じっと睨み合うようにして膠着状態で数分が経過した。
やがて口を開いたのは、2人の内、長身痩躯の男。
「お前は逃げなかったのか」
小さな溜息とともに漏らされたその声は、この世界を、人を滅ぼそうとしている者とは思えないほどに澄んだ、
よく通る綺麗なものだった。
「………尤も、逃げた所で結果は何も変わらないが」
軽い嘲笑を込めた一言に、七美は唇を噛む。
「そんなの……わからないでしょう」
かすかに震えていたかもしれない声音で呟く。
「いーや」
男とも女とも区別の付かない甲高い声が七美の科白を即座に否定した。長身の男に比べるとかなり背が低く感じる、
おそらく七美と同じくらいの高さのもう1人は、着ているパーカーに付いているフードを目深く被っているためはっきりと
その表情は見えない。
「わかるよ。悪いけど、みんな死ぬんだ」
弾んだ声で付け加える。
「ツキヤ、おしゃべりは控えなさい」
長身の男が軽く眉を顰めた目で見下ろして小柄な者――ツキヤに注意を促す。
「はぁい」
躰を半回転して、七美に背を向けてから気だるそうに欠伸を1つ。
「さて…。アナタはどうして逃げなかったのか、理由をお聞きしましょうか」
穏やかとしか表現できない笑みを浮かべる男。
「あっ、何だよそれー! オレに文句言っといて、自分は話すって? ずりー。いっつもそーだもんなぁ、ヨウは」
舌を出してあっかんべーをして見せた。
それに長身の男――ヨウは苦笑いを返すと、こほん、と咳払いを1つした。
「ツキヤ。女の子が、そんな言葉遣いはいけないといつも… 「いーだろっ、別に! オレがいいって言ってんだから!!」
科白を遮って叫ぶ。
随分と人間味溢れた2人のやり取りを、七美は半ばあっけに取られて眺めていた。
「とにかく、後できちんと話をさせてあげますから」
「ヨウは嘘吐きだからな。信用出来ない」
ぷいっと顔を逸らすその姿は、まるで駄々をこねる人間の子供のそれだ。
「………オレの後で」
「嫌。ヨウは自分のが終わったらすぐに、つまらない、とか、くだらない、とか。そんなんで消しちゃうじゃんか、いっつも!」
「それは、いつもそういった答えしか…」
「とにかく、嫌だって言ったら、絶対に嫌だね」
てこでも動かないぞというようにフードの下からギンギンに睨みつけているのだろう、ヨウが小さく息を吐き出した。
「わかりました。どうぞ、好きなように」
げんなりと呟いてからヨウは半歩後退するようにして、ツキヤの背後へと回り込んだ。
「んじゃ、遠慮なくっ!」
意気揚々と頷いて前に出ると七美と顔を合わせて、それから何かに気付いたかのように、食い入るようにその顔を眺める。
それに何か得体の知れないものを感じて、七美の背を悪寒が走りぬけた。
「ん〜? ………人間、じゃ、ないね。何か混じってる」
どこか愉しそうに呟くとフードを上げ、そこに現れた顔に七美が言葉を失った。
「何だか、それ、出てきてもらうよ」
口の端を上げて笑うと、極々自然な動作で振り上げた掌から光が放たれる。
「紫の、瞳と…」
驚いて自然と後退する躰に逆らうようにして呟いた七美だったが、それを最後まで続ける事は出来なかった。
光の直撃をまともに受ける、強い力を秘めた紫の光。
「ツキヤ?」
その突然の行動に、半ば苦笑したように名を呼んだ。
光は七美を飲み込んで消失し、その後には地面にうつ伏せになってぐったりと横たわる姿が残る。ぴくりとも動く様子はない。
「………あれ?」
小首を傾げて呟くと、くるっと視線を背後へと送った。
「動かないね、ヨウ?」
「話すと言いつつ、突然何をしてるんですか、アナタは。第一、何の防御もしないであんな精神波の直撃を受けて動いたら、
化け物じゃないですか」
溜息を吐き出してから、あきれ返ったような声を上げる。
「そうかな〜? だって、さっき……確かに、違う気配してたんだけど」
不服そうに呟いてから30センチほどの高さを浮遊するようにして移動し、七美へと近付く。
そのすぐ傍で浮いたまま、様子を伺うようにしてしゃがみ込む。
「おーい。これで終わりな訳な………っ!」
弾かれたように紫の瞳を大きく見開かれる。
目の前の全く動かない七美を取り巻く空気が微妙に変化している事に気付いたからだ。先ほど、俄かに感知できた隠れた気配が、
表に現れようとしているのがわかる。
今はそれをはっきりと感じる事が出来る。
「ヨウっ!」
その代わりように奇妙な不安を覚えてツキヤが叫ぶ。その声音の異常さに、ヨウは眉を顰めた。
「………自分でそうしたんだろう?」
淡々と返った科白にぐっと言葉を飲み込んで、飛ぶように七美の傍からヨウの元へと戻ると、頬を膨らませる。
「そう、だけど。何か可笑しいよ」
奇妙な不安、それと同時に何か訴えるようなものがある。
躰のどこかで、それを知っているような気さえする。
「確かに、ただの人ではないようですね。ごらんなさい、ツキヤ。彼女は立ち上がっていますよ」
その科白にゆっくりと七美を肩越しに振り返ったツキヤは、俯き加減ながらも確かに自分の足で立っている姿を目にする。
「………化け物って事?」
「何にせよ、邪魔者である事には変わりありませ 「七美に、傷を、付けたわね。傷付いているのに、その心を……更に」
ヨウの科白を遮って七美が口を開く。その声音には威圧感を備えて。
「それが何か? たかが人の心など、あの方の心の痛み、哀しみに比べたら、そんなもの」
