第6話  最高消費者

 谷口が躰の向きを返る。
 木陰の子供に動く気配はない、つーか動けるわけねぇよな…。普通に。
「お前っ! 逃げごふっ…」
 血ぃ出た。
 ぁー人生何度目かわからん吐血、お陰で科白が変に…―――て、違うだろ、オレ。
 口元を拭い、両腕に力を入れて立ち上がろうとして、顔面から倒れ込む。
 間抜けだ、この上ないくらい間抜けだ。
 だが、谷口は全く気に止めた様子もなく、顔だけ上げてみれば、心底嬉しそうに歪んだ笑みを浮かべてる。 一見するとただの嬉しそうな犬面なんだが。まぁ、狂犬病の犬がちょっと嬉しそうにしてるって感じだ。
 ……わかんねぇか。
「大人しく止血でもしておけ、せっかく美味いのに勿体無い」
 嬉しくもない科白でオレを横目で一瞥、完全に標的はあっちの子供に移ってる。
 つーか何で動いてねーんだよ! あの子供っ!! さっさと逃げろっての、マジでどっか行けっ…―――て、おい。
 微動だにしなかった小さな姿が、1歩、前へと踏み出す。
 何でこっち来んだよ!? 訳わかんねーよコンチクショー。
「そうだ、逃げ様なんて無駄な事はしなくていい。―――いや、逃げ回るのを追いかけるのも一興か」
 腐れ外道! この非人間がっ!! …て、谷口は人間じゃねーよ。
 そもそも同族喰いに人間喰ってるんだから、真っ当な訳ねーよね、ははは。
 …じゃなくて。
 笑ってる場合じゃないから、オレ。
 ここで余計な犠牲出そうもんなら、オレの夜になっても仕方ないよな決死の突撃がまるで無意味じゃねぇか!!
「谷口ぃ!!」
 叫びながら“雪”を振り上げるようにして左手を後方へと、それは所謂、槍投げのようなポーズで。
 もー自棄です、コンチクショー。
「無駄な事をして勝手に死なれるのは、困る」
「がはっ!」
 科白と共に、銀色の球体が飛んできて見事に顔面直撃。
 ………カッコ悪い。
「大人しくしてろ、そう時間はかからな…」
 軽い痙攣をするオレの耳に届いていた、完全に嘲笑う谷口の科白が途切れる。
 今度は何だと思いつつ顔を上げて見たのは、嬉しそうに舌なめずりをする谷口の姿。犬面だけど。
「喰いがいがあるな、ガキなのは残念だが」
 それを目にしての正直な感想が谷口の口から漏れて、思わずオレも視線を走らせる。
 木陰から進んで月光の元に姿を見せた子供は、一言で現すなら、綺麗だった。
 いや、子供だけど!
 肩口できちんと切り揃えられた髪は月光を受けて輝く漆黒。何の感情も表さない双眸はアーモンド型の大きな漆黒の瞳。 月の光のせいなのか青白く浮き出ているような肌は、太陽の下で目にしても色白なんだろうと思われる。 大人になったら男は振り返ずにはいられないような美人になる事間違いなしの、造形見事な美少女がそこにいた。
 だが、小さい姿そのままに、幼さを十分過ぎるほど残したその表情は、無表情だった。
 まるで能面のように。
 月明かりの下に佇む姿は、まるで日本人形のよう。儚さを感じさせながら、どこか影があるようにも見える。
「10年は経過した後が1番の喰い時か」
 下品な笑いをしながらそんな事を言い、谷口は子供へと向かい歩き始めた。
「谷口、止めろ!」
「餌は黙ってろ」
「誰が餌だっ!」
 “雪”を地面に突き刺して、それを支えに躰を起こそうと力を入れる。
「お前! とっとと逃げ…」
 睨むようにして子供へと視線を動かして、思わず言葉が途切れた。
 全身に悪寒が走る。
 嫌な予感がするという次元じゃない、本能が、それに恐怖した。
 無表情だったその顔が、目は笑ってないのに、口元だけを歪めるようにして、小さな笑みを浮かべている。
 それだけなのに。
 出合ってはいけない何かに遭遇してしまったような錯覚を覚える。
 例えるなら死神とばったり出くわしてしまいましたといったような感覚で。……わかんねーな。オレにもわかんねぇ。
 1人乾いた笑いを漏らしそうになったが、その少女の笑みを浮かべていた唇が何かを呟いた。
「―――は…?」
 意表を付いたそれに躰がバランスを崩して喰い付かれた右肩から地面に落ちる。その過程で視界の隅に谷口が動いたのが見えて、 落下のインパクト。声にならない叫びを上げてから、右腕を庇うように反転し、……正確にはごろごろと左右に転がりまくったが それは置いといて。左腕に重心を預けて匍匐全身スタイルになってから顔を上げる。
 いない。
