第4話  捕食する者


 だーっ! もう、いきなりだよっ!! いーきーなーりーっ!!!!
 とりあえず、必死に走る。走る。走る。
 やったらニオイが強く残ってたから怪しさプンプンだったんだけど、アレだ。今更だけど……コレ罠ーっ!!
 10歩も進まないうちに銀の刃が飛んで来た。
 で、以後、ずっとそれを交わしながら森の奥へ奥へと進んでるわけで。……絶対誘導されてるよな、コレ。
「…っぶね」
 木の根っこに躓いて転びそうになったところに銀の刃が飛んで来る。慌てて、袋に入ったままの“雪”で弾いて、反転。
 続けて飛んで来る刃を避けて飛び上がると、再び走り出す。
 やばい、本気でヤバイ。相手の確認をする余裕がないっ! ……情けねぇえ。
 オレの標的になってるヤツだったらいいけど、全く関係ないヤツだったらオレは即死決定だよ。ちくしょー。
「…こっちが疲れて止まるの待つ気……じゃないよな。誘導されてるくせぇ」
 逃亡者は全部で4人。追っ手は何人かいた筈だけれど、現時点で動いてるのはガチンコ用のオレを含めた、同数の4人。 あんな目立つ事があったから、一族からの4人の追っ手しかいない筈。
 一応、その4人の中で一番弱いヤツがオレの標的だし。
 今攻撃して来てるのがソイツである事を、本気で願う。つーか違ってたら恨む。 何を? って聞かれたら困るけど、とりあえず、親父かなぁ?
「―――って、球っ!?」
 細身で30センチほどの長さしかなかった銀の刃の雨が、直径30センチほどの球体へと変化した。
 慌てて木に飛び移り―――って、直撃コースっ!? 同時に飛び乗った枝目掛けて球が飛んできたわけで。
「っだぁっ!」
 ぎりぎりで回避する…ってか、まぁ、落ちた。普通に。完全にこっちの動き読まれてるよ、コンチクショー。
 一回転して、地面に着地。流石にへばって間抜けに落ちるわけにはいかない。
 だが、ぴたり、と攻撃が止んだ。
「やっぱ、誘導だったんだな」
 直感でそうを感じたのは、嫌にニオイが残っていたから。強く、強く。その場所が自分のテリトリーであると、 告げるためにわざと残したんだろう。
 他人の土地にマーキングってバカだよな、と思う。しかもここは、乃木の管理地。ど真ん中より外れてるとはいえ、 あれだけの結界を作れる人間がいるんだから、こんなところに自分のテリトリー広げてたら、 ここを基点に結界張られてまごついてる間に討伐隊………もとい、オレ達が失敗すれば、管理者自身が出てくるだろうし。
 どんなヤツかは知らないけれど、親父と同じくらい強いヤツだ。何しろ“北斗”以外のSSクラス。
 国内にたった3人しかいない、退魔師協会認定のSSクラス。世界を見ても10人しかいない、それ。 反則なくらい強いに違いない。
「……はぁ」
 余計な事を考えていたのに、攻撃はない。つまり、そこにオレが立ち入るのを待ってるって事だ。
 今もどこかで見てるんだろう、こちらの様子ってのを。くそっ、最悪だ。
 ………でも、悪態付いても始まんねぇし、ここまで来ちゃった以上諦めてやるしかない……よな、やっぱ。
 はぁあああっと息を吐き出しながら、ゆっくりと立ち上がる。
 落ちた木を背に、前方に広がるのは森の中にぽっかりと開いた空間。直径で3、40メートルくらい多分ある、広いその場所。
 ここなら、嬲り殺すってのがやりやすいだろう。障害がない分、動きがオレよりいいと自負してるんだろうし。
 一歩、踏み出す。
 どこから来る? 四方に神経を集中させながら―――
「ガキが来るとはオレ達もナメられたもんだな」
 声は、上空を流れるように届き、地に降り立つ。やたら堂々と姿を見せたのは、その場の中央……何てーか、真正面。
「ガキで悪かったな」
 ナメてんのはそっちだろ。気持ちはわかるがなっ!
