押し黙るように暫く沈黙してから、哮之は気を取り直すように苦笑した。
「そうは言っても、それから指して時を待たずに全ての………いや、今、“旧族”と呼ばれる者達は滅んだ。 “親族”……人間によってな」
「なるほど、それでか」
 それが先の一件の、事の発端なのだろうと納得した声だ。
「復讐か」
「そうだな」
「下らない」
 あっさりと斬り捨てたナナミに、肩を竦めて返す。
「オレ達も、そう思ってたよ。今更復讐なんて、意味がない。それでも気が済まない、復讐に捕り憑かれた“コ族”の仕業だと。 ………だが実際は違っていて、事態はもっと複雑だったらしい」
「…何?」
 訝しげに眉を顰めたナナミが呟く。
「誰かのため、らしい。“風族”が、あのお方と呼ぶような、誰か。 ……恐らく、かなりの“力”を持つ“旧族”だろうが」
「わからないのか?」
「オレにはな。だが、兄一郎なら……、あるいは、気付いているかもしれない」
「へぇ、そう。アイツが…」
 両目を細めながらナナミが妖艶な笑みを浮かべて、楽しそうに笑う。
「それなら、本人に聞くしかないな。あたしは興味ないけど、七美……も、どうだか怪しいが、ま、六は興味を持つかもしれないな。 七美に降りかかる火の粉は、降りかかってなくてもその恐れがあるだけで排除しようとするから」
 不吉な上に危険極まりない発言をあっさりと口にした。
「その後のコトは、その後で議論でもして結論出せばいいとして。………あたしからも質問。あんたは、敵? それとも、味方?」
 じっと哮之を食い入るように見つめる。
 至極真剣な瞳。ナナミにとっては、そこが、それこそが重要なんだろう。もしも敵だと答えるならば、 すぐさま殺されると予感させる眼差しだ。
「わからない」
 それでも、頭を振って、哮之は馬鹿正直に答えた。
「“陰族”である君が、どうして七美を守るのか。七美は、人間だろう? そりゃ確かに、ちょっと違うかもしれないが、 人間の筈だ。それなのに何故、“神族”以外を君が守ろうとするのか、そう思ったのか、思わなければならなかったのか。謎だ。 ………そうすると、七美は何者なのか、という当然の疑問が湧くだろう。オレ達の敵じゃないと、“新族”の敵じゃないと、 言い切れるのか…お前は?」
 哮之は戸惑いの表情で質問を質問で返しておいて、ナナミの答えを待った。
「面白いね、あんた」
 くすり、とナナミが笑う。
 そうしてから、相手を見下したような、そんな笑みを浮かべて哮之を見据えると、
「どうかなぁ? 人間ってよく他人を裏切るからね。………七美はさ、そんな人間が嫌いだったりする。でもね、 この地球ほしを愛してる。 それは時に、自分の命すら投げ出すほどに」
 言いながら、すっ、と哮之から離れるようにして数歩後退すると、くるりと背を向けた。 七美の長く伸ばされた美しい漆黒の髪を靡かせて。
 半回転した動作で揺れていた髪が動きを止めるまで、背を向けたままでたっぷり沈黙した。
 それから、両手を天へ翳す。
「だからって言うのもヘンな言い方だけど。この地球のためなら、今のあんた達にとってはさ…」
 天を仰ぐように伸ばされた両手に、紫の“力”が宿る。
「多分」
 両手に、2つ、直径20センチほどの光の球を浮かび上がらせて、
「………味方、だと思っていい」
 告げた後で光がその手を離れて、ふよふよと天へと向かい昇って行った。
 何処まで行ったのか。
 ふいに、天を裂くように、紫の光があたりに広がる。
「ああ、それと。七美を泣かせたら、ただじゃおかないから」
 肩越しに振り返ったナナミが思い出したかのように口にした。
「忠告、か?」
 苦笑いを浮かべる哮之がそう返して、ナナミは七美のように優しく微笑む。
「いいえ。―――警告」
 光に飲まれるようにその姿を微かにさせながら、毅然とした声で断言した。
「2度目は、ない」
 どこからかナナミの声が響いた。明確な殺意に満ちた、そんな声音で。
「――――――」
 哮之の、ナナミへの答えは誰の耳にも届かなかった。それはナナミへというよりは自身へ向けてのものだったのだが、 それでも、声に出して肯定した。
 確かに、真実。
 そして、逃れられない事実でもある。
 その覚悟を、ナナミの一言で決めた。
 あたりが目を覆うほどの光で溢れて、蚕拿老によって造られていた“幻術”が姿を消し、暗闇に覆われた。
 そういえば夜だったなと、哮之は苦笑する。
 そこは、いつもの閭伍杜寺。
 何も変わらない、いつもと同じ風景。
 それでも、今までとは違うと感じた。
 何かが変わったのだ、そう感じさせる空気がそこには存在していた。それは誰のせいでもなく、 覚悟を1つ決めた事で哮之自身が変わったからだ。
 新たなる、“閭族”としての目覚め。
 そう自覚してから哮之は驚いた。
 先代達とは異なる“力”。しかし違和感は覚えず、むしろ、懐かしさを感じた事に、 信じられない思いで己が両手をしげしげと眺める。