 少女の姿はどこにもなく、オレはゆっくりと視線を右へとずらしていって、谷口を見つけた。
 若干前のめりになった変な体制で止まって、やはり少女の姿はなく。更に視線を右へとずらそうとしたところで、 ぐらり、と揺らいだかと思うと、どさりと音を立てて谷口が地に横倒しに臥した。
 その傍らに、小さな人影が1つ。
「何で…?」
 やっぱり無表情で、足元に倒れる谷口を何の感慨もない目で見下ろしているその姿。
 何がどうなったのかさっぱりわかんねーが、確かなのは、オレがあんだけ苦労した谷口を、無表情なその少女が 何らかの方法で一撃(?)でのしたって事。
 あえりえねー…。
「…ば、かな」
 谷口の声が弱々しく響いた。その科白に、オレは激しく谷口に同意したくなる。
「まだ話せるんだ」
 可愛らしいのに淡々とした声が続いた。
「おじさん人狼なんだよね? その割には全然たいした事ないね。三流のくせに私の獲物を横取りするなんて、馬鹿だね」
 年に似合わぬ嘲笑う科白が更に続き、谷口が震える。多分怒ってるんだろう。
 てか何なんだよ、あの子供…。オレは全然状況が飲み込めなくって、本気で茫然と、2人を見つめる。
「この、ガキ…」
 両手を地面に付いて、必死に立ち上がろうとする谷口。力が入らないのか、体を起こす事すら出来ないようで、 その瞳が怒りでギラついてるのがわかる。
「まだそんなに元気なんだ? でも無駄だよ」
 事も無げに告げて、少女が屈むようにして腰を降ろし、谷口の爪がそれを狙って走る。
「無駄って言ったよね?」
 かなりのスピードで振り払われた筈なのに、簡単にその手首を捕らえた。
「人間如きにっ!」
 弱っているのに、怒気だけを含んだ叫びを谷口が上げる。それを見下ろすようにして、少女の双眸が薄く細められた。
「誰でも、食べ物の恨みは深いよ。私の食事の邪魔をしたアナタが悪い。痕跡までしっかりと残してあったしね」
「―――がっ」
 びくん、と谷口の全身が一瞬震えて、止まる。
 どさりと先ほどよりも小さな音を立てて地に臥した。動く気配はない。
 つまらなさそうに谷口の腕を放すと、ゆっくりと立ち上がる。
「やっぱり三流か、人狼なのに。―――ピンキリって本当なんだ」
 そんな科白を吐き出してから、やっと視線をオレに合わせた。茫然としてたオレを品定めするように一瞥してから、 谷口を踏み越えるようにしてこちらへと歩み寄って来る。
「おにーさんも、人狼なんだよね?」
 谷口を瞬殺したとは思えないほど可愛い声が暢気に尋ねてくる。
「お前、一体…?」
 間抜けな事に、そんなお約束の科白が口を付いていた。
 それにピタリと足を止めると、軽く眉を顰めてみせる。いや、てーか、そうしたいのはオレの方なんだけど? 特に、その、物凄く うさんくさいモノでも見るかのような視線を真正面からどうどうを投げて来るそれに対して。
「おにーさんの方が上等そうな匂いなんだけどな」
 ぽつり、とそんな科白を口にした。
 匂い?
 鼻がいいと? いや、ていうか上等って、オレ、谷口相手にかなり苦戦してたし、さっき殺されかけてたんだけど?
「お前も、そうなのか?」
 訝しむように尋ねる、眉間に皺を寄せまくって。
「違うよ。でもやっぱり、おにーさんは、人狼なんだね」
 あっさりと否定し、再び歩き始める。
 意図が掴めず、眼前にまで歩み寄った姿を黙って見上げた。
「私が横槍入れたのは、問題になるよね。…でも、見過ごしたり、見逃すのは、無理だったんだよね。私も、命かかってるから」
 左手に力を入れて、屈むようにして足を折ると、腹筋に目一杯力を入れて、左腕で支えつつ上体を起こす。
「さっきの、見つけたってのは…」
 呟くオレに、無表情だった少女の口元が歪む。
「聞こえたの? 耳がいいね、おにーさん。結構遠くにいたし、小さい声だったのに」
「何で、谷口が? お前に、何かしたのか? いや、そもそもお前一体何? どこの…」
「わからない?」
 一気に零下まで下がったような声音に、反射的に半身引いて膝立ちになると“雪”を構える。
「直接それを相手にするのはまだ無理かな。―――長の血族、その血肉を喰らいて“力”を揮う、一族の宝刀“雪月花”。 時に持ち主の命すら奪うモノ。魔刀と呼ばれる所以もよくわかるね」
「お前、何でそんな事知って…」
「おにーさん、それを預かってるからって、本気にならないで殺されかかってたね」
 っ!?