 睨む。とりあえず顔を確認、間違いない。オレが言われた相手だ。……違うヤツじゃなくてよかった。
 内心安堵の息を吐き出すオレを見据えて、黒い双眸を細める。
「…はん。どこかで見た面だが……?」
「他人の空似だろ。初対面だ」
「そーかぃ」
 クスクスと口元を歪めた笑みを零す。
 じっと睨んだまま、もう1歩、踏み出した。こちらの間合いまでは、まだ遠い。“雪”を行き成りさらすわけにはいかないし、 あちらがどのくらいの動きをするのか確認しなければならない。
 オレにも追えるレベルの筈だ、でなければ親父は言わないだろうし……こちらの手にあるのが“雪”だと気付かれなければ、 勝機はある。
 ありがたい事にオレが誰だかわかってねぇみたいだし、ナメててくれてるし。
「んーじゃ、お手並み拝見と行こうかねぇ?」
 ぐるりと一回転し、地を蹴った。
「愉しませてくれよなぁ」
 勝手な事をっ! 半身になって突撃をかわし、3回転。立ち上がり、“雪”を持つ右手を腰に、左手を前に構える。
「一つ目はクリアってかー」
 オレを品定めするように細めた双眸で笑う。気合いで負けてたまるかと、メガネごしに睨む。
 つーかね………やばいっす、速いんですけど。
 真面目に、これ以上スピード上げられたら避けられる自信がかなり……、ない。
 “雪”を握る手に自然と力が入る。
「ガキ、その手のモノは飾りかぁ? なぁんで袋入ったまんまなんだよ、抜かねぇのか?」
「……コレが気になるのか?」
「わざわざ持ってきてるんだ、いいモノなんだろうなぁ。さぞかし?」
 そりゃ、“雪”ですから。言えないがなっ!!
「悪いが、そう簡単に、期待には答えられない」
「そーかぃ」
 クスクス笑いながら、ぶんっ、と右手を一振り。
「…ま、出し惜しみしてて死んだら、いー笑いもんだと思うがねぇ?」
 その手の爪が鋭く尖って伸びていた。……何だよ、そのままでも使えんのかよ。
「さーて、どこまで持つかなぁ?」
 言いながら、今度は右手を一振り。同じように、爪が鋭くなって、カチカチと合わせる。
 ……気持ち悪い。まだ特に何かをしてるって訳じゃねぇのに、嫌悪感しかわかねぇ…何でだ?
 細めた双眸で、愉しそうに口元を歪め、突っ込んでくる。
「…ちっ」
 袋に入ったまま、“雪”でなぎ払う。……て、払えねぇええ!?
「よく止めたなぁ」
 愉しそうに、一言。ぺろりと舌なめずりをして。
 ……くそっ。止めたくて止めたんじゃねぇっつーの。なぎ払うつもりだったんだってーの!
 両手にがっしりと“雪”が挟まってる……じゃなくて、掴まれてる、か? この場合。
「……どこかで見た顔だな」
 上から目線で、ぽつりと呟いた。身長差があるから実際上から睨まれてるわけだが。
「他人の空似だろ。初対面だってさっきも言った筈だ」
 負けじと睨み付ける。
 これは、何つーか非常にヤバイ状況のような気がする。
「どこだったか…」
 聞けよ!
 つーかマジで、オレとは初対面だっつーの!!
 ……まぁ、ウチの家族、全然似てないってわけじゃな……いや、一部いるけど、オレはそうじゃないから、 この近距離でいつまでも顔付き合わせてると、気付かれないとも限らない。そうなると、虎の子の“雪”にも気付かれるわけで。
 マズイよな……。
「……谷口慧斗やぐち けいと。 何で、こんな真似をした?」
 とりあえず、聞いてみる。
 つーか他のことで気を散らして貰わねぇと……。がっしり掴まれて、こっちの力じゃ、どうにもこうにも 動きそうにないっつーか、引いたら、あの両手の爪で切り裂かれるだろうし。
「年上を呼び捨てか」
 ギリッ、と両手に力が込められたのが“雪”を通して伝わる。こっちも両手で“雪”を掴んで踏ん張ってるだけに、 どうしたもんかなー…。しかもこっちは、抜きやすいようにって右手で持ってただけに、支点がずれてるからなコンチクショー。
「犯罪者に敬意を払えとは教えられてないから」
「はははっ、愉快だな。犯罪者か」
「違うってのかよ、あんな真似しといて」
 オレの科白に、薄っすらと双眸を細めた。
「本能に従ったまでだ」
 っ!!