 いったい何のために? 何故、今更? そしてそれが何を意味しているのか。
「………何だって言うんだ? 今更、何の役に立つ? こんなものが」
 そう自覚ないままに呟いた声には恐ろしいほどの怒気と嫌悪感しかなく、哮之自身その声音に驚かされた。 それでも奇妙なほど納得出来てしまったのは、全身を覆う不確かな怒りのせいだろう。
 そう、我を忘れさせるほどの―――――。
「九里さん………大丈夫ですか?」
 思考を切断したのは、躊躇いがちに哮之を呼ぶ、声。
(…まさか)
 慌てて顔を上げた哮之が見たのは、走りよる姿。
「七美?」
「はい?」
 唖然として呟いた名前に、いつもの笑顔で、確かに目の前で微笑んでいる。
 その光景に、哮之は無性に可笑しくなった。わけもわからずに笑いたくなる。
 いきなり声を上げて大声で笑い出した哮之をきょとんとした顔で眺めてから、弾かれたように七美がたじろぐ。 急に笑い出したその姿は、気が触れたかのようにも見えたからだ。
「く、九里さん? 本当に、大丈夫ですか?」
 恐る恐る手を伸ばした七美に、
「七美! ソイツに近寄るなっ!!」
 六の制止の怒号がかけられた。それにむっとしたような顔で肩越しに振り返る七美。
「どうして?」
「もう忘れたのか! ソイツは 「忘れた!」
 ツカツカと歩み寄りながらの科白を遮ってそっぽを向いて断言した七美は子供っぽさ全開で、六はぐっと言葉を詰まらせた。
 それから、完全に向き直った七美が細い目で六を見やる。
「大体手当てを受けてて、そういう事言う?」
「言う、オレは」
 きっぱりと断言した。
「そう。………でも、大丈夫だよ。さっきナナミと約束したから」
 怒髪天な六に肩を竦め返して、七美は哮之を振り返る。すでに笑うのをやめて、真剣な眼差しで2人を眺めていた。
「そうですよね、九里さん?」
「ああ。まだ…―――――死ねないからな」
 何と言おうか思案した後で、続けた“死ねない”には色々な意味合いを含んでいる。
 それから何気なく右手を七美の頭へとぽんっと乗せて、小さく笑うと、ぐわしゃぐわしゃとその頭を撫でた。 撫でる、などという可愛い表現は適切ではないというように翻弄されてよろける七美を笑いながら、何故だかふいに、 七美と始めてあった時の事が脳裏を過ぎった。
「ま、いいいか」
 1人自己完結して満足したように手を離し、よろよろと軽く目を回した七美はその場にへたり込んだ。
「うえぇ、気持ち悪い…。ったく、酷いですよ! 何するんですか、私は心配してたのにっ!!」
 顔を真っ赤にして叫んだ七美に、
「何となく」
 と答えて、にっと笑ってその姿を見下ろした。
(う゛っ………)
 内心呻いた。
 普段の哮之は慣れたので平気だが、いざ、“俳優、九里哮之”になられると、七美は弱かった。相変わらず。 むしろ、日々悪化しているようにも思えて、若干、六にはそれが面白くなかったりもするのだが。
 勝てないと悟ったのか、七美は無言のままで立ち上がると踵を返して自分の部屋へとスタスタと歩き出す。
「七美、オレも。……あー誰の所為とは言わないが、疲れてるから今日はぐっすり寝れそうだな」
 慌てて後を追う六は嫌味も忘れずに付け加えて七美の隣に並ぶと、肩越しに哮之を振り返り、舌を出して不敵に笑う。
 それを目にして、今度は哮之が腹を立てたりする。
 こちらも相変わらず、低次元なレベルでの争いをしているようだった。
「待てよ、七美!」
 叫んで哮之も後を追い、六と反対側に立ち位置を獲得した。
 ひたすら沈黙しつづける七美の両脇で、哮之と六の2人は何かを言い合いながら去って行く。 その様子をあっけに取られて思わず見送った蚕拿老を初めとする面々。
 3人の姿が建物の中に隠れて静かになってから、ふと、界印が思い出したかのように笑みを漏らした。
「やっぱり……。尻に引かれますね、あの人達」
 そう呟いてから幼い容姿に似合わぬクスクスと楽しげに笑った。
 界印の科白に蚕拿老は遠く天を仰ぎ見て、遠い記憶を呼び覚ますように双眸を細める。
「―――確かに存在するのだな。宿命は……誰にでも。そして、その者が背負う、“業”。 これもまた、変えられぬ、逃れられぬもの、か」
 どことなく悲痛な声で呟いた。

 人の宿命。
 命ある限り逃れる事の出来ない、ヒトの業。
 永遠に繰り返される、思いの魂。
 永久運動のようなそれ。
 いったい、いつ、―――――“無”に還る事が出来るのだろう。
 いつになったら安らげると、いつになったら眠れると、いうのだろうか。
 永遠の闇を彷徨う、彼の者は。
 そして、我々は。
 いつ―――――?


 ―――――無への回帰、それは、永遠の輪―――――。




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