 ちょっと待て、その科白は可笑しい。
 気付かなかった。全く。見られてる感覚もなかったし、いや、それどころじゃなかったってのもあるけど。 こういう状況で、他に誰かいたらそれを感じない訳がない。オレも、谷口も。
 それなのにずっと見ていたかのような口ぶりだ。
「お前、いつから…?」
「少し前から。おにーさんが、がぶっとやられた辺りかな。気付かなかった?」
 至極あっさりとした答えが返った。
 思わずごくりと生唾を飲み込んで、目の前の少女を凝視する。暢気な科白だが、口調は変わらず単調のまま、顔は無表情で。
「さっきのおじさんはともかく、そっか…。ま、それはおにーさんが未熟者だからってだけの話だよ」
「って、何あっさりとヒト馬鹿にしてんだ!!」
「事実だよ。そもそも、本気にならないで殺され様としてる時点で、馬鹿だと思われてもしょうがないよ」
 ぐっ…。
 何なんですか、この子供っつーかガキは!? 見た目がいいと性格悪いってのの典型か、こんちくしょー。
「一応、かなり本気で、めちゃくちゃマジだったんだけどな?」
「あ、そう」
 流した!?
 本気でスルーするつもりなのか、顔をオレから逸らして北の空を眺める。
「お前……どんだけ 「ね、おにーさん」
 文句を言おうとしたオレの科白を遮ったのは少しだけ愉しそうな響きが交じた声。
「何だよ」
「さっきのおじさんだけど」
「谷口はまだ29才」
 思わずどうでもいい突っ込みをしてしまった。
「私から見れば十分おじさんだよ。それで、1つ確認したいんだけど。あのおじさん、仲間とかいたの?」
 オレの事は半ば放置気味に科白を続け、最後の問いに思わず硬直する。
「その反応だと、いるんだ」
「…それがどうかしたのか?」
「別に」
 北の空を無表情な顔で、何の感情も篭ってない漆黒の双眸が見つめる。
 黙りこんで空を眺める姿を、オレも黙り込んで眺めてしまったり。
 将来有望なのは容姿だけで中身は極悪とか、このお子様でアレだと、成長したらどんなになるんだっつーの。 親泣くなー……いや、親の前ではいいコなのかもしれないな。結構猫を被ったりしてな、馬鹿な男は騙されるんだな、それで。
 悪女か……。
 何故か、身震いがした。
「―――3人か」
 ぽつり、と声が漏れる。
「何が?」
 思わず聞いてみる。
「血の匂いが、3つ。こっちに来るよ。」
「は…?」
「覚えがないから、さっきのおじさんの仲間だと思うな」
「いや、覚えって? 何で追手かどうかなんてのがわかるん…―――何だ?」
「おにーさん、テリトリーが狭いね」
 何だよ、このガキはぁあ!!
 余計なお世話だよ、どうせ鈍いよ、悪かったな。こんちくしょー。
「てか、この感じは…」
「来るよ」
 その声とオレが“雪”を構えて立ち上がるのとは、ほとんど同時だった。
 後に続くようにして、3つ、影が降り立つ。
 長髪のインテリそうなキツネ目男を中央にして、両脇にはガタイのいい筋肉質な大男が2人。つーか、お前等、 キャラも見た目もかぶってんぞ。ま、双子だし、しょーがねーか。
「くそっ」
 顔を確認して、悪態を付く。
「知ってる人?」
 エライ暢気なことを聞いてきた。んな訳ねー。
「こっちが一方的にな」
「―――“雪月花”か」
 長髪キツネ目が品定めするように視線を投げて、
「慧斗は、ガキと侮ってやられたか」 
 動かなくなった谷口に横目で一瞥するようにして続けた。
「向こうも知ってるみたいだよ」
 左隣から淡々とした声が返る。
 いや、てかさ、そこでそういう判断はしないだろ、普通!?