 コイツ、きっぱり、はっきり断言しやがった。
「我々は喰らう側、人間を喰って何が悪い?」
 ………ダメだ。
 コイツとは、絶対、相容れない。根本的に、違う。
「元より、我らとて互いに喰らい合っていただろうが」
「……それ、何百年って昔の話だろ。今は、違う!!」
 右足を半歩踏み出して踏ん張り、腰を落とすようにしながら左に捻って、谷口の驚いたような顔が視界の隅に映ったが、 そのまま勢い付けて“雪”を振り上げた。
 びりりりっ、袋の破れる音と、“雪”の振りに合わせて弾き飛ばされる、谷口。
「人間に混じって、人間として暮らしてるヤツだって大勢いるんだ。 人間に混じる以上、そのルールを守るべきだろ」
 数メートルの間を置いて、何ともなしに着地する姿を睨み付ける。
「一族が1つにまとまって以来、定められた掟、お前はソレを破ってるんだよっ!! 2つもな!!」
 今度は、こちらから仕掛ける。言いながら地を蹴って、一直線に谷口へと向かう。
 現状でケリを付けないと、マズイ。
「はっ。それが甘いんだよ」
 嘲笑うかのような声を上げて飛び上がり、両手の爪で攻撃をしかけてくる。
「生き残るためには当然だろうっ!」
 “雪”で間合いを計るようになぎ払い、それでもなお突き刺してくる爪を交わして、蹴り上げる。……って、まぁ、 あっさり交わされるたが。
「一族内でバカみたいに同士討ちやってたから減ってんだよ。種類とか属性が違ったって、同じ一族には変わりねぇのに!」
「甘いな。やっぱガキだな、わかってねぇ」
「うっせぇ! ガキは余計…っぶねー」
「よく交わしたな。……踊ってみるか?」
 後方に大きく跳んで、距離を10メートル以上おく。
 薄い笑みを口元に浮かべ、両手を腰あたりで広げる。その周囲に、ねっとりとした嫌な空気が集まっていくのがわかった。 ……いや、まぁ、あくまでもオレにはそう感じられただけで、実際は、単に“力”を集約させてるだけなんだろうけど。
「“力”ある者が上に立つ、“力”のねぇ者は、何されても文句は言えねぇんだよ。それこそが、自然の掟ってヤツだ。 オレ達が最優先して守るべきは、そちらだと思うがねぇ?」
 ふわり、と谷口の周囲……両手を基点にして、か? 銀色の光る球体が現れる。
 1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ、7つ、8つ、ここの…………って、多いわっ!!
「お前と一緒にするな!」
 ぎりっと“雪”を握り締める。
 マズイ…。
 これを一度に放たれたら、避ける余裕がない。つーか避けきれる自信が全くない!
「否定するなら、止めてみろ」
 歪んだ口元でそう告げて、両手をオレに向けて振り上げる。
 全部かよっ!! 一気に銀色の球体がオレへ向かって来た。
「…っくしょー!!」
 袋の上から“雪”の柄を掴み布越しに“力”を通し、目前まで迫った球体へ向けて、右手の力を抜いて一気に振り抜く。 “雪”を預かってる以上、オレだって居合抜きくらい使えるんだよ。……へっぽこだけど!
 眼前まで迫った球体は、振り抜いた“雪”によって四散する。
「な、に…?」
 谷口の驚いた声も当然だ、きっとオレにそんな真似できるとは思ってなかったろうし。けど、全然喜べねぇ。 せっかくの隠し玉を披露しちまったんだからな。
 姿を隠していた“雪”は、その柄の部分と一部を残して布が消し飛んでいる。無理もないが。 だからと言って、刀身が見えているわけではない。そこに見えるのは、白い鞘。
 谷口の視線は、当然のようにオレ……じゃなくて、オレの手の内にあるモノに集中してるわけで。 やっちまいましたよコンチクショー。
「……お前、どこかで見た顔だと思ったが…、そういう事か。―――白い鞘は“雪”だったな。一族の宝刀 “雪月花”の一振り」
 やっぱりか、バレちまいましたよ……。
 この後の展開はもう予想が付いたし、当然のように谷口はそう行動するだろう。 内心絶望で一杯になりながら、“雪”を振って鞘を右手で握り直す。
「だから何だよ」
「追っ手の割に、本気で来ないから可笑しいと思ってはいたんだが…。無理もないな。 長の末子、“なりそこない”か」
「―――っ!」
 唇を噛み締める。“雪”を握る両手にも当然のように力が篭った。
 なりそこない―――幼い頃に影で散々言われてたのを知ってる。 今はもうオレの耳に入るようなところで口にするヤツはいないが、それでもそう言われ続けてるのは、わかっていた筈だった。