「あたしには関係ない。重要なのは、アナタ達が、七美に危害を加えた、ただそれだけ」
小さく呟いて顔を上げる姿に変化はない。さきほど対峙していた者と全く違う気配、
雰囲気を考えれば奇妙な事だとヨウが訝しむような眼差しを向けた。
「赦さない……。例え、アナタ達が誰であろうと」
唇を噛み締める。
七美が目にしたように、ツキヤの瞳の色は紫色をしている、ナナミと同じように。そして同質の“力”。
気配だけで言うなら、目の前の2人、ツキヤとヨウは全く同じモノだ。
それならばヨウも同じように紫に変化するのは必至。
つまり、今、ナナミの目の前にいる2人組は、間違いなく種を等しくする者、すでに滅んでいる筈の一族。
“陰族”。
けれども、そんな事はナナミには関係ない。今の彼女にとって大切なのは、尤も重要なのは、同じ種族でもなければ、
人間でもない。
ただ1人、七美だけ。
他の誰でもない。
「………ヨウ、どうやら中にいた方みたいだよ。どうする?」
「そのようですね。“コ族”ではないようですね、“彼女”。と、言いますか、ツキヤ。
どこかで会っていませんか? あの気配に覚えがあるのですが」
「………まぁ言われてみればそんな気もするけどさ。でもあんなに弱い奴いなかった筈だよ」
「確かに、そうですが…」
何かがヨウの思考に引っかかる。理性ではなく、本能が感じていた、奇妙な親近感。
「それで、どーすんの?」
「ツキヤのお好きにどうぞ」
肩を竦めて答える。
「え、ほんと?」
「先ほど約束してしまいましたからね。今の相手、愉しそうで譲るのは些か不満ですが、仕方ない」
「そ、そうだよな。だって、オレだもんね、アイツ出したの。………ほんとにいいの?」
「しつこいですね」
「いや、だってさ」
「構いません。ただ、油断だけはしないように」
正体不明の上に、この、ひしひしと肌で感じられる、隠そうともしない殺気。
「わかってるよ、そんくらい。こんなトコで死ねないからね、また、会うまでは」
「それならいいです」
笑顔で頷く姿をちらりと見やってから、視線を戻した。さきほどと全く同じ姿で、気配の違う人間。
ただの人間ではないし、“コ族”とも違う気配を漂わせる姿に、ツキヤは目を細めた。
「じゃ、行くよ」
「…赦さない」
舌を出して笑ったツキヤに、ぎりりと唇を噛んでいたナナミは明確な殺意を持って、両手を結んだ。
永久に続くその楽園は、彼の人とともに生まれ、ともに消えた。
変わる事なく繰り返される永久運動。
穏やかに流れる時の中で、ある言葉を聞いた。今にして思えばそれが永遠との別れ、時が動き出した全ての始まり。
“今”に繋げるため、“未来”に繋がるため、全てを在るべき姿へと戻すために。
「私、好きな人がいるの…」
その成長を見守っていた自分への、彼女の言葉は予想されたものだった。今までの者と同じように。
ただ、彼女だけが違っていた。彼女だけが、その後に言葉を続けた。
「一族じゃないヒトだけど………、怒る?」
俄かに信じ難い言葉。
この地上より生まれ出でし者として最高の地位に在る一族、その1人である彼女が。
「ねぇ、それってダメなのかな? 一族の長としてダメだって事はわかってる。
………でもね、私だけを考えて言って欲しいの。私が、個人的に、誰かを好きになるのって、いけない事なのかな…?」
哀しそうな眼差しで告げられたそれに、私は何も言えなかった。
前例はなく、自身では決して味わう事の出来ない思い。だから、どうしていいのかわからなかった。
それでも。
ただ1つだけ、彼女への言葉。他には何も思い浮かばなかったから。
「自分の信じる道を」
そうして、彼女は長の地位を捨て、ただの個人としてその姿を消した。その後の行方はようとして知れない。
「有り難う。………ごめんなさい」
それが彼女の最後の言葉。
そして今、私のそばには彼女が残していった1つの宝がある。これからの、この星の未来を予感させるような、新しい存在。
それがいい事なのか悪い事なのかは、今はまだわからないけれど。
「―――ライ、そろそろ戻りなさい。刻が変わるから」
腰まで伸びる叢の中から、返事が返った。
一族を捨てた長が、一族に残したモノはその血統だが、その身に流れる血脈の半分は一族と違えるもの。
余りにも強大な“力”を秘めていたがために畏怖され、ここへと連れて来られた、何よりも慈しむべき存在。
「わかった、アーク! すぐ、戻るよ!!」
幼く明るい声が元気に答えた。
同じ時の繰り返しが当たり前になっていた過去の日々。ただの管理者に過ぎない自分には、新しい命を創る事は出来ても、
自身の血は残せない。それは管理者として当然の事。全ての生きとし生ける者を平等に愛さなければ、見守らなければならなかったから。
そうした立場にいる身で、子供を育てるようになるとは想像すらしなかった。
時が巡るとともに、変わりゆく思い。
―――――そうして、私は決断した。
「アーク!!」
もう、私の事を呼んではくれないだろう。
自分勝手に全てを決めて、終わらせてしまったのだから。
ただ、守りたいと思っただけなのだ。
全てを、そして、大切な………。
泣いていたその顔だけが、今も脳裏に焼き付いている。この瞼の裏に、永遠に、消える事のない後悔とともに―――――。
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