「ガキ2人が追手か。ナメてんのか?」
「美味そうだからアリだろ」
 肩を竦める大男2人。いや、お前等脳みそも筋肉?
「慧斗との戦闘で負傷しているな」
 1人冷静にキツネ目男。
「だが。“雪月花”を手にしている以上、全力で潰した方が得策だな。アレは暴走する事もありうる、持ち主に扱いきれず、または、 持ち主が意図的に」
「詳しーじゃねーか、錐崎竜道きりさき りゅうどう。 腐っても、分家補佐役ってか?」
 キツネ目、もとい、錐崎は小さく肩を竦めた。
「次期長と仕事をする機会があったものでね。それに興味は尽きない、その特性にも」
「あっそう」
「錐先、オレはあっちのガキの方が。長の息子とかいらねぇよ?」
「ロリコン」
「わかってねーな、佳夾かきょう。ガキの方が美味いんだよ。 そこに性別は関係ねぇ。7、8歳くらいが1番の喰い時なんだよ」
「ロリショタか、夾佳きょうか。 我が兄ながら、そこは一生理解出来そうにないな。それにオレは20代の方が喰い時だと思うがねぇ?」
 うんうんとうなりながら、筋肉だるまは変態筋肉だるまっぷりを発揮している。
 兄は山井夾佳、弟は山井佳夾。
 一卵性双生児の双子だが、メモにあった注意事項の変質者ってそういう意味だったのか……今更納得だ。ついでに、 オレはどっちからも外れていて、一安心。
 ―――じゃ、ねぇ!?
 思わず視線を左下へと移してみると、無表情だったその顔が、あからさまに不満げな色を浮かべている。つーか目ぇ細め過ぎ。
「2対3か、子供相手に少々大人気ないかな」
「錐崎、でもアイツラ、谷口に2人がかりなんだからアリだろ?」
「子供だからね、彼等」
「それでやられてんだけど、谷口は?」
「慧斗は相手を見た目で判断して、中途半端に手を抜く悪い癖があったからね。油断大敵という言葉は、まさに彼のための言葉だ。 補足するなら、後悔先に立たずでもいいね」
 緊張感ゼロだなー…。
 こっちのガキは、本気でご機嫌斜めですよって顔してるし。
 何だろう、これ。この状況ってか、この空気。そういう状況じゃないよーな気がするのはオレだけか? まぁ、お陰で、 いい感じに回復出来てるけどさ。もちっとこのだらっとした時間があれば、肩の傷は塞がるしなぁ。
「あー、んじゃ、アレだ。タイマンならおっけー?」
「“雪月花”って話にしか聞いた事ねーけど、きれーだなぁ」
「佳夾、駄目だ。それと、夾佳、あれは、長の血族にしか使えない」
「「えー」」
 ……えーって。もうおっさんなのに、「えー」はないだろ、「えー」は。確かオレの記憶が正しかったら、 こいつらもう40歳とかだった気がするんだが……。ああ、まぁ、31歳の錐崎に使われてる時点で、お察し下さいか。
 小さく深呼吸をして、すり足で半歩全身。
「十郎太君」
 えらい人が良さそうに、優しげな笑みを浮かべる錐崎。
 オレの本能が察した。こいつ、絶対、性格悪い。
「……何だよ?」
「君が協力してくれるみたいだから、色々と助かるよ。“雪月花”の事も含めて」
 にこやかに告げられた、それ。
「逃げろっ!」
 “雪”を右に構えて、地を蹴る。
「察しがいいね。流石は戦闘に長けた、長の血族といった所かな?」
 右から横槍を入れた佳夾の爪を避けて左腕を掴んで捻って押し下げ、変な音がしたが序に踏みつけて跳躍、 振り抜いた“雪”を錐先は変化した爪で受け止める。
「狙いはいいね」
「お前が1番強いからな」
「有り難う。でも、1つ忘れてるよ?」
「何を… 「1人で、僕達3人の相手は、流石に欲張り過ぎだと思よ? それに、我々は喰らう者。ゆえに、追われている」
 言われて、ハタと気付く。佳夾は避けて踏みつけた、でも、夾佳は対峙すらしてない。
「いただきまーす」
 お行儀いいと褒めるべきなのか微妙な科白が聞こえ、肩越しに振り返ろうとして、
「余所見する余裕はないと思うよ」
 何ら様子の変わらない錐崎の声と、“雪”を握ってる左手側から佳夾が右手を振り上げる。
「くそっ」
 せっかく直った右腕が少しばかり抉られるが、その手首を握って直撃はしのぐ。……つーか、腕が交差してるし、 力入れにくいし、動いたらやられるだろうからヘタに動けない。
「喰いがいねーなぁ。余り美味くなさそーだよ、錐崎ぃ」
「長の息子だから、美味しいと思うけどね」
「そっかぁ…?」
 何でこの状況でこいつら、どんだけ暢気に会話しやがるんだよ!
