーの? 本気で足元おぼつかないって感じになってるよな、乃木月乃?」
「いちいちフルネーム連呼しないでくれる」
 憮然とした声が返る。どうやら言い返す元気はあるようが、離せと言う割に、オレを引き剥がしたり、殴り倒す力はないよーだが。
「んじゃ、月乃」
「馴れ馴れしいね」
「オレが名前呼び捨てにされてて、何でお前に敬称をつけなきゃなんねーんだよ」
「非常食だから」
 ちっさい成りで軽いけど、重みを感じてる時点で、自力で立てんのかも怪しい。つーかオレによりかかってるくせに、 態度は変わらず。殴りたいと思う所だが、本気で調子悪そうだし、苦笑しか出ねぇ。………って、オレは甘いのか。やっぱ?
「一応、オレにも人権ってものがあるんだがな…」
「…もうそれでいいから。離して」
「急に寛大になったな。倒れねぇ?」
「まだ残ってるって言ったで 「んで、何で切れかかってんだ?」
 沈黙した。
 言いたくなくて無言なのか、しゃべる元気もなくなったのかはわかんねーが。
「まさか、首落とすのに使い切ったとか言わねーよな?」
 言いながら見下ろして、改めてそのちっささを再確認。兄貴達の気持ちが何となくわか……って、待てオレ。 落ち着け。幾ら今、弱っているとは言え、コイツは悪魔で非道でオレを非常食とか言うヤツだぞ。兄心を抱いてどうする。
 しかし本気で小さいな。栄養不足のせーか? 太陽の下で光合成しねーと駄目だろ。流石に、白すぎだっつー……。
 ごくり、と無意識のうちに生唾を飲み込んだ。
 少し斜めになっているせいで髪がかかって表情は見えない、けれど、青白い肌と首筋は見えて、自然とそこに目が行く。
 ―――美味そう。
 両手の肩口を掴んで少し引き剥がすが、顔は俯き加減のままで特に動く様子はない。そのままで同じ高さまで腰を落として、 肩を掴む手に軽く力を込める。逃げられないように、抵抗する気力もないだろうが。
 自然と口が開いて、首筋に…―――って、駄目だ!! そう思った瞬間、噛み付こうとしたその場所に額を押し付ける。
「だーっ!!」
 叫んで、掴んでいた手を離すと脇に手を入れて勢い付けて左肩に担ぎ上げる。
「…ちょっ、何するの!」
「っさい!」
 ああああああぶねぇえええ。心臓に悪いわ、ああ、もう、美味そ……じゃないから、オレは血とか飲まないからっ!!  必死に自分に言い聞かせつつ、足は猛然とダッシュ。
「ばぁちゃんとこ連れてくから大人しくしてろ」
 そんで、オレはさっさとマミーを補充しに行かねば。こんなのにうろつかれたらあぶねぇ。
「歩いて行けるよ、そのくらい」
 ばぁちゃん、離れに住んでるからここからだと歩いて10分かかる。
 けど、今はそれどころじゃない。渡り廊下のガラス戸を開いて、裸足のまま降りて、一目散にそこへと向かう。 走れば1分で着くだろ、きっと。
「あ、そう。んじゃ自力で降りたらー?」
 担がれるままになってて、嫌なら暴れればいいのにその気配はゼロ。無駄に体力消費して残量ゼロにしたくねぇんだろうけど、 降りるのすら躊躇うとか。本気で歩くだけだったんだなーと思いつつ、黙り込んだ姿に勝利を確信する。
 危うく、誘惑に負けそうだったのはさておき。
「ああ、まぁ、命を見逃してもらったお礼と思って気にせず乗ってれば?」
「こんな安いので済むと思ってるの?」
「口だけは元気だな」
「後で覚えてなさいよ…」
「いや、無理じゃね? オレ物覚え悪いから。―――ばぁああちゃーんっ!!」
 叫び終わる頃に、ばぁちゃんの離れに到着。
「十郎太っ! 病み上がりのくせに大声出してんじゃない!」
 部屋ん中から怒鳴り声が返ったが、気にせず玄関を勢いよく開く。
「ばーちゃん!! 早く急いでっ!!」
「五月蝿いって遠まわしに言ってんのに気付け、この馬鹿孫!」
 木刀が勢いよく飛んできて、脳天に直撃。お星様が舞った。
 つーか、もうすぐ70才とは思えない俊敏な動きだよ、ばぁちゃん…。
「―――と、あら、月乃ちゃん」
「こんな失礼な体勢で申し訳ありません、弥生さん」
 やっぱり態度豹変かよ、わかってたけど、オレの立場は? でもまぁ、無理もねーか。オレ前から担いでるし、 ばぁちゃんにケツ向けてる訳だしな。
「いや、いいよ。キツそうだね」
「歩くくらいは大丈夫だったんですけれど」
「それなら、こっちこそすまないね。全く、気の利かない、馬鹿孫で。女の子をどういう運び方してる…―――十郎太、およこし」
 呆れ顔で溜息を1つ吐き出して、オレの顔を一瞥した途端真顔になって両手を差し出して歩み寄る。 オレから引き剥がすように腰を掴んで持ち上げると、そのままばぁちゃんの手におさまった。
「任せた」
「お前に言われるまでもないよ、全く。女の子はこう運ぶもんだよ、十郎太」
 くるりと背を向けてそんな事を言うばぁちゃんは、所謂お姫様だっことゆーヤツをしてる。
「恥ずかしくて出来るかんなもんっ!!」
「そういう事にしておいてあげるよ。さっさと行きな、また殴られたいなら構わないがね」
 くっ。
 どーやら、ばぁちゃんには全部バレてるくさいな。
 真面目な話、そんな格好で連れてこようとしたら、到着云々の前に確実に誘惑に負けてるっつーの。
「んじゃ」
「はいはい」
 軽い返事が返って、ばぁちゃんは部屋の奥に引っ込んだ。オレも反転して玄関を出て。
「やべ、裸足だ!? 兄貴に見つかったら怒られる」
 今更な事実に愕然としてから、来た時と同じ速度で部屋まで戻り、タオルで足を拭いて、廊下も拭いてから、 何気ない顔で居間へと向かった。
 結局のところ、たらふくマミーを飲んでる所に笑顔の張り付いた兄貴がやってきて、 来るのが遅いから呼びに行こうとして足跡を目撃していたらしく、飲み終わるまで延々説教を受けるハメになる。
 喉の渇きもおさまって腹も膨れて満足したオレは、そのまま寝ちゃった訳で。
 次に起きたのは翌日の夜で、月乃は無事に帰宅したとかで顔を合わせずに済んだ事にほっと一安心し、 その後で、また再来月会う事になるのかと脱力した。


 そうして、オレの中学時代最凶の思い出になる事件は終了したのだが、随分後になって、 別にオレが行く必要はなかったという事実を知り、これは親父の仕組んだ、ただの布石だった事に気付くのだった。

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