 なのに、あらためて面と向かって言われて、悔しさだけが込み上げる。
 誰も好きで、こう生まれてきたわけじゃないのに。
 ……母さんが悪いわけでもないのに。
「一族最強の、長の血。はははっ、あれは美味かった」
「…お前、何言って 「三知、だったか。“月”の持ち主は」………持ち主は親父だよ。オレ達は借りてるだけだ」
「…ああ、そうか。そうだったな」
 クスクスと愉しそうな笑い声を上げながら。
「去り際に一撃、ま、掠っただけだがなぁ……オレの爪に引っかかったヤツの血は美味かったぞ。その前に喰ったヤツなぞ、 足元にも及ばないくらいにな」
「―――っ、お前!!」
「まだガキで、なりそこないとは言え、お前もさぞかし美味いんだろうな。追っ手なんざ、殺すだけでいいと思っていたが、 気が変わった。お前は喰う事にしよう」
 そんな事を歪んだ口元で告げて、舌なめずりを1つ。
 ……悪寒が走った。
 ヤバイ、コイツ気持ち悪い。親父とは別の意味で、比べ物にならないくらいキモイ。
「その血肉、しっかりとオレの“力”にしてくれる。 なりそこないのお前には宝の持ち腐れだろうからな、オレが有効活用してやるよ。感謝しな」
「ふ、ふざけんなっ! 誰がてめぇなんかに喰われてやるか!!」
「お前を喰えば、三知にも勝てる“力”が手に入りそうだ。ははっ、三知は喰いがいがあるからな。 長の娘とは思えんくらい、見た目がいい」
 ………は?
 全身に走っていた悪寒が、一気に消えた。
 何つーか、アレだ。無理もない話だが、いや、気持ちは果てしなくわかるが……思わず笑いが漏れた。
「気が触れたか? まぁ、その方が喰い易いが」
 気付いてねぇ。コイツ、バカだ。キモイ上にバカだ。
「バカじゃねぇ?」
 それが、相手を挑発する科白以外何でもないとわかっていても、口にせずにはいられなかった。
 ひくりと谷口の笑みが凍る。
「お前、本物のバカだな。オレをどーのと言う前に、何だ、お前なんか、ウチの一族にいらないっつーか、その資格すらないね」
「血を撒き散らさないよう縊り殺そうかと思ったが、そんなに嬲り殺しにされたいのか?」
「何だよ、本当の事だろ。何を勘違いしてんのか知らねぇけどさ、いや、 ……気持ちはわからねぇでもないよ? けど、笑わずにいられねぇだろ」
「何が可笑しい!」
「あー所詮、三下ってヤツだな。可哀想に…。―――本条三知は、男だよ」
 オレの科白に、場が凍り付いた。
 あからさまに動揺っつーか困惑した顔になってる谷口。無理もない。
 心の底から同情する、この件に関してだけは。
 本条三知――三知にぃは、見た目はかなりの美人だった母さんに瓜二つな、オレの兄。 言葉遣いは丁寧で自分の事を私と言うし、ストレートの髪を腰まで伸ばしてる上に顔は文句なしの女顔だし、躰の線も細い。 身長は170超えてるけど、声が男にしては高いというか、ハスキーなせいか、長身のすらっとした綺麗な女性によく間違えられる。 街を歩けば知らない男にナンパされる。……ナンパ男は容赦なく殴り倒している事も付け加えておく。いらないけど。
 だがしかし、どこをどう見ても女だが、しっかりばっちり男なのだ。
「それから、長の子供は息子ばかりが10人ってバカみたいな話、一族内じゃ結構有名だと思ってたんだけどな。 それを知らないっつー時点で、終ってなくね?」
「……バカな、アレのどこが 「信じられなくても、事実だから。三知にぃは、男」
 2度繰り返したオレに、谷口が完全に固まった。
 漫画とかなら「ひゅるるるる〜」って風が吹きそうな雰囲気が漂う。
 緊張感がまるでなくなったこの情況に、オレは感謝しつつ“雪”を握りなおした。
 仕切り直しだ、ちょっと卑怯な気もするが、これを利用しない手はない。
 三知にぃ、さんきゅー!!
 谷口の硬直をよそに、オレは“雪”に“力”を込め始めた。
 間合いに入るまで、6歩……。
 一撃、それで決めなければならない。確実に当てるためには一気に間合いを詰め、 その際のインパクトを最大限にするための“力”が必要だ。
 それを成しえるために、この情況を利用しない手はない。
 チャンスは一度。これを逃せば、次はないだろう。
 谷口の様子を慎重に観察しながら、居合の構えを取り、ゆっくりと躰を鎮めて行った。



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