 佳夾の左腕は暫く使い物にはならないだろうから、その間に何とかしないと。いや、もう終ってる感があるっちゃあるんだが。
 あーもう! だから逃げろって言ったのに!!
「中学生なのに、恐るべきだね。流石は長の息子と言うべきなのかな?」
「それはどーも」
「十郎太君、君は、本気になったら、どれくらいなのかな?」
 言いながら、錐崎の輪郭がぼやける。
「こんな事しながら変化出来るなんて、流石は分家補佐役殿だな」
「そーだよ、錐崎はすげぇんだよ」
 何でかオレの科白に、佳夾が同意して。んなもん、いらねーっつの!
 で、当の本人は皮肉を込めたオレに相変わらずの笑みを浮かべたままだが、“雪”を伝わる圧力が強まる。
 終ったなぁ、とか。今日何度目かの悟りを開く。
 どさっと背後でした小さな音が耳に届いた。ああ、やっちまったよー。オレの決死の特攻も無駄に終りましたってか。 ちくしょー。
 でも、だ。
 巻き添え食ったのは悪いと思うが、自分から首突っ込んだんだし、自業自得って…―――本当、悪い。 んでも、すぐにオレも行くし、幾らでも苦情は受け付ける。変わりに、コイツラはしっかりと仕留めてくから。
 オレの全部を“雪”に食わせる。
 さっき谷口にやろうとした自爆技。やらねぇで済んだと思ったけど…、はは、やっぱ、甘いんだな、オレ。
 この近距離なら、逃げる間すらない筈だ。
「でもさ、錐崎竜道」
 全身が銀色の体毛に覆われた、赤い瞳を見つめる。
「全部終るまで、わかんねーよ? 勝負ってのは」
「君にその覚悟があるとは思えないけどね」
「ま、全然ねーけど。一応、オレも 「さっきの科白、あなたに返すね」
 はぃっ!?!?
 科白を遮って、冷淡に、けれど、どこか愉しげな声が響いた。
「油断大敵」
 可憐なその声は、すぐ傍でした。
「なっ…」
 錐崎の顔が驚きに変わり、オレの視界から消える。“雪”が持って行かれそうになるが佳夾を掴んでたから何とか持ち応え、 ―――たのも束の間、掴んでいた右手首に一気に体重がかかった。思わず放して半歩下がったオレの目の前を、膝から崩れ落ちていく。
「何で…?」
 目を瞬いて、佳夾を見つめる。ぴくりとも動く気配がない。
「相手を見た目で判断しないってのはいい事だけど、相手が何なのかもきちんと見て判断出来ないんじゃ、三流だね」
 淡々としたその声。すぐ傍で聞こえる。幻聴じゃないよな、そんなわけないよな。この上から目線の科白。 こくりと生唾を飲み込んでゆっくりと視線を左へと。少し上げるようにしながら。
 悪魔が悠然と笑みを浮かべていた。
 …じゃねぇ、違うだろ、オレ。落ち着け。
「お前…」
「おにーさん、私に助けられるの2度目。カッコ悪いね、私より年上なのに」
 可愛く微笑んで告げられた科白に、思わず殴りたくなった。
「さて、蹴り飛ばしたおじさんは、このおじさん達よりマシなのかな〜?」
「蹴ったのか…。視界から一瞬で消えたぞ」
「助走付けてあったし」
「いや、そういう問題じゃ 「ガキが!!」
 怒号が轟いた。
 フェミニストっていう文字はどっか行ってんな……無理もないか。
 思わず溜息を付いた後で、弾かれたように視線を走らせる。 銀色の球体が数個、木を背にして立ち上がろうとする錐崎の周囲に漂っていた。徐々に増やしていく数。
「……谷口より多いな」
 そう口にしてから、笹の葉のような形状の銀色の刃が混じっているのに気付く。
「同時に使えんのかよ、流石、分家補佐役」
「それってエライ人?」
 どうでもいい事を尋ねて来る。
「一応は。人狼の中では結構上」
「あの人強いの?」
「協会はBランク認定してる。つーか谷口とかあの筋肉だるまツインズよりは全然強い」
「ふぅん」
 “雪”を構える。ちったぁ回復してるから、“雪”を使えば相殺出来る筈。何たって、今回の開封は、命かけてんだし。
「餌は黙って喰われてろ!!」
 吠えた。
「三流に命令される謂れはないよ」
 こっちは毒を吐いた。
 平然とした顔でそんな事を口にした姿を一瞥してから、ハタとする。余所見してる場合じゃねー!?
 慌てて視線を錐崎に戻すのと、銀の光が飛んで来るのと、同時で。
「邪魔だよ」
 本気でそう思ってるとしか思えない声で、オレに一瞥くれてから、前に出る。
 邪魔って何だよ! ってか、危ねーだ…ろ……―――はい?
 錐崎の狙いはいつの間にか摩り替わっていたのか、光は完全にその少女の方へ向かっていて。 いやまぁ、気持ちはわからないでもねーけど。
 でも。
 直撃した筈のそれは、全て、綺麗さっぱり消えていた。
 当たると思われたその刹那に、むしろ、当たった後で?
「やっぱり、三流」
 短いコメントを残して、うんざりしたように肩で息を付く。
「本当ならアレでよかったのに、余計な事するから後追ってきて、無駄な体力使ってるし。今もそうだし。それなのに、この程度か。 どう考えても採算合わない。偉そうな事言っておいて、全然たいしたことないよ、おじさん」
 何事もなかったかのように、毒を吐き続ける。
 いや、何ていうか、目の前で起きた事にもびっくりだけど、その激しく上から目線とか、 偉そうな事ってお前が1番偉そうなんだけど?
 で。少女の向こうで錐崎は赤い眼を限界ギリギリまででっかくしちゃってたりして。無理もない。気持ちはわかる。
 しかし、どーいうからくりなんだ? 防いだでもなく、弾いたでもなく、消えたって言葉しか合わない。
「面倒だから、さっさと終わりにしようか。門限過ぎてるから、早く帰らないといけないし」
 すたすたと、普通に歩って錐崎へと近付いていく。
 すげー我儘だな……。
 その背中を眺めて、内心呟いた。
「―――お前、まさか…。何でこんな所に…?」
 驚きだけだった錐崎の目に、声音に、怯えが交じる。
「おじさん、それ、本気で言ってるの? ここが何処だか知らない筈ないでしょ?」
「馬鹿な、手出しは 「私、関係者じゃないよ。15才未満の子供なのは、見てわかるよね?  それに、喧嘩を売ったのはおじさん達で、私はただの正当防衛だよ」
 怯えきって後ずさる錐崎の姿に、オレは本気で疑問符が浮かんだ。
 錐崎竜道は、退魔師協会でBランクに認定されていて、分家の家長の補佐役を務めてた経験があって、 兄貴達と一緒に仕事をした事もあって、何より、里を出る時に、谷口と2人がかりだったとはいえ、三知にぃを交わして逃げたヤツだ。
 そいつが、怯えてる。
「冗談じゃないっ…」
 錐崎が、叫びながら反転した。回れ右。……いや、敵に背中を向けちゃ駄目なんじゃないか? 普通。それもわからないくらい、 気が動転してるって事か? 走り出そうとして軽くコケる辺りはお約束…じゃなくて、追いかけないと!
「逃がさないよ」
 酷く凍り付いた声だった。
 後を追おうと地を蹴ったオレの耳に飛び込んで来た声、それに視線を走らせるが、―――いない?
 3歩で足を止め、周囲を見回す。
「がっ!」
 呻き声がして、そこを見ると………錐崎が首根っこつかまれて地に突っ伏していた。
 掴んでいるのは、能面みたいに無表情になった顔の少女。
「逃がさないって言ったよね」
 錐崎は必死にもがいているように見えた。それでも、少女の手が放れる様子がなければ、必死に抑えているという風でもない。 だって、片手だ……。
「馬鹿な、馬鹿な! こん、な…と、ころ、で……。霊ぐ…」
 抵抗が弱まるのと、声が小さくなるのとは同時進行で、それっきり錐崎は動かなくなった。 首をねじ切ったとか、締めたわけじゃない。
 ただ、抑えてた、それだけで。
「やっぱり、三流」
 事も無げな評価だった。
 立ち上がり、不服そうに顔を顰めて、オレに向かって歩いて来る。
「―――お前、いったい…?」
 いつかの科白をもう一度繰り返したオレに、顔を顰めたまま視線を向けて。
「最高消費者」
 短く、そんな科白が返った。



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